※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第33話 湯気の向こうで

 

朝の空気は、昨日より少しだけ軽かった。

 

廊下を歩く足音がいつも通りに戻って、

笑い声が途中で途切れることも減った。

それでも、完全に元通りではない。

 

鎮守府という場所に、

“今までいなかったもの”がいる。

その事実が、まだ皮膚の下でざわついている。

 

食堂の換気扇が唸り、

味噌汁の湯気が上がる。

 

曙はトレーを持ったまま、入口で一瞬止まった。

 

(……見られてる)

 

視線が、昨日より柔らかい。

でも、確かにある。

 

後ろから、肩が軽くぶつかった。

 

「止まるなって」

 

満潮の声。

 

「……ぶつかるなって」

 

曙が小声で返すと、満潮はしれっと言った。

 

「ぶつかってない。曙が遅いだけ」

 

「私のペースなの」

 

「昨日から曙のペース、変」

 

「変じゃない」

 

「変」

 

曙は睨み返す。

 

「……あんた、今日も喧嘩売ってる?」

 

満潮は肩をすくめた。

 

「買ってほしい?」

 

「買わない」

 

「じゃあ座ろ」

 

満潮は曙の背中を軽く押して、空いている席へ誘導した。

 

曙は不満そうにしながらも、結局そこに座る。

 

「……強引」

 

「曙、放っとくと一生入口で固まる」

 

「固まってない」

 

「固まってた」

 

「……うるさい」

 

⸻

 

席には潮と初霜、少し離れたところに時雨、

奥の方には長門と吹雪がいるのが見えた。

 

潮が曙たちに気づいて、小さく手を振る。

 

「曙ちゃん、満潮ちゃん、こっち空いてるよ」

 

満潮が即答した。

 

「行く」

 

曙は渋い顔をする。

 

「……別にここでも」

 

「ここだと背中が落ち着かない」

 

「……それは、まあ」

 

結局、二人は潮たちの席へ移動した。

 

席に着くと、潮が小声で言った。

 

「今日、少しだけ……楽そう」

 

曙は思わず顔をしかめる。

 

「……楽じゃない」

 

満潮が横で言う。

 

「楽になってる」

 

「なってない!」

 

初霜が淡々と結論を言った。

 

「なっています」

 

曙が初霜を睨む。

 

「初霜まで言うな」

 

「事実です」

 

時雨が少し離れた席から、聞こえるように言った。

 

「曙、反応が元気になってるからね」

 

曙は机に突っ伏しそうになる。

 

「……やめて。観察しないで」

 

「観察じゃなくて、安心」

 

時雨は笑いながら言う。

 

「みんな、昨日の噂で疲れたんだよ。

だから今日は“普通”が増えると嬉しい」

 

曙はむっとした。

 

「……普通ってなによ」

 

潮が慌てて言う。

 

「あっ、えっとね、悪い意味じゃなくて……」

 

初霜が補足する。

 

「昨日の緊張が、今日緩んでいる。

それは良い兆候です」

 

満潮が頷いた。

 

「そう。緩んだ分、考えられる」

 

曙が眉を寄せる。

 

「緩んだ分?」

 

満潮は当たり前みたいに言う。

 

「昨日は張りすぎて、言葉が出なかった。

今日は少し喋れる。だから“次”が見える」

 

曙は黙った。

 

(……満潮のくせに、たまに正しいこと言う)

 

その瞬間、満潮がこちらを見る。

 

「今、失礼なこと考えたでしょ」

 

曙が即座に返す。

 

「考えてない」

 

「嘘」

 

「嘘じゃない」

 

潮が小さく笑った。

 

「二人、今日も仲良いね」

 

「違う!」

 

曙と満潮が同時に言って、霞の舌打ちがどこからか聞こえた気がした。

 

⸻

 

食堂の入口が少しざわつく。

 

葵が入ってきた。

 

昨日より空気は硬くない。

でも、視線が集まるのは変わらない。

 

葵はいつも通り穏やかで、

その穏やかさが、逆に“普通じゃない”のに、

今日の鎮守府はそれを少し受け入れているように見えた。

 

葵がトレーを持って、こちらに会釈する。

 

曙は一瞬迷ってから、昨日より自然に軽く会釈を返した。

 

満潮が小声で言う。

 

「今の、昨日より全然いい」

 

「うるさい」

 

「褒めてる」

 

「褒めなくていい」

 

葵が少し遅れてこちらに近づき、遠慮がちに言った。

 

