※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第29話 声が、増える

 

鎮守府防衛戦から一夜が明けた。

 

大きな損害は出なかった。

誰も欠けなかった。

それは事実だ。

 

だが、鎮守府の空気は、確実に変わっていた。

 

⸻

 

朝の廊下。

 

警備の交代時間。

いつもなら雑談が飛び交うはずの時間帯に、今日は微妙な間がある。

 

そこに――

ハヤトが立っていた。

 

いつも通り、無表情。

いつも通り、腕を組み、壁際に立つ姿。

 

変わっていない。

だが、周囲が変わっていた。

 

⸻

 

最初に足を止めたのは、駆逐艦だった。

 

「……」

 

曙が、少しだけ距離を取ったまま立ち止まる。

 

視線が合う。

ハヤトは何も言わない。

 

曙は一瞬、唇を噛み――

それでも、顔を上げた。

 

「……あの時」

 

声が少し震えている。

 

「赤城さん達、助けたの……あんたでしょ」

 

沈黙。

 

ハヤトは、ただ曙を見る。

 

「……」

 

「べ、別に感謝してるわけじゃないから!」

 

早口になる。

 

「でも……死ななかったのは事実だし……」

 

言葉が続かない。

 

「……その……」

 

一歩、踏み出す。

 

「……ありがと」

 

小さな声だった。

 

だが、はっきりと届く。

 

ハヤトは、少しだけ視線を伏せた。

 

「……任務だ」

 

短い返答。

 

それ以上は言わない。

 

曙は一瞬だけ驚いた顔をして、

それから、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「……そう」

 

そう言って、足早に去っていく。

 

背中はまだ強張っていたが、

逃げるようではなかった。

 

⸻

 

その様子を、満潮が見ていた。

 

「……曙」

 

「なによ」

 

「ちゃんと言えたじゃない」

 

「……うるさい」

 

だが満潮は、ハヤトの方を見る。

 

「……あの時さ」

 

視線は外したまま。

 

「……包囲、焼き払ってくれたでしょ」

 

「……」

 

「正直、怖かった」

 

正直な声だった。

 

「でも……あれがなかったら、私達……」

 

言葉を切り、深呼吸。

 

「……助かった。ありがとう」

 

満潮は頭を下げた。

 

深くはない。

だが、逃げない姿勢だった。

 

ハヤトは、黙ったまま。

 

やがて、ほんのわずかに頷く。

 

「……生きて帰った。それでいい」

 

満潮は、目を見開いた。

 

「……それだけ?」

 

「それ以上はいらない」

 

満潮は一瞬、何か言いかけて――

結局、何も言わずに背を向けた。

 

だがその歩き方は、昨日より軽かった。

 

⸻

 

少し離れた場所で、北上と大井が様子を見ていた。

 

「……北上さん」

 

「んー?」

 

「怖くないんですか」

 

北上は顎に指を当てる。

 

「怖いよ〜?」

 

即答だった。

 

「普通に」

 

大井は驚く。

 

「でもさ」

 

北上は続ける。

 

「怖いからって、見なかったことにするのも違うでしょ」

 

「……」

 

「止まったんだよ、あの人」

 

「……」

 

「止まれる人は、完全には壊れてない」

 

北上は、ふっと笑った。

 

「少なくとも、私はそう思うかな〜」

 

大井は少し考え――

ハヤトの方を見る。

 

目が合う。

 

心臓が跳ねる。

 

それでも、大井は一歩前に出た。

 

「……あの」

 

声が硬い。

 

「……北上さんを、守ってくれて……ありがとう」

 

ハヤトは首を横に振る。

 

「……任務の範囲だ」

 

「……それでも」

 

大井は深く頭を下げた。

 

北上は、その背中を軽く叩く。

 

「はいはい、行こ行こ」

 

二人は去っていく。

 

⸻

 

空母甲板では、赤城と加賀が並んでいた。

 

「……」

 

赤城は、ハヤトを遠くから見ていた。

 

「赤城」

 

「……はい」

 

「どう思いますか」

 

加賀の問いに、赤城は少し考える。

 

「……怖いです」

 

素直な答えだった。

 

「でも……」

 

視線を逸らさず続ける。

 

「……あの時、攻撃を止めた理由が、分かってしまった気がします」

 

「……」

 

「勝てたのに、勝たなかった」

 

赤城は静かに息を吐く。

 

「……それは、信頼とは違います」

 

「……」

 

「でも……無視できない事実です」

 

加賀は、わずかに頷いた。

 

「……私も、同意見です」

 

二人は、ハヤトの方へ歩く。

 

距離はまだある。

だが、止まらない。

 

赤城が口を開く。

 

「……あの時」

 

ハヤトは振り向く。

 

「撤退路を確保してくれて、ありがとうございました」

 

一瞬、空気が張る。

 

「……感謝しています」

 

赤城は、深く頭を下げた。

 

加賀も、続く。

 

「……同様です」

 

ハヤトは、静かに二人を見る。

 

「……判断しただけだ」

 

「それでもです」

 

赤城は顔を上げた。

 

「……ありがとうございました」

 

ハヤトは、わずかに目を伏せる。

 

「……無事で良かった」

 

それだけだった。

 

だが、その一言に、二人は確かな何かを感じ取った。

 

⸻

 

夕方。

 

食堂では、いつもより静かなざわめきがあった。

 

葵が配膳をしている。

 

艦娘達の視線は、時折ハヤトに向く。

 

恐怖。

警戒。

だが――感謝も、確かに混じっている。

 

「……声、増えたね」

 

潮が小声で吹雪に囁く。

 

「……うん」

 

吹雪は頷く。

 

「まだ、全員じゃない」

 

「……でも」

 

「選ぶ人は、増えてる」

 

吹雪の言葉に、潮は静かに頷いた。

 

⸻

 

ハヤトは、相変わらず多くを語らない。

 

立ち位置も変わらない。

態度も変わらない。

 

だが――

声をかける者が、増えていた。

 

距離を詰める者が、少しずつ増えていた。

 

誰も宣言しない。

誰も強制しない。

 

それでも、鎮守府は気づき始めていた。

 

恐怖と共に在る選択が、

確かに存在することを。

 

⸻

 

その様子を、白瀬提督は遠くから見ていた。

 

「……始まったな」

 

長門が隣に立つ。

 

「はい」

 

「答えは出ていない」

 

「ええ」

 

白瀬は、静かに言った。

 

「だが――選ぶ者が増えるということは、

 それだけ“共に在る未来”を考え始めたということだ」

 

長門は腕を組み、前を見つめる。

 

「……恐怖が消えたわけではない」

 

「消える必要はありません」

 

白瀬は答える。

 

「恐怖を抱いたまま、それでも前に立つ」

 

「……それが、軍人だな」

 

「ええ」

 

二人は、何も言わずにその光景を見守った。

 

⸻

 

ハヤトは、今日も無表情のまま立っている。

 

だが――

彼の周囲は、確実に変わり始めていた。

 

それは歓待ではない。

許しでもない。

 

選択だった。

 

そしてその選択は、

静かに、しかし確実に、鎮守府に広がり始めていた。

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