葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
会議が終わったあとも、誰一人すぐには立ち上がれなかった。
白瀬提督は、椅子に深く腰掛けたまま、天井を見上げていた。
胸の奥に、重たいものが沈んでいる。
(……知ってしまったな)
知らなければよかった、とは思わない。
だが、知った以上――戻れない。
長門は腕を組み、目を閉じたまま動かない。
彼女の脳裏には、かつて見た“黒炎”の残像が焼き付いていた。
(あれが……子供騙し、か)
冗談ではない。
だが、否定も出来ない。
部屋の隅では、吹雪が膝の上で拳を握りしめていた。
爪が食い込むほど、強く。
(怖い……)
それが正直な気持ちだった。
ハヤトが動いた時のことを思い出す。
目が変わった、あの瞬間。
(あれは……怒りでも、威圧でもなかった)
“選択肢の外側”を見ている目だった。
吹雪は、ふと自分に問いかける。
(……それでも、私は)
答えは、まだ出ない。
「……沈黙が長いな」
ぽつりと、白瀬提督が言った。
誰かを責める声ではない。
ただ、現実を確認する声だった。
長門が目を開ける。
「……当然だ。
あれを聞いて、すぐに答えが出る者はいない」
「そうだな」
提督は、ゆっくりと体を起こす。
「だが……我々は、決断を先延ばしには出来ない立場でもある」
その言葉に、艦娘達の視線が集まる。
「君達も分かっているはずだ。
鎮守府という場所は、“感情”だけで動ける場所ではない」
誰も否定しない。
「……だが」
提督は一拍置き、続ける。
「感情を無視して、判断する場所でもない」
その言葉に、吹雪は小さく顔を上げた。
「白瀬提督……」
声をかけたのは、潮だった。
「……正直に言っても、いいですか?」
「構わない」
潮は一度、深く息を吸う。
「私は……怖いです」
即答だった。
「ハヤトさんも、冥焔連も……
線を越えたら何が起きるか、知ってしまったから」
誰かが小さく頷いた。
「でも……」
潮は、ぎゅっとスカートを握る。
「それでも、葵さんがあんな顔で話してくれたことを……
なかったことには、出来ません」
その言葉に、部屋の空気が少し変わる。
「怖いから離れる、だけじゃ……
私は、嫌です」
潮は最後、震えながらもそう言った。
「……私も」
次に口を開いたのは、吹雪だった。
「まだ……怖いです。正直」
一瞬、視線が揺れる。
「でも……
ハヤトさんが“動かなかった理由”を、今なら分かる気がします」
長門が、静かに吹雪を見る。
「……どういう意味だ?」
吹雪は、少し考えてから答えた。
「力があるから、使わないんだと思います」
「使ったら終わるって、分かってるから」
その言葉に、長門の目がわずかに見開かれた。
「……ほう」
「だから……」
吹雪は拳を解く。
「だから、私は……
怖いままでも、隣に立つことを、選びたいです」
沈黙。
だが、それは先程までの重苦しいものではなかった。
「……選ぶ、か」
長門が低く呟く。
「恐怖を知った上で、なお、か」
「はい」
吹雪は、はっきり頷いた。
長門は、しばらく黙ってから、ふっと息を吐いた。
「……愚直だな」
だが、その口調に、否定はなかった。
「だが……嫌いではない」
その一言で、吹雪の肩が少しだけ緩む。
白瀬提督は、全員を見渡す。
「全員が、同じ選択をする必要はない」
「距離を取る者がいてもいい。
迷い続ける者がいてもいい」
「だが……」
提督は、真剣な眼差しで言った。
「“恐怖だけで断じる”ことは、したくない」
「それは、我々が守ろうとしてきたものと、同じだからだ」
艦娘達は、静かにそれを受け止める。
「……明日からも、警備は続く」
「ハヤトは、何も変えないだろう」
「だからこそ、我々がどう在るかが問われる」
その言葉で、会議は終わった。
⸻
廊下に出ると、夕暮れが鎮守府を包んでいた。
吹雪は、歩きながら、遠くを見る。
(……怖い)
それは消えない。
(でも……)
怖いまま、立つことは出来る。
その時、廊下の先に、ハヤトの姿があった。
警備位置に立ち、無表情で周囲を見ている。
吹雪は、一瞬だけ立ち止まり――
小さく、だがはっきりと声を出した。
「……お疲れ様です」
ハヤトは、すぐには返事をしなかった。
だが、視線だけをこちらに向け――
ほんの僅か、頭を下げた。
それだけ。
言葉はない。
だが、それで十分だった。
吹雪は、胸の奥で、何かが少しだけ軽くなるのを感じた。
(……これでいい)
完璧じゃなくていい。
怖くなくなる必要もない。
それでも――
共に在ることを、選ぶ
その選択が、静かに、鎮守府の中で増え始めていた。