葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
取調室は、静かだった。
照明は白く、机と椅子だけが並ぶ簡素な部屋。
鎮守府内に設けられた仮設の取調スペースだ。
だが、その空気は重い。
そこに座らされている者たちは、
皆、同じ表情をしていた。
青ざめ、目の焦点が合っていない。
肩を落とし、指先が小刻みに震えている。
怒りも、反抗もない。
あるのは――理解してしまった後の沈黙だけだった。
白瀬提督は、資料を閉じる。
「……改めて聞く」
声は低く、淡々としている。
「鎮守府への不法侵入」
「器物破損未遂」
「公務妨害」
「艦娘及び関係者への危害行為未遂」
「以上だ」
机の向こう、男が喉を鳴らした。
「……」
言葉が、出ない。
長門は腕を組んだまま、男を見下ろしていた。
「何故だ」
短い問い。
男は、ようやく口を開いた。
「……怖かった……」
声が掠れる。
「艦娘が……」
「分からなかった……」
「得体が知れなくて……」
赤城は、その横で静かに聞いていた。
怒りは、ない。
だが、胸の奥がざらつく。
男は続ける。
「……でも……」
視線が、床に落ちる。
「……あれは……」
「違った……」
吹雪が、息を呑む。
「違った、とは?」
男の喉が鳴る。
「……怪物だと思ってた……」
「力で従わせると思ってた……」
男の手が、震えながら机の縁を掴む。
「……でも……」
「違った……」
長門が、静かに言う。
「何が違った」
男は、顔を歪めた。
「……何もしなかった……」
「いや……“出来たのに、しなかった”……」
赤城の脳裏に、あの光景が蘇る。
蛇赫。
圧。
沈黙。
そして――歩くだけで崩れていく群衆。
「……俺は……」
「ナイフを出した……」
男の声が、震え始める。
「刺そうとした……」
「でも……」
息を吸い、吐く。
「……刺さらなかった……」
その場の空気が、わずかに張り詰める。
「……力を入れても……」
「皮膚に……少し……」
男は、首元を押さえた。
「……止まった……」
「拒否された……」
赤城は、目を伏せた。
理解してしまう。
――あれは防御ではない。
――存在そのものの否定だ。
「……それで……」
男は、泣いていた。
「……あいつ……」
「怒らなかった……」
「殴らなかった……」
「殺そうともしなかった……」
「ただ……」
一言一句、噛み締めるように。
「……『捨てろ』って……」
長門の眉が、僅かに動いた。
「それだけ、か」
「……それだけだった……」
男は、俯いた。
「……なのに……」
「……怖くて……」
「……足が……」
声が、途切れる。
「……逃げられなかった……」
赤城は、胸の奥で何かが静かに沈むのを感じていた。
――恐怖とは、叫ばせるものではない。
――理解させるものだ。
別の女が、震える声で口を開いた。
「……私は……」
「艦娘が怖かった……」
赤城は、その声に顔を上げる。
「……兵器だと思ってた……」
「人じゃないと思ってた……」
「……でも……」
女は、唇を噛んだ。
「……あの人……」
「……葵さんを……」
赤城の背筋が、僅かに伸びる。
「……庇ってた……」
「誰よりも……」
女の目から、涙が落ちた。
「……私たちが……」
「……人じゃないって……」
「……思ってたのは……」
言葉は、続かなかった。
吹雪は、拳を握りしめていた。
――同じだ。
自分も、同じだった。
白瀬提督が、静かに言う。
「……君たちは……」
「彼を怪物だと思った」
「だが……」
「彼は、自分を怪物だと否定しなかった」
「その代わり……」
「線を示した」
長門が、補足する。
「越えてはいけない線だ」
「……越えた結果……」
「どうなった?」
男は、嗚咽混じりに答えた。
「……生きてる……」
「……生かされた……」
その言葉が、取調室に落ちる。
重い、沈黙。
赤城は、ゆっくりと立ち上がった。
「……私たちは……」
全員の視線が集まる。
「……兵器じゃない……」
「……でも……」
一拍置く。
「……守る……」
「……それだけ……」
男は、赤城を見上げた。
「……あんたたちも……」
「……同じ目をしてた……」
赤城は、否定しなかった。
「……そうかもしれない」
取調は、終わりに近づいていた。
処分は、これから決まる。
だが、彼らの中で――もう一つの裁定は終わっていた。
「……もう……」
「……近づかない……」
「……線が……」
「……分かった……」
白瀬提督は、立ち上がる。
「……それでいい」
取調室を出た後。
赤城、加賀、吹雪は廊下に立っていた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
やがて、吹雪が小さく言う。
「……怖かったです……」
赤城は、頷く。
「……ええ……」
加賀は、窓の外を見ていた。
「……でも……」
「……必要な恐怖よ……」
赤城は、静かに答えた。
「……ええ……」
「……だから……」
「……今まで……」
「……彼は……」
「……動かなかった……」
吹雪は、思い出す。
あの背中。
あの沈黙。
「……選ばせてた……」
「……ずっと……」
誰も、否定しなかった。
廊下の向こうで、足音がする。
ハヤトはいない。
葵もいない。
それでいい。
――これは、彼らの知らない場所で起きた“理解”なのだから。
そして赤城は、心の中で静かに思った。
――あれは怪物ではない。
――“線を越えさせない存在”だ。
それが、どれほど恐ろしいか。
それを理解してしまった者は、もう戻れない。