※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第30話 まだ選べない、でも踏み出してしまった

昼下がりの鎮守府は、静かだった。

 

遠くで聞こえる波の音。

工廠から響く金属音。

それ以外は、驚くほど穏やか。

 

正門付近。

いつもの位置に、ハヤトは立っていた。

 

腕は組まず、背筋を伸ばし、視線は遠く。

誰にも声をかけず、誰にも近づかない。

 

それを、曙は廊下の陰から見ていた。

 

「……今日も、いるわね」

 

ぽつりと零した声に、

 

「当たり前でしょ。警備だもん」

 

隣で腕を組む満潮が答える。

 

「……分かってる」

 

分かっている。

それでも、視線を外せない。

 

怖いのか、と聞かれたら、分からない。

嫌なのか、と聞かれたら、それも違う。

 

「曙」

 

「なによ」

 

「まだ、決められない?」

 

満潮の声は、責めるでもなく、急かすでもなかった。

 

「……決める必要、ある?」

 

「さあね。でも、皆それぞれ考えてる」

 

曙は鼻で笑った。

 

「考えてるふり、でしょ」

 

満潮は否定しなかった。

 

⸻

 

その時だった。

 

ガシャン――。

 

食堂の方から、はっきりとした音が響いた。

 

「っ……!」

 

曙と満潮が同時に振り向く。

 

食堂の入口近く。

床に散らばる皿の破片。

その前で、立ち尽くす新人の駆逐艦娘。

 

「……あ」

 

その子の視線の先。

 

しゃがみ込んで、破片を見ている葵。

 

「大丈夫? 手、切ってない?」

 

優しい声。

 

だが――

 

「……っ、ご、ごめんなさい……!」

 

新人艦娘は一歩、後ずさった。

 

声が震えている。

 

曙は歯噛みした。

 

(……また、これ)

 

沈黙。

周囲の空気が、わずかに硬くなる。

 

誰も悪くない。

でも、誰も動けない。

 

⸻

 

「……ちょっと」

 

気づいた時には、曙は前に出ていた。

 

「え……?」

 

新人艦娘が戸惑った声を出す。

 

「割れただけでしょ。

 怪我してなきゃ、別に大騒ぎすることじゃないわ」

 

自分の声が、思ったよりはっきりしていて、曙自身が驚く。

 

「で、手は?」

 

「……あ、はい。大丈夫です」

 

「じゃあいいじゃない」

 

そう言って、曙はしゃがみ込み、破片を拾い始めた。

 

「ちょ、曙! 素手で触らない!」

 

慌てて満潮も駆け寄る。

 

「分かってるわよ!」

 

「分かってない顔してる!」

 

「うるさい!」

 

言い合いながらも、二人で破片を集める。

 

周囲から、ひそひそと声が漏れる。

 

「……いいの? 近づいて」

「怖くないの……?」

「もし、何かあったら……」

 

曙は聞こえないふりをした。

 

⸻

 

その時、背後に気配を感じる。

 

振り返らなくても分かる。

 

ハヤトだ。

 

新人艦娘が息を呑む。

 

「……っ」

 

満潮も一瞬、言葉を失う。

 

ハヤトは近づかない。

視線を向けているだけ。

 

「……」

 

何も言わない。

それが、逆に重い。

 

曙は、深呼吸した。

 

(……見られてる)

 

それでも、手は止めなかった。

 

「はい、終わり」

 

破片をまとめ、立ち上がる。

 

「……ご、ごめんなさい……」

 

新人艦娘が俯く。

 

曙は一瞬、言葉に詰まった。

 

何を言えばいいのか、分からない。

 

だから、正直に言った。

 

「……無理しなくていいわよ」

 

「え……?」

 

「怖いなら、距離取っていい。

 それを責めるつもりもないし」

 

新人艦娘は目を見開く。

 

「でもね」

 

曙は続けた。

 

「誰かが怪我しそうな時まで、

 黙ってる必要はないでしょ」

 

⸻

 

沈黙。

 

葵が、静かに立ち上がる。

 

「……ありがとう、曙ちゃん」

 

曙は顔を逸らした。

 

「別に……」

 

「でも」

 

葵は優しく言った。

 

「踏み出してくれたこと、嬉しい」

 

「……踏み出してない」

 

即座に否定する。

 

「選んだわけじゃないし。

 まだ、分かんないままだから」

 

葵は少しだけ首を傾げ、

 

「それでいいんだよ」

 

と、微笑んだ。

 

その一言で、胸の奥が少し緩む。

 

⸻

 

満潮が小さく笑う。

 

「曙さ」

 

「なによ」

 

「今の、完全に一歩だったよ」

 

「違う!」

 

即答する。

 

「勝手に体が動いただけ!」

 

「それを一歩って言うの」

 

「……うるさい」

 

だが、否定しきれない。

 

⸻

 

その時、ハヤトが動いた。

 

ほんの僅か、曙の方を見る。

 

そして――

小さく、頷いた。

 

それだけ。

 

言葉はない。

評価も、感謝もない。

 

でも、不思議と――

怖くなかった。

 

⸻

 

夕方。

 

食堂の前で、曙は葵とすれ違った。

 

「……さっきは」

 

「うん」

 

葵は頷く。

 

「ありがとう」

 

「……だから、選んでないって言ってるでしょ」

 

葵は、少し笑った。

 

「知ってる」

 

それが、逆に救いだった。

 

⸻

 

選べない者は、まだいる。

曙も、その一人だ。

 

でも。

 

放っておけなかった。

それだけで、十分だったのかもしれない。

 

⸻

 

正門の方を見る。

 

ハヤトは、いつもの位置に立っている。

 

変わらない姿。

変わらない沈黙。

 

それでも――

 

「……明日も、いるんでしょ」

 

小さく呟く。

 

答えはない。

 

でも、曙は初めて、

その沈黙が“拒絶”ではないと感じていた。

 

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