※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第26話 侵攻、そして誰もが選ばされる

 

警報が鳴り止まない。

 

呉鎮守府の空気は、たった数秒で“平時”から引き剥がされ、

鋼鉄の音と短い命令の連鎖に塗り替えられた。

 

「深海棲艦艦隊、呉鎮守府方面へ侵攻中!予想針路は南東、速度速い!」

 

大淀の声が執務室から廊下へ、廊下から食堂へと響き渡っていく。

椅子が引かれる音、食器が置かれる音、駆け出す足音。

 

「出撃組、各自配置へ!後方支援、弾薬と資材の搬送急げ!ドッグ待機組、修理準備!」

 

その声に反応するように、艦娘達が一斉に動いた。

誰かを置いていかない。

誰かに押し付けない。

 

それは、彼女達が海で培ってきた習慣であり、誇りでもあった。

 

⸻

 

作戦室――

大きな海図と通信機器の前に、白瀬提督と長門、大淀が並ぶ。

 

「数は?」

 

「現時点で二十強。旗艦級反応あり。さらに後方に影――増援の可能性が高いです!」

 

大淀が即答する。

 

長門は腕を組んだまま、海図上の針路を追った。

視線が鋭くなる。

 

「……呉の鼻先に突っ込む気か」

 

「挑発の可能性もあります。あるいは、こちらの戦力配置を測っているか」

 

白瀬提督は短く息を吐いた。

“測られている”という感覚が、舌の上に苦く残る。

 

「迎撃は通常通り。第一迎撃隊は?」

 

大淀が即座に通信を開く。

 

「赤城さん、加賀さん、瑞鶴さん、翔鶴さん。長門さん、金剛さん、榛名さん、霧島さん。重巡は摩耶さん、高雄さん、妙高さん。軽巡は神通さん、川内さん。駆逐は吹雪さん、潮さん、時雨さん、霞さん。……以上、出撃準備完了です!」

 

作戦室に、短い沈黙が落ちた。

 

艦娘の名前が並ぶ。

いつも通りの編成。

いつも通りの迎撃。

 

――なのに、いつもと違う。

 

白瀬提督の意識の端に、工廠の方向が浮かぶ。

そこにいる“待機者”。

 

ハヤト。

 

“出撃させる”という発想が、今まではそもそも存在しなかった。

だが今は、発想そのものが、重い。

 

長門も同じだった。

彼女は言葉にせず、視線だけで白瀬提督の迷いを感じ取っていた。

 

「……提督」

 

「分かっている。まだ呼ばない」

 

白瀬提督は答える。

自分に言い聞かせるように。

 

「まずは艦娘だけで迎撃する。これが鎮守府の戦だ」

 

「了解です」

 

大淀が頷く。

 

だが、長門は腕を組んだまま、声を低くした。

 

「……“まだ”だな」

 

白瀬提督は否定しなかった。

“まだ”という言葉は、保険でもあり、覚悟でもある。

 

⸻

 

外――

出撃準備の動線が一斉に走り始める。

 

「燃料、補給ライン確保!間宮さん、鳳翔さん、食料は後方へ!」

 

「了解です!おにぎり、まとめますね!」

 

鳳翔が穏やかな声で応じるが、その手は速い。

間宮も黙々と運ぶ。

 

「工廠、弾薬補充!明石さん、夕張さん!」

 

「りょーかい!こっちは任せて!」

 

明石は普段の明るさを崩さない。

夕張はメモを片手に、次々と確認する。

 

「弾薬の搬送先、第一ドック横!第二は空母甲板裏へ!」

 

工廠の周辺では、いつもなら雑談が飛ぶ。

だが今日は違う。

 

声は短く、必要な言葉だけ。

それが逆に、緊迫を増幅させていた。

 

⸻

 

大淀に誘導され、葵は鎮守府の奥へ向かう。

 

「葵さん、こちらです。……すみません、走れますか」

 

「大丈夫。ありがとう」

 

葵は微笑む。

足取りは速い。

だが、視線が一度だけ工廠へ向いた。

 

