※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第16話 浮くための一歩、そして海上教練

 

工廠は今日も騒がしかった。

金属の匂い。火花。工具の音。

そして、いつもならここにいない“存在”がひとつ。

 

黒いコートを羽織った男――ハヤト。

 

工廠の片隅、作業台の前に無表情で立っているだけなのに、

周囲の空気は微妙に張り付いていた。

 

「……視線、刺さってますねぇ」

夕張が小声で明石に言う。

 

「刺さってるのは視線だけじゃないかもしれないですけどねぇ……」

明石が同じくらい小声で返す。

 

白瀬提督は腕を組んだまま、苦笑いを浮かべた。

「お前達、余計なことを言うな。本人に聞こえる」

 

「聞こえてませんよ!多分!」

明石が勢いよく言って、吹雪が「多分なの!?」と内心で突っ込む。

 

金剛が肩を揺らして笑う。

「ダイジョーブ!ハヤトは静かデース!」

 

静か。

それは合っている。

静かすぎて、逆に怖い。

 

作業台の上には脚部だけの小型艤装が置かれていた。

武装無し。推進無し。最低限の浮力と安定だけ。

“海上に浮く”ための装置。

 

夕張が淡々と言う。

「ハヤトさんは海上行動が出来ない。つまり、鎮守府の戦力としても警備としても運用範囲が狭まる。

 それなら、まずは“浮く”。そこからです」

 

明石が両手を広げた。

「でーす!

 名付けて、簡易艤装・脚部浮航ユニット!」

 

吹雪は思わず目を瞬かせた。

(……その名前、絶妙にダサい……)

 

「脚だけって、面白いネ!」

金剛が覗き込み、目を輝かせる。

「でも足元だけで安定取れるの?バランス難しそうデース」

 

「そこは夕張式計算と、明石式現場力でなんとかします!」

明石が胸を張る。

 

夕張は小さく咳払いをした。

「……“夕張式”が先でお願いします」

 

葵は少し離れた場所で、静かに見守っていた。

止めもしない。煽りもしない。

ただ、その視線はハヤトに向けられている。

 

ハヤトが目を上げ、葵を見る。

葵は小さく頷く。

 

それだけで、意思疎通は終わった。

 

明石が声を落とし、ハヤトに向き直る。

「……ハヤトさん。試験、してもらえますか?」

 

一瞬。空気が固くなる。

 

ハヤトは無表情のまま、短く答えた。

「……構わん」

 

その声で、明石と夕張の背中がほんの少し軽くなる。

 

⸻

 

1:沈没(再び)

 

装着は慎重だった。

明石が固定し、夕張が数値を読み上げ、金剛が横から覗き込み、白瀬提督は黙って見守る。

吹雪は、喉の奥が乾くのを感じていた。

 

(触れてる……)

 

工廠で艤装を触られる艦娘は珍しくない。

でも、触れているのが“彼”で、触れているのが“人間側”だと、意味が変わる。

 

「よし、可動域オーケー!」

「浮力材、固定完了!」

「ハヤトさん、違和感あります?」

明石が尋ねる。

 

「……ない」

短い。

 

夕張が眼鏡を押さえた。

「では、海で試験します」

 

工廠を出て、桟橋へ。

海は穏やかで、波がきらきら光っていた。

 

明石が両手を握りしめる。

「じゃあ……ゆっくり一歩、お願いします!」

 

ハヤトは海を見下ろし、一歩。

 

ドボン。

 

沈んだ。

 

「………………」

 

顔だけ水面に出して無言でこちらを見るハヤト。

あまりに静かすぎて、逆に皆が叫ぶ。

 

「沈んだぁぁぁぁ!!」

「嘘でしょ!?浮力計算!!」

「明石さん、浮航ユニットが浮航してない!!」

「HAHAHA!!沈没は想定内ネ!」(想定内なの!?)

