※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第28話 それでも残るもの

 

鎮守府に戻った後も、

誰もすぐには口を開けなかった。

 

出撃帰りの甲板。

潮の匂いと、まだ熱の残る空気。

 

曙は手すりに掴まったまま、動けずにいた。

 

「……」

 

息は整っている。

怪我もない。

艤装も致命的な損傷はない。

 

それでも、胸の奥がざわついて仕方がなかった。

 

⸻

 

「……曙」

 

満潮が、静かに声をかける。

 

「……なに」

 

「……無事、だよね」

 

確認するような声だった。

自分に言い聞かせるようでもあった。

 

「……うん」

 

曙はそう答えたが、

その声に自信はなかった。

 

無事。

確かに、結果だけ見ればそうだ。

 

でも――

 

⸻

 

「……ねえ、満潮」

 

「ん?」

 

「……あれさ……」

 

曙は言葉を探す。

 

「……怖かった?」

 

満潮は、一瞬だけ視線を逸らした。

 

「……怖かった」

 

即答だった。

 

「……正直、今までで一番」

 

曙は驚いた。

満潮が、そんなふうに言うのは珍しい。

 

「……私も」

 

小さく、曙は続ける。

 

「深海棲艦じゃなくて……」

 

言葉が、詰まる。

 

「……“あれ”が」

 

満潮は否定しなかった。

 

「……うん」

 

⸻

 

少し離れた場所で、

赤城と加賀は並んで立っていた。

 

赤城は空を見上げている。

いつもより、ずっと静かだった。

 

「……加賀」

 

「何?」

 

「……私は、間違っていたかもしれないわ」

 

加賀が、わずかに目を細める。

 

「何の話?」

 

「……ハヤトさん」

 

赤城は、はっきり名前を出した。

 

「……力の話じゃない。危険かどうかの話でもない」

 

一拍置いて、続ける。

 

「……“止まれるかどうか”の話」

 

加賀は黙って聞いている。

 

赤城は言葉を選びながら続けた。

 

「……あの状況で、彼は殲滅できた」

 

「……ええ」

 

「それでも、止めた」

 

「……そうね」

 

赤城は、ゆっくり振り返る。

 

「……あれは命令だったのかしら?」

 

加賀は即答しなかった。

 

少し考えてから、答える。

 

「……違うと思う」

 

「……どうして?」

 

「……彼自身の“線”」

 

赤城は、その言葉を反芻する。

 

「……線」

 

⸻

 

その時、

甲板の向こう側に、ハヤトの姿が見えた。

 

簡易艤装は外され、

いつもの黒いコートに戻っている。

 

葵はいない。

 

ただ、

一人で立って、海を見ていた。

 

赤城は、自然と歩き出していた。

 

⸻

 

「……ハヤトさん」

 

声をかけると、

彼はゆっくり振り向いた。

 

無表情。

だが、威圧はない。

 

「……何だ」

 

短い。

 

赤城は一瞬だけ迷い、

それでも、まっすぐ聞いた。

 

「……あの時、どうして攻撃を止めたの?」

 

沈黙。

 

風の音だけが流れる。

 

満潮と曙は、少し離れた場所で息を呑む。

加賀も、視線を向けた。

 

ハヤトは、赤城を見ている。

 

責められているとは思っていない。

問いを、問いとして受け取っている目だった。

 

「……役目は終わった」

 

それだけ。

 

赤城は眉をひそめる。

 

「……それだけ?」

 

「……それ以上は、必要なかった」

 

淡々とした声。

 

赤城は、思わず一歩踏み込む。

 

「……もし、あのまま続けていたら?」

 

「……全て消えていた」

 

即答だった。

 

ざわり、と空気が揺れる。

 

「……それは、私達にとって“安全”だったかもしれない」

 

赤城は続ける。

 

「……でも、あなたはやらなかった」

 

ハヤトは、少しだけ視線を落とした。

 

「……俺は、守ると決めたもの以外は、壊さない」

 

「……それが、“線”?」

 

赤城の問いに、

ハヤトは短く頷いた。

 

「……越えれば、戻れない」

 

その言葉は、重かった。

 

説明はない。

脅しでもない。

 

ただの事実として、置かれた。

 

⸻

 

赤城は、息を吸った。

 

「……怖いわ」

 

正直な言葉だった。

 

「……あなたは、とても怖い」

 

ハヤトは否定しない。

 

「……分かっている」

 

赤城は、それでも目を逸らさなかった。

 

「……でも」

 

一拍。

 

「……止まったあなたを見て、少しだけ……安心した」

 

その言葉に、

周囲の空気が、わずかに緩む。

 

ハヤトは、何も言わない。

 

ただ、ほんの僅か――

目を伏せた。

 

⸻

 

満潮が、ぽつりと呟く。

 

「……止まれる怪物、か」

 

曙は、それを聞いて苦笑する。

 

「……皮肉ね」

 

加賀は静かに言った。

 

「……だからこそ、余計に怖いのよ」

 

誰も、それを否定しなかった。

 

⸻

 

赤城は、最後に言った。

 

「……私達は、まだ選びきれてない」

 

「……それでいい」

 

ハヤトは答える。

 

「……選べ」

 

命令ではなかった。

 

強制でもなかった。

 

ただ、

待つという選択。

 

⸻

 

ハヤトは再び海へ視線を戻す。

 

赤城達は、その背中を見ていた。

 