「……ここ、座ってもいい?」

 

時雨がすぐ答える。

 

「どうぞ」

 

潮も頷いた。

 

「うん、どうぞ……!」

 

初霜は何も言わないが、席を詰める。

 

葵が座ると、ほんの少しだけ沈黙。

 

その沈黙を切ったのは、意外にも曙だった。

 

「……今日は、食堂で皿割れなかった?」

 

言った瞬間、曙自身が「何言ってんの私」と思ったが、

葵は困ったように笑った。

 

「うん。今日は大丈夫」

 

満潮がすかさず言う。

 

「昨日は事故。今日は平穏。明日は知らない」

 

曙が睨む。

 

「縁起でもない」

 

満潮は涼しい顔。

 

「現実」

 

葵はそのやり取りを見て、小さく笑った。

 

「二人、いいね」

 

曙がすぐ返す。

 

「よくない」

 

「いい」

 

葵は穏やかに言った。

 

「“言い合える”のって、安心する」

 

曙は言葉に詰まって、味噌汁を飲むふりをした。

 

(……こういうところが、ずるい)

 

⸻

 

そこへ、白瀬提督が食堂に入ってきた。

 

昨日と同じ。

威圧ではなく、空気が整う。

 

提督は周囲に軽く視線を投げ、

誰かを探すようでもなく、

必要なものを確認するようでもなく、

ただ“ここにいる全員”を見渡す。

 

そして、いつも通りの声。

 

「おはよう」

 

「おはようございます」

 

声が揃う。

 

提督は配膳を受け取ってから、

そのまま席へ向かわず、食堂の中央で足を止めた。

 

「……少しだけ、時間をもらう」

 

食堂が静かになる。

 

曙の背中が少し固くなる。

昨日の「噂より目で見ろ」が頭をよぎる。

 

提督は続けた。

 

「昨日、皿が割れた」

 

数人が息を呑む気配。

だが提督は淡々と、しかし柔らかく言った。

 

「事故だ。誰にでもある」

 

少し間を置き、

 

「ただ、事故のあとに“人がどう動くか”は、その場所の姿だ」

 

曙の心臓が鳴る。

 

提督は視線を曙の席へ――は、向けない。

向けないのに、言葉が届く。

 

「誰かが手を出した。

止めた。片付けた。声をかけた」

 

そして一呼吸。

 

「そういう行動が増える鎮守府は、強い」

 

食堂の空気が、ほんの少しだけ緩む。

 

提督は最後に短く言った。

 

「以上だ」

 

それだけ言って、提督は食堂を出ていった。

 

静寂のあと、

ぽつぽつと箸が動き出し、

やがて会話が戻る。

 

満潮が曙に小声で言う。

 

「……完全に助けてくれたね」

 

曙はぶっきらぼうに返す。

 

「……ずるい」

 

潮が小さく頷く。

 

「でも、安心した」

 

初霜が淡々と言った。

 

「提督は、言葉で整えるのが上手い方です」

 

時雨が笑う。

 

「うん。上手い。

だからこそ“次に何が来るか”も見てるんだろうね」

 

曙が眉を寄せる。

 

「次って?」

 

時雨は視線を落として、曖昧に言った。

 

「さあ。まだ噂の段階」

 

その言い方が、嫌に引っかかった。

 

⸻

 

食堂を出た後、

葵は廊下を歩きながら、少しだけ立ち止まった。

 

「……提督さん、今の言葉」

 

潮が小声で言う。

 

「かっこよかったよね」

 

葵は頷く。

 

「うん。嬉しかった」

 

曙は口を尖らせる。

 

「嬉しいとか言うと、また噂になる」

 

葵が曙を見る。

 

「噂って、怖い?」

 

曙は答えに詰まった。

 

満潮が代わりに言う。

 

「怖い。

“決めた”ってことにされるのが嫌なんだよ」

 

葵は少し考えてから言った。

 

「……決めてないって言っていいよ」

 

曙が反射で言い返す。

 

「言ったって、勝手に決められる」

 

葵は頷いた。

 

「うん。そうだね」

 

否定しない。

それが曙には少し救いだった。

 

葵は続ける。

 

「でも、決められたくないからって、何も言わないと……

今度は“何も言えない人”の方が苦しくなる」

 

曙の胸が少し痛む。

 

昨日、皿を割った新人艦娘の顔が浮かぶ。

 

(……あの子)

 

潮が小さく言った。

 

「私、昨日みたいに怖いって思っても、

今日はちゃんと“見よう”って思えた」

 