 

白瀬提督がこめかみを押さえた。

「……またか」

 

葵が桟橋に駆け寄り、ロープを投げる。

「ハヤト、捕まって」

 

ハヤトは無言で掴み、引き上げられる。

びしょ濡れのまま桟橋に座り、脚部艤装をじっと見る。

 

首を、少し傾げた。

 

「……おかしい」

 

明石が思わず噴き出した。

「おかしいのはこっちですよ!?」

 

夕張は真剣に計器を見直す。

「浮力不足じゃない……浮力は足りてる。

 つまり、沈む原因は……」

 

夕張の視線がハヤトへ移る。

 

「……本人、ですね」

 

金剛が「Meaning?」という顔をする。

 

夕張は言葉を慎重に選んだ。

「……存在が重い。比喩じゃなく」

 

ハヤトは艤装を軽く叩いた。

「……改良の余地がある」

 

葵が小さく笑う。

「うん。初めてだもん」

 

ハヤトは葵にだけ頷く。

「……そうか」

 

そのやり取りが、工廠の空気を少しだけ緩めた。

 

⸻

 

2:成功(浮く)

 

再調整。

浮力材増量。固定強化。関節角度微修正。

夕張が数値を詰め、明石が現場で仕上げる。

 

「よし……今度こそです!」

明石が宣言する。

 

再び桟橋。

ハヤトが立つ。

 

一歩。

 

水面が揺れる。

 

沈まない。

 

「……」

ハヤトは一歩、また一歩。

 

海上を歩いた。

 

「浮いてる……」

吹雪が息を漏らす。

 

「成功ーーー!!」

明石が跳ね、夕張が小さく拳を握り、金剛が目を輝かせる。

 

「Amazing……!!」

 

白瀬提督は静かに頷いた。

「……これで“海上行動の入口”には立てたな」

 

ハヤトは足元を見下ろす。

「……沈まない」

 

葵がにこっと笑う。

「よかったね」

 

ハヤトは短く。

「……ああ」

 

その瞬間、周囲が少しだけざわついた。

“怪物が浮いた”からではない。

“怪物が、当たり前の会話をした”からだ。

 

⸻

 

3:海上教練開始(長門&金剛)

 

「では――次だ」

長門が前に出た。

 

白瀬提督が「頼む」と頷く。

 

長門は海上に立つハヤトを見上げるようにして言った。

「浮けたのなら、次は“動け”。

 海上では陸と違う。足場が揺れる。視界も変わる。距離感も狂う」

 

金剛も前に出る。

「海の上は、油断したら終わりデース!」

 

明石が小声で吹雪に囁いた。

「これ、艦娘の基礎訓練そのままです」

 

夕張が頷く。

「基礎が一番危険ですから」

 

長門は指示を短く区切る。

「まず姿勢。

 次に重心。

 次に旋回。

 最後に停止」

 

ハヤトは無表情のまま聞いている。

「……了解」

 

金剛が笑う。

「返事が短いネ!好きヨ!」

 

長門は手を差し出すように示した。

「歩く速度を変えろ。

 止まる。

 また進む。

 右へ半回転。

 左へ半回転」

 

ハヤトは指示通りに動いた。

速い。

無駄がない。

海上でも揺れをほとんど感じさせない。

 

金剛が目を丸くする。

「Wait wait……

 海上でもブレない!?すごいネ!?」

 

長門は腕を組み、短く唸った。

「……適応が早い」

 

白瀬提督が小さく笑う。

「警備の時もそうだった。

 あの男は、必要なことだけを学ぶ速度が異常だ」

 

葵はその様子を眺め、ふっと息を吐いた。

(海に出られないままじゃ、ハヤトは“外”へ手を伸ばせない。

 でも今なら――)

 

そう思うような、静かな笑顔だった。

 

⸻

 

4:砲撃回避(榛名&霧島)

 

次に前へ出たのは榛名と霧島だった。

 