そこにいるのが分かるから。

 

“今は、呼ばれない”

それを理解していても、心のどこかが冷える。

 

廊下の角で、加賀とすれ違った。

 

「葵さん」

 

加賀は足を止めずに言う。

 

「安全区画へ。……必ず、戻ります」

 

その言葉は誓いだった。

葵は頷く。

 

「いってらっしゃい。……皆、無事で帰ってきてね」

 

加賀は一瞬だけ、視線を揺らした。

そして短く「はい」と返し、走り去る。

 

葵はその背中を見送る。

同時に、胸の奥で別の背中が浮かぶ。

 

ハヤト。

動かなければならない状況が、近づいている。

 

――それだけは避けたい。

避けられるなら。

 

⸻

 

工廠。

簡易艤装の収納棚の前で、ハヤトが立っている。

 

明石が手袋を直しながら、ちらりと見上げた。

 

「ねえ、ハヤトさん。……今日は、出る?」

 

「……呼ばれたら」

 

短い。

 

夕張が眉をひそめる。

 

「呼ばれたら、って……その前に、気配とか分からないの?」

 

「……分かる」

 

「なら!」

 

夕張が言いかけて、言葉を飲み込んだ。

“なら出てくれ”と言いそうになったからだ。

 

命令系統を無視してはいけない。

そして何より、“彼”を勝手に前に出すのは、線が危うい。

 

明石が小さく息を吐く。

 

「……うん、そっか。分かるんだ」

 

ハヤトは海の方向を見ていた。

無表情。

 

だが、その目は“待っている”目ではない。

“測っている”目だった。

 

葵がここにいない。

だから動けない。

 

それが鎖になるのか、抑制になるのか。

明石にはまだ判断がつかなかった。

 

⸻

 

海へ向かう道で、艦娘達が短く声を交わす。

 

赤城が笑う。

いつもの笑いではない。

戦場へ向かう笑いだ。

 

「さあ、行きましょう。呉を守ります」

 

「当然よ」

 

加賀が返す。

瑞鶴が肩を回して、やたら大きな声を出した。

 

「よーし!久々に派手にやるわよ!翔鶴姉、置いてかないでよ!」

 

「ふふ、置いていかないわ」

 

翔鶴は優しく笑い、しかし目は鋭い。

 

金剛が拳を握る。

 

「Burning…!敵艦隊、来るなら来いネー!」

 

「金剛姉さま、熱くなるのはいいけど突っ込みすぎないで」

 

榛名が即座に釘を刺す。

 

「榛名は大丈夫です!」

 

霧島はいつも通り冷静に、通信機を確認していた。

 

その後ろで、吹雪が唇を噛む。

 

“いつも通り”

そう言い聞かせたい。

 

でも、今日は違う。

 

今日は――

鎮守府の中に“待機者”がいる。

 

その存在が、いつもより心臓の鼓動を大きくする。

 

⸻

 

海上。

艦隊が陣形を整え、迎撃線を張る。

 

「敵影、視認!距離、縮まっています!」

 

神通の声が風に乗る。

 

「赤城、艦載機発艦準備!」

 

「了解。加賀さん、行けますね?」

 

「問題ない」

 

赤城と加賀の航空隊が空へ上がる。

その瞬間、空気が変わった。

 

深海棲艦の砲撃。

海面が弾け、白い柱が立つ。

 

「回避!」

 

長門の声が響く。

 

「全艦、散開!砲撃戦に移行!」

 

金剛が笑った。

 

「Yeah!来たネー!」

 

その笑いは勇ましい。

だが、恐怖を押し潰すための笑いでもある。

 

摩耶が歯を見せる。

 

「対空はこっちの領域だっつーの。……来いよ」

 

高雄が短く息を吐き、妙高が通信を整える。

 

駆逐艦隊は前へ。

吹雪と潮、時雨、霞が隊列を保つ。

 

「吹雪、焦らないで。いつも通り」

 

潮が言う。

 

「うん……分かってる」

 