初霜が静かに頷く。

 

「変化です」

 

満潮が曙を見た。

 

「曙が作った変化」

 

「作ってない」

 

「作った」

 

「作ってないってば!」

 

葵は小さく笑った。

 

「……曙ちゃんは、自分のことになると頑固」

 

曙が睨む。

 

「頑固じゃない」

 

「頑固」

 

「……っ」

 

否定しようとして、言葉が詰まった。

 

⸻

 

その時、廊下の向こうから伝令役の艦娘が走ってきた。

少し息が上がっている。

 

「白瀬提督に、急ぎの連絡が入りました!」

 

周囲が少しだけざわつく。

 

伝令役は提督室の方向を指し、

そのまま走り去っていった。

 

潮が不安そうに言う。

 

「……急ぎの連絡って、何だろう」

 

時雨が遠くを見る。

 

「さあね。

でも、こういう時の“急ぎ”はだいたい上の方」

 

曙が眉を寄せる。

 

「上の方?」

 

満潮が小声で言う。

 

「海軍側の偉い人たち」

 

曙は鼻で笑う。

 

「いつも勝手に命令出すやつら?」

 

満潮が頷く。

 

「だいたいそう」

 

葵は何も言わないが、

少しだけ視線を落とした。

 

その表情が、曙の胸に引っかかる。

 

「……葵?」

 

曙が呼ぶと、葵は顔を上げた。

 

「うん。大丈夫」

 

曙はすぐ返す。

 

「大丈夫じゃない顔してる」

 

満潮が横から言う。

 

「曙、今の言い方、優しい」

 

「うるさい」

 

葵は小さく笑って、

でも、その笑いは少し薄かった。

 

⸻

 

提督室の前。

扉の向こうから、落ち着いた声が聞こえる。

 

白瀬提督の声。

相手は通信らしく、返答は聞こえない。

 

「……こちらは受領した。だが、保留する」

 

短い沈黙。

 

「理由? 現場の秩序が最優先だ。

不安を煽る命令は、結果的に戦力を落とす」

 

また沈黙。

 

「規定? 規定の話をするなら、現場の裁量も規定内だ」

 

言葉は柔らかいのに、芯が硬い。

 

曙は扉の前を通り過ぎながら、無意識に息を止めていた。

 

満潮が小声で言う。

 

「……提督、やってるね」

 

霞がどこからか現れて、ぼそっと言った。

 

「上と喧嘩してる」

 

「喧嘩じゃない」

 

初霜が淡々と訂正する。

 

「交渉です」

 

時雨が肩をすくめる。

 

「どっちでも同じ。

上は“手続き”が好きで、提督は“人”が好き」

 

曙は眉を寄せた。

 

「……人が好き?」

 

「嫌いじゃ、ここは回らない」

 

時雨はそれだけ言って、廊下の窓を開けた。

 

冷たい風が入ってくる。

 

⸻

 

その日の昼過ぎ。

 

葵は提督に呼ばれた。

 

呼びに来たのは間宮だった。

 

「葵さん、提督がお呼びです。

よかったら、温かいお茶も用意しますね」

 

葵は小さく頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

曙はたまたま廊下でそれを見かけ、足を止めた。

 

(……呼ばれた)

 

胸がざわつく。

 

満潮が横に来て言う。

 

「気になる?」

 

「気にならない」

 

「気になる」

 

「気にならない!」

 

霞が通りがかって、ぼそっと言った。

 

「気になるくせに」

 

「……うるさい」

 

⸻

 

提督室。

 

葵が入ると、白瀬提督は机から顔を上げて軽く会釈した。

 

「座ってくれ」

 

「失礼します」

 

間宮が用意したお茶の湯気が立つ。

湯気が、空気を少し柔らかくした。

 

提督はカップを置き、葵をまっすぐ見た。

 

「……今日、呼んだのは謝意と確認だ」

 

葵は瞬きをする。

 

「謝意、ですか」

 

「昨日の件」

 

提督は言葉を選んで言う。

 

「鎮守府の空気が揺れた。

だが、壊れなかった。

君の対応も、その一因だ」

 

葵はすぐ首を振った。

 

「私は……何もしてません。

むしろ、迷惑を……」

 

提督は即座に否定した。

 

「迷惑は、こちらが判断する。

君が判断することではない」

 

葵は言葉に詰まる。

 

提督は続けた。

 

「君は“圧”が怖いだろう」

 

葵の指先が、カップの縁で止まった。

 