榛名は柔らかい声で言う。

「ハヤトさん、ここからは砲撃回避の基本です」

 

霧島は冷静に補足する。

「当たらなければ、沈みません。

 そして“当たらない位置”へ動くのが、海上での回避です」

 

明石が「当たり前だけど大事!」と頷き、夕張が「真理です」と頷く。

金剛が「Kongouもよく当たるネ!」と胸を張り、榛名が「張らないでください」と即座に突っ込む。

 

霧島が小型の訓練用標的を海上へ浮かべた。

そして、訓練用の“擬似砲撃”――水柱を上げる発射装置を配置する。

 

「本物ではありません。

 しかし、当たった“想定”で動きが止まるなら、本番で終わります」

 

榛名が言う。

「まず、砲撃の兆候を見ます。

 水面の変化、砲煙、音。

 そして――“落ちる場所”を予測して、そこから外れる」

 

霧島が淡々と告げる。

「最初は遅れて構いません。

 ただ、“迷う時間”を無くしてください」

 

ハヤトは短く。

「……了解」

 

吹雪は思った。

(……この人、“迷う時間”って言葉に反応した)

言葉じゃない。

あの無表情の奥で、何かが動いた気がした。

 

擬似砲撃が放たれる。

水柱が上がる。

 

榛名が言う。

「今!」

 

ハヤトは半歩、横へ。

遅い。

しかし――次は違った。

 

二発目。

水柱が上がる寸前に、ハヤトが動いた。

三発目。

上がる前に外れた。

四発目。

“撃たれた瞬間”ではなく、“撃たれる前”に避けた。

 

霧島が小さく目を細めた。

「……学習した」

 

榛名が息を飲む。

「今の、予測……」

 

金剛が感嘆する。

「すごいヨ!

 砲撃回避、すぐ覚えたネ!」

 

ハヤトは短く答える。

「……慣れている」

 

榛名が聞き返す。

「慣れて……?」

 

ハヤトは言い直さない。

ただ、海面を見る。

その沈黙の中に、過去が沈んでいるようだった。

 

葵がそっと口を挟む。

「……ハヤトは、ずっと“避ける側”だったからね」

 

榛名と霧島はそれ以上聞かなかった。

聞いてはいけないものがあると、空気で理解した。

 

⸻

 

5:航空攻撃回避(赤城&加賀)

 

最後に前へ出たのは赤城と加賀だった。

 

赤城はいつも通り柔らかい笑顔で、でも声は真剣だった。

「ここからは航空攻撃の回避です」

 

加賀は淡々と。

「爆撃は砲撃と違い、上から来ます。

 視界が奪われます。音も遅れて届く。

 そして何より、“逃げ道を潰す”攻撃です」

 

明石が「さすが空母組……」と唸り、夕張が「説明が理詰め」と頷く。

 

赤城が小型の訓練用ドローン――航空攻撃模擬機を飛ばす準備を始めた。

「これは実弾じゃありません。

 でも爆風の代わりに“目印”を落とします。

 当たったらアウト、という設定で」

 

加賀が続ける。

「回避の基本は三つ。

 “初動の速さ”

 “軌道を読む”

 “止まらないこと”」

 

赤城がにこっと笑う。

「特に“止まらない”は大事です。

 止まった瞬間、狙われます」

 

ハヤトは短く。

「……了解」

 

ドローンが飛ぶ。

上空で旋回し、急降下。

 

加賀が言う。

「来ます」

 

赤城が言う。

「今、右へ!」

 

ハヤトは右へ。

目印が海面に落ち、水しぶきが上がる。

ギリギリ外れた。

 

二回目。

加賀が指示する前に、ハヤトが動いた。

三回目。

“落ちる場所”ではなく、“落とすために必要な進路”を読んだように先回りして外れた。

 

赤城が目を丸くする。

「え……今、読んでました?」

 

加賀は少しだけ眉を動かす。

「……読んでいる。

 しかも、こちらが教えたこと以上を」

 

