※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第25話 選ぶ日常、選択の手前で

朝の呉鎮守府は、いつもと変わらなかった。

 

海から吹く風は穏やかで、

遠くで艦載機の整備音が規則正しく響き、

食堂からは朝食の匂いが漂ってくる。

 

――何も起きていない。

少なくとも、表面上は。

 

吹雪は廊下を歩きながら、ふと足を止めた。

正面から歩いてくるのはハヤトと葵だった。

 

二人はいつも通りだった。

 

ハヤトは無表情のまま、視線を前に向けて歩き、

葵はその少し前を、穏やかな足取りで進んでいる。

 

変わったことがあるとすれば――

すれ違う艦娘達の反応だった。

 

「……おはようございます」

 

そう声をかけたのは、満潮だった。

一瞬ためらいがあったが、それでも視線を逸らさず、葵に向かって頭を下げる。

 

「おはよう、満潮ちゃん」

 

葵はいつも通り微笑んで返した。

無理をしているようには見えない。

だからこそ、余計に胸の奥がざわつく。

 

少し後ろでは、曙が腕を組んだまま立ち止まっていた。

 

「……ふん」

 

短く鼻を鳴らし、視線を逸らす。

何か言いたそうだったが、結局何も口にしない。

 

ハヤトは、そのやり取りを見ても何も言わない。

足取りも、呼吸も、変わらない。

 

選んだ者と、まだ選べない者。

同じ廊下に立ち、同じ朝を迎えながら、

その距離は目に見えないところで確かに存在していた。

 

⸻

 

食堂では、さらにその差がはっきりと現れていた。

 

赤城と加賀は、葵の前で自然に会話を交わしている。

 

「今日の味噌汁、少し出汁が変わった?」

 

「うん、今日は昆布多めにしてみたの」

 

「なるほど……これはこれで悪くないわね」

 

一方で、別の席ではひそひそと小声が交わされる。

 

「……あの人達、やっぱり平気なんだ」

 

「私はまだ……正直、怖い」

 

「でも、何もしないし……」

 

言葉は途中で止まり、視線は自然とハヤトの方へ向かう。

彼は壁際に立ち、全体を見渡す位置にいた。

 

圧はない。

殺気もない。

ただ、そこにいるだけ。

 

それが逆に、選べない者達の心をざわつかせる。

 

葵は、その空気に気づいていないわけではなかった。

だが、何も言わない。

 

否定もしない。

弁解もしない。

 

「怖くていい」

「分からなくていい」

 

その前提を、言葉にせず、態度で示し続けていた。

 

⸻

 

午前の警備交代。

 

ハヤトの周囲には、以前よりも声をかける艦娘が増えていた。

 

「……巡回、異常なかった?」

 

そう聞いたのは北上だった。

 

「ない」

 

短い返答。

それでも北上は気にした様子もなく、軽く頷く。

 

「そっか。じゃ、次こっち見てくるね」

 

去っていく背中を、ハヤトは追わない。

引き止めない。

距離を縮めようともしない。

 

その姿を、少し離れた場所から霞が見ていた。

 

「……やっぱり、分からない」

 

ぽつりと呟く。

 

「怖いままでもいいのかな、これ」

 

誰も答えなかった。

 

答えは、まだ出ていない。

 

⸻

 

午後。

工廠では、明石と夕張が忙しなく動いていた。

 

「簡易艤装のチェック、もう一回やるよ!」

 

「うん、念には念を」

 

ハヤトはその横で立ち、黙って待っている。

 

「……本当に、何も言わないよね」

 

夕張が小声で言う。

 

「うん。でも、それが一番信用できるって人もいるよ」

 

明石はそう言って、工具を置いた。

 

「『使え』って言われるまで、出ないってことだから」

 

その言葉の意味を、夕張は理解していた。

 

ハヤトは“待機”している。

命令がなければ動かない。

そして――

葵が安全な場所にいない限り、前に出ない。

 

それは抑制であり、線引きだった。

 

⸻

 

夕方。

 

鎮守府全体が、いつもより少しだけ静かだった。

 

誰もが、無意識のうちに「次」を待っている。

理由は分からない。

だが、何かが起きる予感だけが、共有されていた。

 

その時――

 

警報が鳴り響いた。

 

鋭く、容赦なく、鎮守府の空気を切り裂く音。

 

「――警報! 警報!」

 

一瞬で、全てが動き出す。

 

「深海棲艦艦隊、呉鎮守府方面へ侵攻中!」

 

「距離、急速に詰めています!」

 

喧騒。

命令。

足音。

 

選んだ者も、選べない者も、関係ない。

全員が同じ警報を聞き、同じ恐怖を共有する。

 

「出撃組、準備急いで!」

 

「後方支援、所定位置へ!」

 

「ドッグ待機組、展開を!」

 

大淀が走りながら指示を飛ばす。

 

その視線が、葵を捉えた。

 

「葵さん、こちらへ! 安全区画に移動します!」

 

「……分かりました」

 

葵は一瞬、工廠の方を見た。

ハヤトの姿が、そこにあることを確認する。

 

何も言わない。

ただ、小さく頷いた。

 

それで十分だった。

 

⸻

 

工廠。

 

明石がハヤトに簡易艤装を装着する。

 

「いつでも行ける状態にしておくよ」

 

「……了解」

 

短い返答。

ハヤトは海の方を見ていた。

 

呼ばれれば行く。

呼ばれなければ、ここにいる。

 

それだけ。

 

⸻

 

サイレンは鳴り続けている。

 

鎮守府は、完全に戦時体制へ移行した。

 

誰もが理解している。

 

――ここから先は、選択の結果が問われる。

 

だが、まだこの時点では、

誰も知らなかった。

 

この侵攻が、

「彼を呼ぶかどうか」を問う最初の戦いになることを。

 

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