「……怖い、というより」

 

「違うなら否定していい」

 

提督の声は穏やかだが、逃げ道を塞ぐ言い方ではない。

 

葵は小さく息を吐いた。

 

「……怖い、です。

でも、怖いと感じるのは、私の問題なので」

 

提督は首を振った。

 

「違う。

君が恐怖を感じるなら、それは“環境の問題”でもある」

 

葵は少し驚いた顔をする。

 

「提督さんは……そういう言い方をするんですね」

 

提督は少しだけ眉を上げた。

 

「君は、今ここにいる。

それだけで環境は変わる。

変化は良いことも、悪いことも引き起こす」

 

葵は黙って聞く。

 

提督は言う。

 

「だから確認だ。

君は、ここで何を望む?」

 

葵はすぐ答えられなかった。

 

望むものは簡単だ。

でも、それを言葉にした瞬間、

“望んだ”ことにされる気がした。

 

(……曙ちゃんと同じだ)

 

葵は静かに言った。

 

「私は……皆さんの邪魔になりたくない」

 

提督は頷いた。

 

「それは望みではなく、配慮だな」

 

葵が少し苦笑する。

 

「……そうかもしれません」

 

提督は湯気の向こうで、少しだけ視線を柔らかくした。

 

「君は“逃げ道”を残したいか」

 

葵の呼吸が止まりそうになる。

 

「……はい」

 

提督は頷いた。

 

「良い。逃げ道は必要だ。

逃げ道がない人間は、いつか折れる」

 

葵は小さく言った。

 

「……提督さんも、逃げ道を残す人ですか」

 

「残す。

ただし、全員が逃げ道に“落ちた”時は、誰かが踏ん張らないといけない」

 

葵はその言葉を噛みしめる。

 

提督は続けた。

 

「君は昨日、踏ん張った。

そして曙も踏ん張った。

鎮守府は、その事実を覚えておくべきだ」

 

葵はカップを握り直し、少し視線を落とした。

 

「……曙ちゃんは、まだ決めていません」

 

提督は頷く。

 

「知っている」

 

「決めてないのに、勝手に決められるのが怖いんです」

 

「知っている」

 

提督の即答に、葵は少しだけ救われたように息を吐いた。

 

提督は静かに言った。

 

「だから私は昨日、“噂より目で見ろ”と言った」

 

葵は顔を上げる。

 

「……あの言葉、届いていました」

 

「なら良い」

 

提督は少し間を置いて、声を低くした。

 

「もう一つ、確認がある」

 

葵の背筋が自然と伸びる。

 

「上から連絡が来ている」

 

葵の指先が、わずかに震えた。

 

提督は続ける。

 

「君たちの存在を“管理したい”連中がいる。

私はそれを好まない」

 

葵は息を飲む。

 

「……ハヤトは」

 

提督は断言しない。

だが、曖昧にも逃げない。

 

「彼は“戦力”だ。そう見られる。

だが、私は“人”として扱う。

それがこの鎮守府の方針だ」

 

葵は小さく言った。

 

「……それで、提督さんは困りませんか」

 

提督は苦笑した。

 

「困るに決まっている」

 

その言い方が、妙に人間臭くて、葵は少し笑いそうになった。

 

提督は続ける。

 

「だから君に頼みたい。

鎮守府が“壊れない”ように、君も自分を壊すな」

 

葵は言葉を探す。

 

「私は……」

 

提督は遮らず、待つ。

 

葵は静かに言った。

 

「私は、ここで……皆さんと、同じように呼吸したいです」

 

提督は頷いた。

 

「それで十分だ」

 

葵の胸の奥が、少しだけ緩んだ。

 

⸻

 

その頃、廊下では。

 

曙、満潮、霞、時雨、長門、吹雪が、

偶然を装いながら提督室の近くに集まっていた。

 

長門が低い声で言う。

 

「……お前たち、何をしている」

 

曙が即答する。

 

「してない」

 

満潮が即答する。

 

「してる」

 

曙が睨む。

 

「余計なこと言うな!」

 

吹雪が慌てて小声で言う。

 

「し、静かに……! 聞こえちゃうよ……!」

 

霞がぼそっと言った。

 

「もう聞こえてると思う」

 

時雨が楽しそうに言う。

 

「提督室の前でコソコソしてる方が怪しいよ」

 

長門が腕を組む。

 

「堂々と立て」

 

曙が言い返す。

 

「堂々と立てる場所じゃない!」

 