金剛が嬉しそうに笑う。

「ハヤト、天才ネ!!」

 

ハヤトは短く。

「……違う」

 

赤城が首を傾げる。

「違う?」

 

ハヤトは空を見る。

「……生き残るためだ」

 

一言だけで、場の温度が少し下がった。

でもそれは、怖さではなく――現実の重さだった。

 

葵が小さく言う。

「うん。そうだね」

 

それだけで、空気が戻る。

葵の言葉は、いつも“針”みたいに刺さって、でも“糸”で繋ぎ直す。

 

⸻

 

6:訓練終わりの温度差

 

「よし。

 今日はここまでだ」

 

長門が区切りをつける。

 

赤城が笑って言う。

「想像よりずっと上達が早かったです。

 ……というか、怖いくらい」

 

加賀はいつも通り冷静に。

「怖いのは、彼の“力”ではありません。

 “迷いが無い”ことです」

 

榛名が小さく頷く。

「……確かに。

 怖いのは、力よりも“決断”ですね」

 

霧島が淡々と付け足す。

「決断は、引き金になります」

 

白瀬提督がハヤトを見る。

「……疲れたか?」

 

ハヤトは短く。

「……問題ない」

 

明石がすぐに騒ぐ。

「いや問題ありますよ!

 びしょ濡れの時点で問題でしたよ!?」

 

夕張も真面目に言う。

「乾かさないと体温が下がります。

 ……彼の体温が下がるかは未知ですが」

 

金剛が笑う。

「未知って言ったネ!未知!

 ロマンあるヨ!」

 

吹雪はそのやり取りを見て、思った。

 

(……みんな、話してる)

 

直接ハヤトに長く話しかける人はまだ少ない。

でも、“訓練”という枠があると、言葉が出る。

理由があるから。必要だから。

 

そしてハヤトは、短い。

短いけど――受け取っている。

 

葵はハヤトの隣に立って、タオルを差し出した。

「拭いて。風邪ひくよ」

 

ハヤトは受け取る。

「……ああ」

 

明石がぼそっと言う。

「やっぱり葵さんだけ、扱い違いません?」

 

夕張が即答する。

「違います」

 

金剛がにやにやする。

「夫婦ネ!」

 

吹雪が赤くなる。

(ち、違うよね……?いや……でも……)

 

白瀬提督は咳払いをして場を締めた。

「……よし。今日は解散。

 明石、夕張、良くやった。

 長門、金剛、榛名、霧島、赤城、加賀。協力感謝する」

 

「当然だ」

長門が短く言う。

 

赤城は笑った。

「こちらこそ。面白い訓練でした」

 

加賀は淡々と。

「“面白い”で済ませていい相手ではありませんが」

 

それでも、その声には拒絶が無かった。

 

⸻

 

7:小さな変化

 

工廠から戻る途中。

廊下ですれ違った艦娘が、立ち止まった。

 

「……あの」

 

声をかけたのは、川内だった。

夜戦好きの彼女ですら、少しだけ慎重な顔をしている。

 

「今日……海の上、歩いてたって聞いた」

川内が言う。

 

ハヤトは短く。

「……歩いた」

 

それだけ。

 

川内は言葉に詰まって、でも最後にこう言った。

「……すごいな」

 

ハヤトは返さない。

でも、無視もしない。

ただ、少しだけ頷いた。

 

その横で葵が微笑む。

それを見て川内は、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 

吹雪は思った。

 

“きっかけ”は、些細でいい。

沈んで、浮いて、訓練して――

そんな「今日の出来事」だけで、

誰かが声をかけられるようになる。

 

それが積み重なれば、

いずれ“警備中の沈黙”も、ただの沈黙じゃなくなる。

 

ハヤトは今日も多くを語らない。

でも、“海の上に立てる”ようになった。

 

そしてそれは、

この鎮守府の距離を、ほんの少しだけ変えた。

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