※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第17話 好きにします、という選択

 

朝の警備交代。

正門前の空気は、少しだけ変わっていた。

 

昨日まであった「一歩引いた距離」が、

今日は「半歩分」くらい縮まっている。

 

誰も明確に意識していない。

ただ、そうなっていた。

 

ハヤトはいつもの位置に立っている。

腕を組み、背筋を伸ばし、視線は鎮守府全体へ。

変わらない。

けれど、周囲の反応が変わっていた。

 

「……おはようございます」

 

最初に声をかけたのは、潮だった。

小さな声。けれど、逃げ腰ではない。

 

ハヤトは一瞬だけ視線を向ける。

「……おはよう」

 

それだけ。

 

潮は一瞬固まり、それから少しだけ笑った。

「……はい!」

 

吹雪はその様子を見て、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。

 

(……今の、普通だった)

 

“普通”という言葉が、ここではまだ特別だ。

 

⸻

 

巡回に出る前、白瀬提督がハヤトの隣に立った。

以前なら、ここで空気が固まっていたはずだ。

 

「昨日の海上訓練、報告は受けた」

 

ハヤトは短く。

「……問題なかった」

 

「沈んだ件も含めて?」

 

一瞬の間。

ハヤトは否定しない。

「……改善された」

 

白瀬提督は苦笑した。

「夕張と明石が、妙に張り切っていた理由が分かったよ」

 

「……あの二人は、楽しそうだった」

 

「“楽しそう”で済ませられる内容じゃないがな」

 

そう言いながらも、白瀬提督の声には責める色はなかった。

 

「なあ、ハヤト」

 

「……何だ」

 

「ここでの警備、どうだ?」

 

少しだけ、間があった。

吹雪は無意識に耳を澄ませていた。

 

「……静かだ」

 

「それは良いことだ」

 

「……判断が遅い」

 

白瀬提督は一瞬驚き、それから納得したように頷いた。

「そうだな。

 だが、“遅い”のは悪いことばかりじゃない」

 

「……」

 

「考えて、選んで、怖がって。

 それでも一歩踏み出す。

 時間はかかるが、壊れにくい」

 

ハヤトは答えない。

ただ、拒絶もしなかった。

 

白瀬提督は小さく息を吐く。

「……俺はな、ここを“安全な場所”にしたい」

 

「……安全?」

 

「誰かが来て、誰かが帰って、

 誰かが失敗しても、もう一度やり直せる場所だ」

 

ハヤトは一瞬だけ、視線を遠くへ向けた。

「……脆い」

 

「分かってる」

 

白瀬提督は即答した。

「だから、守る」

 

短い沈黙。

 

「……好きにすればいい」

 

ハヤトが言った。

 

白瀬提督は眉を上げる。

「ずいぶん投げやりだな」

 

「……選ぶのは、そちらだ」

 

白瀬提督は笑った。

「じゃあ――好きにする」

 

その言葉が、後に広がっていくとは、

この時はまだ誰も知らなかった。

 

⸻

 

午前の巡回中。

倉庫付近。

 

吹雪が足を止めた。

「……あの」

 

ハヤトが止まる。

視線だけ向ける。

 

「昨日の……その……海の上の……」

 

言葉に詰まる吹雪。

ハヤトは急かさない。

 

「……浮いてたやつ、すごかったです」

 

沈黙。

 

「……そうか」

 

それだけ。

 

吹雪は少し戸惑ったが、

「……はい!」とだけ返した。

 

すると後ろから、別の声。

 

「ねえねえ」

 

川内だった。

腕を組み、興味津々という顔。

 

「今さ、砲撃とか避けてたでしょ?」

 

「……避けた」

 

「夜戦でも通用する?」

 

吹雪が思わず息を呑む。

(川内さん、直球すぎる……)

 

ハヤトは少し考えたように間を置き、

「……条件次第だ」

 

川内は目を輝かせた。

「条件?」

 

「……視界と距離」

 

「なるほどー!」

 

川内は満足そうに頷いた。

「今度、模擬戦やろうよ!」

 

吹雪が慌てる。

「か、川内さん!?」

 

ハヤトは即答しない。

ただ一言。

 

「……必要なら」

 

川内は笑った。

「うん、必要になったらね!

 好きにします!」

 

その言葉に、吹雪ははっとする。

 

(……今の、提督の言葉と同じ……)

 

⸻

 

昼、食堂。

 

ハヤトは壁際の定位置。

葵がコーヒーを置く。

 

「今日、少し話しかけられてたね」

 

「……増えた」

 

「嫌?」

 

「……問題ない」

 

葵は安心したように微笑む。

「よかった」

 

その会話を、少し離れた席から赤城と加賀が見ていた。

 

赤城が小声で言う。

「ねえ、加賀さん」

 

「何かしら」

 

「最近、あの人……普通に会話してません?」

 

「……していますね」

 

「最初は怖かったのに」

 

加賀は箸を置き、静かに言う。

「恐怖が消えたわけではありません」

 

「でも?」

 

「……“線”が見えるようになった」

 

赤城は少し考え、頷いた。

「踏み越えなければ、何も起きない」

 

「ええ」

 

その会話を、隣の席の瑞鶴が聞いていた。

「つまりさ」

 

二人を見る。

「好きにしなきゃいいってこと?」

 

加賀は淡々と。

「そういうことです」

 

瑞鶴は肩をすくめる。

「じゃあさ、好きにする人は?」

 

赤城が即答した。

「……止められるでしょうね」

 

瑞鶴は苦笑する。

「うん、あれは止まらないタイプだ」

 

⸻

 

午後、警備交代前。

 

新しい当番の艦娘が集まってくる。

最初は距離があったが、

今日は違った。

 

「……あの」

 

声をかけたのは、榛名だった。

「今日も警備、よろしくお願いします」

 

ハヤトは短く。

「……こちらこそ」

 

榛名は少し驚き、それから微笑んだ。

「ありがとうございます」

 

その後ろで霧島がぼそっと言う。

「会話、成立してますね」

 

金剛が笑う。

「進歩ネ!」

 

夕張が通りすがりに言った。

「……データ的にも、良い傾向です」

 

明石が手を振る。

「工廠的にも大歓迎ですよー!」

 

ハヤトはその騒がしさを眺め、

一言。

 

「……賑やかだ」

 

白瀬提督が横に立つ。

「嫌か?」

 

「……嫌ではない」

 

「それなら、上出来だ」

 

⸻

 

夕方。

 

吹雪は巡回の終わりに、

もう一度ハヤトの前に立った。

 

「……今日も、お疲れ様でした」

 

昨日より、声が震えていない。

 

ハヤトは一瞬だけ見て、

「……ああ」

 

それだけ。

 

でも吹雪は、はっきり思った。

 

(……怖いままでいい)

 

怖いから、考える。

考えるから、選ぶ。

選ぶから、踏み越えない。

 

それでいい。

 

白瀬提督が最後に言った。

「明日も、好きにやろう」

 

川内が即答する。

「はーい!好きにします!」

 

榛名が苦笑する。

「ほどほどに、ですよ」

 

ハヤトはそれを聞いて、

ほんの一瞬だけ口元を緩めた。

 

誰にも気づかれない程度に。

 

鎮守府は今日も、何も起きなかった。

けれど確実に、何かが変わり始めていた。

 

“会話”という、小さな変化が。

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