救われた事実。

消えない恐怖。

そして――

 

それでも、目を逸らせなくなった存在。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

――選択の責任

 

通信室は静まり返っていた。

 

遮音処理された壁。

低く唸る機材音。

卓上に設置されたモニターが、ゆっくりと起動する。

 

白瀬提督は、背筋を伸ばしたまま敬礼した。

 

「呉鎮守府司令、白瀬。

 本日の深海棲艦襲撃に関する報告を行います」

 

画面の向こうに映るのは、

日本海軍・司令長官。

 

「……始めてくれ」

 

声は落ち着いている。

だが、事前に届いている速報を考えれば、

この報告が“軽いものではない”ことは明らかだった。

 

⸻

 

「本日〇時〇分、

 呉鎮守府近海において深海棲艦小規模艦隊を確認」

 

白瀬は、淡々と続ける。

 

「編成は重巡級を主軸に、軽巡・駆逐相当を含む混成。

 明確な進軍意図を持ち、鎮守府正面海域へ侵攻」

 

司令長官は頷いた。

 

「迎撃は?」

 

「第一次迎撃として、

 赤城、加賀を中心とした航空隊を展開。

 曙、満潮、北上、大井を含む随伴艦がこれを支援」

 

「……だが包囲された、と」

 

「はい」

 

白瀬は一瞬、言葉を選ぶ。

 

「敵は意図的に戦線を引き延ばし、

 航空隊の再編成タイミングを狙って包囲網を形成しました」

 

「……巧妙だな」

 

「ええ。

 その時点で、当該艦娘6名は撤退困難な状況に陥りました」

 

⸻

 

司令長官は、しばし沈黙した後、問いを投げる。

 

「……そこで“彼”を動かしたのだな」

 

白瀬は、否定しない。

 

「はい」

 

一拍。

 

「ハヤトを、救出支援として投入しました」

 

室内の空気が、わずかに重くなる。

 

⸻

 

「理由を聞こう」

 

司令長官の声は、責めるものではない。

だが、甘くもない。

 

白瀬は、真っ直ぐ答えた。

 

「第一に、時間です」

 

「ほう」

 

「航空隊再編成には最低でも数分。

 その間、包囲を維持された場合、

 損耗、あるいは轟沈の可能性がありました」

 

「……通常戦力では間に合わなかった、と」

 

「はい」

 

白瀬は続ける。

 

「第二に、投入規模を最小限に抑える必要がありました」

 

「説明を」

 

「大規模戦力を追加投入すれば、

 敵主力を刺激し、さらなる増援を呼ぶ恐れがあった」

 

司令長官は、ゆっくりと頷く。

 

「……つまり」

 

「一点突破による退路確保。

 殲滅ではなく、“救出”を最優先とする判断です」

 

⸻

 

司令長官は、そこで一つ、核心を突く。

 

「……彼は、殲滅できたはずだな?」

 

白瀬は、はっきり答えた。

 

「はい」

 

「それでも?」

 

「……それでも、止まりました」

 

司令長官の眉が、わずかに動く。

 

「命令か?」

 

「いいえ」

 

白瀬は首を横に振る。

 

「現場判断です。

 彼自身の」

 

⸻

 

「……危険だと思わなかったか?」

 

その問いは、重い。

 

白瀬は一度、息を吸った。

 

「正直に申し上げます」

 

「構わん」

 

「恐怖は、あります」

 

即答だった。

 

「彼は、明らかに通常の戦力ではありません。

 制御を誤れば、被害は計り知れない」

 

「……だが動かした」

 

「はい」

 

白瀬は、視線を逸らさずに言う。

 

「なぜなら――

 彼は、“線を越えなかった”」

 

司令長官は黙って聞いている。

 

「敵を消し飛ばす力がありながら、

 彼は撤退路を焼き払い、制圧射撃に留めた」

 

「……救出を優先した、と」

 

「はい」

 

⸻

 

「……評価は?」

 

司令長官の問いに、白瀬は即答しなかった。

 

だが、やがて言葉を選び、告げる。

 

「危険な存在です」

 

一拍。

 

「しかし、

 “ただの怪物”ではありません」

 

「理由を」

 

「彼は選びました」

 

白瀬の声に、迷いはなかった。

 

「殲滅ではなく、救出を。

 勝利ではなく、帰還を」

 

司令長官は、静かに目を閉じる。

 

⸻

 

「……君は、責任を取る覚悟はあるか?」

 

「あります」

 

即答だった。

 

「今回の判断が誤りであれば、

 全て私の責任です」

 

沈黙。

 

長い、長い沈黙。

 

やがて司令長官は、低く言った。

 

「……記録は極秘扱いとする」

 

白瀬は、僅かに息を吐く。

 

「引き続き、観察を続けろ」

 

「了解しました」

 

「だが忘れるな」

 

司令長官の声が、少しだけ厳しくなる。

 

「“止まれる”という事実は、

 同時に“越えた時の危険”も示している」

 

「……承知しております」

 

「線を越えさせるな」

 

「はい」

 

⸻

 

通信が切れる。

 

モニターが暗転する。

 

白瀬提督は、しばらくその場に立ったまま動かなかった。

 

守れた。

だが、何も終わっていない。

 

選んだ。

だが、答えはまだ出ていない。

 

それでも――

 

「……それでも、俺は同じ判断をするだろうな」

 

独り言のように呟き、

白瀬はゆっくりと席を立った。

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