※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

19 / 71
第19話 越えてはならない線

 

執務室の空気は、重く沈んでいた。

 

窓の外には、いつもと変わらぬ呉の海。

訓練を終えた艦娘たちの声が、遠くで微かに響いている。

 

だが、この部屋の中だけは違った。

 

白瀬提督は椅子に深く腰を下ろし、指を組んだまま天井を仰ぐ。

 

「……正直に言う」

静かに、だがはっきりとした声だった。

「海中の敵に対して、我々は決定打を持っていない」

 

長門は腕を組み、無言で頷く。

吹雪は背筋を伸ばしたまま、唇を噛んだ。

 

「艦娘の領域だ。潜水艦娘が対応するのが前提になる」

「だが――」

 

提督は視線をハヤトへ向ける。

 

「仮に、最悪の状況になった場合」

「……君であっても、危険だと判断している」

 

一瞬の沈黙。

 

ハヤトは椅子にもたれず、背筋を伸ばしたまま答えた。

 

「……無いことはない」

 

短い言葉。

感情は乗っていない。

 

吹雪が小さく息を吸う。

 

「攻撃手段が、あるのか?」

 

長門が問いかける。

 

ハヤトは一度だけ視線を向け、すぐに戻した。

 

「ある」

 

それだけだった。

 

白瀬提督は、慎重に言葉を選ぶ。

 

「ならば――」

 

「……やらない」

 

ハヤトは被せるように言った。

 

「危険だから」

「巻き込む」

 

それ以上は語らない。

 

理由の説明も、正当化もない。

ただ、“選ばない”という事実だけ。

 

室内の空気が、さらに張り詰めた。

 

その時だった。

 

「……それは」

 

口を開いたのは、葵だった。

 

だが、いつもの柔らかな声ではない。

その表情には、微笑みは一切ない。

 

「それは、“見せるかどうか”の話じゃありません」

 

全員の視線が、一斉に集まる。

 

葵は真っ直ぐ前を見据えたまま、続ける。

 

「“やるか、やらないか”の話です」

 

白瀬提督は黙って聞いている。

長門も、吹雪も、言葉を挟まない。

 

「冥焔連には、絶対の掟があります」

 

その名が、初めてこの部屋で自然に口にされた。

 

「越えてはいけない線」

 

葵の視線が、ほんの一瞬だけハヤトへ向く。

だが、すぐに戻る。

 

「それは戦況でも、命令でもありません」

「私に――実害が及んだ時です」

 

吹雪の喉が、ひくりと鳴った。

 

「命、身体、自由」

「どれか一つでも、確定した時」

 

葵は、はっきりと言い切る。

 

「その瞬間、ハヤトは“止まる選択”をしなくなります」

 

沈黙。

 

重い沈黙。

 

白瀬提督は低く問い返す。

 

「……それは、彼一人の話か?」

 

葵は首を横に振った。

 

「違います」

 

即答だった。

 

「四天位も、他の者たちも」

「全員です」

 

名前だけが落ちる。

説明は、ない。

 

それ以上語らないという意思が、はっきり伝わってきた。

 

「その時に起きるのは――」

 

葵は一度、深く息を吸う。

 

「戦闘ではありません」

 

静かな断定。

 

「災厄です」

 

吹雪は、背中を冷たいものが走るのを感じた。

 

「制御出来ない」

「運用出来ない」

「評価も、管理も出来ない」

 

葵の声は、淡々としている。

 

「だから、見せる・隠すの話ではありません」

「“起きてはいけない”んです」

 

ハヤトは、何も言わない。

だが、その沈黙が、全てを肯定していた。

 

白瀬提督は帽子の鍔に触れ、ゆっくりと息を吐く。

 

「……理解した」

 

その一言に、重みがあった。

 

「この件について、これ以上踏み込むことはしない」

「抑止力として扱うこともしない」

 

葵は、静かに頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

だが、表情は緩めない。

 

「それが、彼を“こちら側”に留める唯一の方法です」

 

長門は腕を組み、低く呟いた。

 

「……線を越えさせない」

 

葵は頷く。

 

「誰にも」

 

その言葉は、命令ではない。

だが、重い。

 

吹雪は、この時ようやく理解した。

 

――だから、ハヤトは動かなかった。

――だから、沈黙していた。

 

恐れられても、拒絶されても。

それでも、選び続けていた。

 

会議は、それ以上続かなかった。

 

誰もが分かったからだ。

 

この鎮守府が扱っていいのは、

線のこちら側だけだということを。

 

そして同時に――

その線が越えられた時、

取り返しがつかない何かが起きるということも。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。