※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第32話 噂の温度

朝の鎮守府は、いつもより少しだけ騒がしかった。

 

理由ははっきりしていない。

だが、空気がざわついている。

 

廊下を歩く足音が多い。

声が小さい。

笑い声が途中で途切れる。

 

曙はそれを肌で感じながら歩いていた。

 

(……なによ)

 

すれ違う艦娘が、ほんの一瞬こちらを見る。

そして目を逸らす。

 

二人組が、会話を止める。

 

三人組が、声量を落とす。

 

(最悪)

 

曙は顔に出さないようにしながら、心の中で舌打ちした。

 

背後から声。

 

「曙」

 

「なに」

 

振り向かなくても分かる。満潮だ。

 

「広がってるね」

 

「何が」

 

「昨日の話」

 

「知らない」

 

「嘘」

 

「知らないって言ってる」

 

満潮は追いついて横に並ぶ。

 

「食堂のこと。正門のこと。両方」

 

曙は足を止めた。

 

「……正門のことまで?」

 

満潮は頷く。

 

「見てた人、結構いた」

 

「なんでよ」

 

「正門は見える場所だから」

 

「……最悪」

 

満潮は小さく笑った。

 

「でも悪い噂じゃない」

 

「噂に良いも悪いもある?」

 

「あるよ。

“曙が取り入ろうとしてる”じゃなくて

“曙が普通に話してた”になってる」

 

曙は眉を寄せた。

 

「どっちも嫌」

 

「曙らしい」

 

「褒めてない」

 

「褒めてる」

 

⸻

 

食堂に入ると、空気がまた変わった。

 

静かになる、まではいかない。

だが、密度が変わる。

 

潮が先に気づいて手を振った。

 

「曙ちゃん、満潮ちゃん、こっち」

 

曙は少しだけほっとした顔をしたのを、自分で隠した。

 

席につくと、霞と初霜、時雨もいる。

 

霞が言う。

 

「有名人」

 

「言うな」

 

「事実」

 

「やめて」

 

満潮が笑う。

 

「今、鎮守府で一番名前出てる」

 

曙が睨む。

 

「黙れ」

 

潮が慌てる。

 

「で、でもね、悪い感じじゃないよ」

 

「どうだか」

 

時雨が柔らかく言う。

 

「怖いって言ってた子が、

“曙さんが普通に話してた”って言ってた」

 

曙は一瞬黙った。

 

「……普通じゃない」

 

初霜が言う。

 

「普通でした」

 

「初霜まで言うな」

 

「事実です」

 

霞がぼそっと言う。

 

「これでまた距離が少し縮んだ」

 

曙が即座に否定する。

 

「縮んでない」

 

満潮が言う。

 

「縮んだよ」

 

「縮んでない!」

 

時雨が笑う。

 

「曙は“縮んだことにされる”のが嫌なんだよね」

 

曙は黙る。

 

図星だった。

 

⸻

 

その時、食堂の入口が少しざわついた。

 

葵が入ってきた。

 

空気がほんの少しだけ張る。

でも昨日ほどではない。

 

視線は集まる。

だが、露骨ではない。

 

(……違う)

 

昨日より、硬くない。

 

潮が小さく言った。

 

「……減ってる」

 

曙が聞き返す。

 

「なにが」

 

「怖がり方」

 

満潮がうなずく。

 

「うん。見方が変わってきてる」

 

霞が腕を組む。

 

「観察対象から、存在に変わった感じ」

 

曙が言う。

 

「言い方」

 

「正確」

 

⸻

 

葵がこちらに気づいて、軽く会釈する。

曙は一瞬迷ってから、同じように小さく返した。

 

満潮が小声で言う。

 

「昨日より自然」

 

「うるさい」

 

「事実」

 

葵はトレーを持って近づいてきた。

 

「一緒いい?」

 

時雨が笑う。

 

「どうぞ」

 

葵が座る。

少し間があってから言った。

 

「今日、少し空気違うね」

 

霞が即答する。

 

「原因あなたたち」

 

葵は苦笑した。

 

「やっぱり?」

 

曙がぼそっと言う。

 

「昨日よりマシ」

 

葵は曙を見る。

 

「うん。そう見える」

 

曙は目を逸らした。

 

「見えるだけ」

 

「それで十分だよ」

 

⸻

 

少しして、食堂の奥の扉が開いた。

 

白瀬提督が入ってくる。

 

会話が自然に止まる。

威圧ではない。

だが、場が整う。

 

提督は周囲を見渡してから、いつも通りの声で言った。

 

「おはよう」

 

「おはようございます」

 

声が揃う。

 

提督は食事を受け取りながら、自然に言う。

 

「昨日、少し騒がしかったな」

 

空気が一瞬止まる。

 

曙の背中が固くなる。

 

だが提督は続けた。

 

「皿は割れる。

 人は慌てる。

 それでいい」

 

誰も何も言わない。

 

提督は振り向かずに言った。

 

「ただし」

 

少し間。

 

「誰かが手を出したなら、

 それは評価する」

 

曙の心臓が強く鳴った。

 

満潮が横で小さく笑う。

 

霞がぼそっと言う。

 

「完全に聞こえてたわね」

 

初霜が言う。

 

「当然です」

 

葵は何も言わない。

ただ、少しだけ微笑んでいた。

 

⸻

 

提督は席につかず、そのまま出入口へ戻る。

途中で一度だけ止まり、振り向かずに言った。

 

「噂より、目で見ろ」

 

それだけ言って出ていった。

 

沈黙。

 

そして、同時に息が抜けた。

 

時雨が言う。

 

「助けたね」

 

満潮がうなずく。

 

「完全に」

 

曙は小さく言った。

 

「……ずるい」

 

霞が聞き返す。

 

「何が」

 

「言い方」

 

葵が静かに言う。

 

「でも、ああいう人だから、ここは持ってる」

 

曙は否定しなかった。

 

⸻

 

食堂の外。

 

正門の方を見ると、今日もハヤトは立っている。

 

変わらない姿勢。

変わらない沈黙。

 

でも。

 

昨日と同じには見えなかった。

 

曙は小さく呟く。

 

「……噂より、目で見ろ、か」

 

満潮が横で言う。

 

「見る?」

 

曙は少しだけ考えて、

 

「……見るだけ」

 

そう答えた。

 

それで、十分だった。

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