言いながら、吹雪の視線は一瞬だけ呉の方向へ飛ぶ。

 

“まだ、呼ばれていない”

 

それが何故か、安心と不安を同時に連れてくる。

 

⸻

 

 

戦闘は、序盤は優勢だった。

 

赤城と加賀の航空隊が敵前衛を削り、

長門の主砲が海を裂く。

 

「命中確認!」

 

「次弾装填!撃て!」

 

榛名と霧島が回避行動と火力のバランスを保つ。

金剛は勢い任せに見えるが、絶妙に前へ出すぎない。

 

――いつも通り。

いつも通り勝てる。

 

そう思いかけた時。

 

「……敵、後方に新たな影!」

 

神通の声がわずかに硬くなる。

 

「増援だ……!」

 

大淀からの通信が重なる。

 

『増援確認。数、追加で二十以上。旗艦級反応増。迎撃線、圧迫されます!』

 

海図上で、敵が“厚くなる”。

 

白瀬提督の指が机を叩いた。

 

「……想定より多い」

 

長門は言葉を削る。

 

「退ける。だが、時間がかかる」

 

作戦室に、沈黙が落ちる。

 

“時間がかかる”

それは被害が増える可能性を意味する。

 

白瀬提督は工廠の方向を見ないようにした。

見れば、考えてしまうからだ。

 

だが、考えずにいられない。

 

⸻

 

 

海上――

敵の増援が、圧となって押し寄せる。

 

「ちっ……数が多い!」

 

摩耶が舌打ちする。

 

瑞鶴の声が飛ぶ。

 

「赤城さん!こっち、航空隊の迎撃が追いつかない!」

 

「了解、隊列を再編します!」

 

赤城は冷静だ。

だが、冷静さは“余裕”とは違う。

 

加賀が短く言った。

 

「……こちらも手数が足りない」

 

その瞬間、吹雪の艦隊に砲撃が迫る。

 

「吹雪!」

 

時雨が叫び、潮が反射的に舵を切る。

 

海面が爆ぜた。

波が吹雪の頬を叩く。

 

――怖い。

 

それでも、動く。

動ける。

 

だが、脳裏に浮かぶ。

 

工廠のあの無表情。

短い返事。

“呼ばれたら”。

 

“呼ばれる”ということは、何を意味するのか。

 

恐怖が別の形で背中を這う。

 

⸻

 

作戦室で、大淀が報告を続ける。

 

「艦隊は持ちこたえています。ですが、損耗は増加傾向。弾薬消費、想定より早いです」

 

白瀬提督は顎に手を当てた。

 

「……被害は」

 

「軽微です。ただし、このまま押し切られると――」

 

言い切らなかった。

言う必要がないからだ。

 

白瀬提督は長門を見る。

 

長門は黙っている。

だが、その沈黙は“覚悟”を含んでいた。

 

「……呼ぶか?」

 

白瀬提督の声は低い。

 

長門は即答しない。

その代わり、短く言った。

 

「呼べば、勝てる」

 

「……」

 

「だが、勝ち方が変わる」

 

それが全てだった。

 

勝てる。

でも、勝ち方が変わる。

 

それはつまり、

鎮守府が“艦娘だけの戦”ではなくなるということ。

 

選択が、取り返しのつかない線を跨ぐ。

 

白瀬提督は目を閉じる。

 

そして、息を吐いた。

 

「……まだだ。もう一段、耐えさせる」

 

大淀が頷く。

 

「了解。現場へ伝達します」

 

長門は何も言わない。

だが、その目だけが言っていた。

 

――“まだ”は永遠ではない。

 

⸻

 

工廠。

海から響く砲声が、床を震わせる。

 

明石が小さく肩をすくめた。

 

「……音、近いね」

 

夕張が通信機を握り直す。

 

「戦線、押されてる……」

 

ハヤトは黙っている。

だが、ほんの少しだけ首が動いた。

 

海の方向。

風の向き。

砲声の間隔。

 

“測っている”目。

 

明石が唾を飲む。

 