長門が真顔で返す。

 

「立てる」

 

「立てない!」

 

満潮が小声で言った。

 

「曙、顔が必死」

 

「必死じゃない!」

 

霞がため息。

 

「……必死よ」

 

吹雪が小さく手を振る。

 

「み、みんな……ほんとに……」

 

時雨が笑った。

 

「吹雪も気になってるくせに」

 

吹雪が赤くなる。

 

「ち、違います……! ただ、あの二人が……」

 

長門がふっと視線を遠くにやる。

 

「……我々も、あの二人をまだ測っている」

 

曙が小さく呟いた。

 

「測られてるのは、こっちかもしれない」

 

長門が曙を見る。

 

「……昨日、皿の件で動いたのはお前か」

 

曙が顔を逸らす。

 

「……たまたま」

 

長門は短く言った。

 

「よくやった」

 

曙が固まる。

 

「……やめて。そういうの」

 

長門は眉をひそめる。

 

「褒めるのが嫌か」

 

曙はぼそっと言う。

 

「決めたことにされる」

 

長門は少し考えてから言った。

 

「では、こう言おう。

“あれは鎮守府の動きだった”」

 

曙は少しだけ驚いた顔をした。

 

吹雪が小さく頷く。

 

「……うん、それ、いい言い方」

 

満潮が笑う。

 

「さすが長門、言い方が強い」

 

長門が睨む。

 

「褒めるなら正しく褒めろ」

 

「褒めてる」

 

「なら良い」

 

⸻

 

提督室の扉が開き、葵が出てきた。

 

全員が、反射的に姿勢を正しそうになって、

慌てて誤魔化す。

 

曙は壁の掲示物を急に読み始めた。

 

満潮は腕を組んで「通りすがり」を装う。

 

霞はそっぽを向き、時雨は普通に微笑む。

 

吹雪は挙動不審、長門だけ堂々。

 

葵がそれを見て、一瞬、目を丸くした。

 

「……みんな、どうしたの?」

 

時雨が即答する。

 

「偶然」

 

霞が即答する。

 

「通り道」

 

満潮が即答する。

 

「見回り」

 

吹雪が小声で言う。

 

「えっと……」

 

長門が真顔で言った。

 

「待っていた」

 

曙が叫ぶ。

 

「言うな!」

 

長門が睨む。

 

「何故だ」

 

「何故も何も!」

 

葵が小さく笑った。

 

「……ありがとう」

 

その一言が、曙の胸を少しだけ温めた。

 

曙はぶっきらぼうに言った。

 

「……礼はいらないって言ったでしょ」

 

葵は頷く。

 

「うん。でも言いたくなった」

 

曙は言い返せず、顔を背けた。

 

満潮が曙の耳元で囁く。

 

「曙、今の、完全に照れてる」

 

「うるさい!」

 

⸻

 

その夜。

 

食堂のテラス席で、間宮と鳳翔が湯気の立つ鍋を運んでいた。

いつもの匂い。いつもの手際。

 

そこに、白瀬提督がふらりと立ち寄った。

 

「今日は、少し寒いな」

 

鳳翔が微笑む。

 

「温かいものを用意しています」

 

間宮も頷く。

 

「皆さん、今日は少し落ち着いたみたいです」

 

提督は小さく息を吐いた。

 

「……落ち着いたのは、良いことだ。

だが、落ち着くと“次の波”が見える」

 

鳳翔が静かに聞く。

 

「上から、ですか」

 

提督は頷き、短く言った。

 

「手は打つ」

 

間宮が少し不安そうに言う。

 

「大丈夫でしょうか」

 

提督は視線を遠くにやる。

 

正門の方角。

 

「大丈夫にする」

 

それだけ言って、提督は食堂の明かりから離れた。

 

⸻

 

正門。

 

ハヤトはいつもの位置に立っている。

 

変わらない沈黙。

変わらない姿勢。

 

だが、その背中を見た曙は、昨日より少しだけ違うものを感じた。

 

(……噂より、目で見ろ)

 

提督の言葉。

葵の「同じように呼吸したい」。

 

曙は小さく呟く。

 

「……呼吸、ね」

 

満潮が隣に立っていた。

 

「何、ポエム?」

 

「違う!」

 

満潮が笑う。

 

「でも、悪くない」

 

曙は言い返さなかった。

 

二人は一瞬だけ正門の方を見て、

そして同時に目を逸らした。

 

逸らしたのに、逃げた気はしなかった。

 

それが、昨日までと違った。

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