「ねえ、ハヤトさん。もし呼ばれたら……何するの?」

 

「……退路を作る」

 

夕張が目を見開いた。

 

「退路?」

 

「……燃える。焼く。道を開ける」

 

短い。

具体的。

感情がない。

 

それが余計に怖かった。

 

“守る”ではない。

“救う”ではない。

“道を開ける”。

 

生き残らせるための、最短の答え。

 

夕張は言葉を探す。

 

「それって……相手を、全部……」

 

「……必要分だけ」

 

明石が小さく息を吐いた。

 

「最低限、ってやつ?」

 

「……そう」

 

ハヤトは言い切り、そこで口を閉じた。

 

“最低限”

その言葉が、何故か一番重い。

 

⸻

 

戦線は保たれていた。

 

だが、艦娘達の息は確実に荒くなる。

 

「……弾薬、残量注意!」

 

霧島が冷静に告げる。

 

「榛名、回避行動――!」

 

榛名が返す。

 

「榛名は大丈夫です!……でも、数が……!」

 

瑞鶴の声が跳ねる。

 

「くっ……!ほんと、しつこい!」

 

翔鶴が諭すように言う。

 

「瑞鶴、熱くならないで。今は持久戦よ」

 

加賀が淡々と告げる。

 

「敵は持久戦を仕掛けている。こちらの消耗を待っている」

 

赤城は短く笑った。

 

「……なら、消耗する前に削り切るだけです」

 

その声が、かすかに震えていたことに、誰も触れない。

 

⸻

 

作戦室。

大淀が報告する。

 

「前線、維持。ただし、敵旗艦級が前に出ました。突破の意思あり」

 

白瀬提督は目を閉じたまま、数秒黙った。

そして目を開く。

 

「……工廠へ」

 

長門が一瞬、目を細める。

 

「呼ぶのか」

 

白瀬提督は答えない。

答えられない。

 

大淀が息を呑む。

 

白瀬提督は言う。

 

「“準備”だけだ。出さない。まだ出さない」

 

その言葉は、誰のためのものか分からなかった。

艦娘のためか。

鎮守府のためか。

それとも、自分自身のためか。

 

⸻

 

工廠。

通信機が鳴る。

 

明石が取る。

 

「はい、工廠!……えっ、提督?……了解!」

 

受話器を置いた明石が、ハヤトを見る。

 

「提督が……準備しておいて、って」

 

夕張が息を止める。

 

ハヤトは、頷いた。

 

「……了解」

 

それだけ。

 

簡易艤装が手渡される。

装着作業が始まる。

 

金属音。

留め具の締まる音。

工具の短い衝突音。

 

その間、ハヤトは一度も海から目を逸らさなかった。

 

明石が言う。

 

「……もし出るなら、葵さんのところ……」

 

「……分かってる」

 

短い。

 

夕張が小さく言った。

 

「……怖い?」

 

ハヤトは一瞬だけ、夕張を見る。

 

「……怖いのは、お前達だ」

 

それだけ言って、また前を向いた。

 

明石と夕張は、何も返せなかった。

 

⸻

 

海から砲声が響く。

 

鎮守府の中で、誰もが同じことを思っていた。

 

――このまま終わらせたい。

――終わらなかったら、どうする。

 

そして、

工廠の扉が開く。

 

白瀬提督と長門が姿を現した。

 

ハヤトは立っていた。

簡易艤装は装着済み。

無表情。

 

白瀬提督は、言葉を選ぶように一度だけ息を吐き――

 

「ハヤトさん」

 

その名を呼んだ。

 

ハヤトは短く答えた。

 

「……命令か」

 

長門が、目を伏せる。

 

白瀬提督は、まだ言い切れない。

 

出せば、勝てる。

だが、勝ち方が変わる。

 

工廠の空気が、凍る。

 

そして――

遠くから、もう一段低い砲声が響いた。

 

前線が、崩れかけた音だ。

 

白瀬提督の喉が動く。

 

次の言葉が、鎮守府の未来を変える。

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