葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
工廠の灯りは、夜でも落ちない。
金属を叩く音。
溶接の火花。
油と熱の匂い。
呉鎮守府が「呉」である理由が、ここにある。
その夜、工廠の奥――普段は立ち入りが少ない作業区画に、珍しく人が集まっていた。
明石が腰に手を当て、ぐるっと全員を見回す。
「はい、静かに! “内緒の会議”でーす!」
夕張が即座に突っ込む。
「明石さん、内緒なら大声出さないで」
「だってワクワクするじゃん!」
「ワクワクしてる場合じゃないよ」
明石がふくれっ面になる。
「夕張、最近ノリが悪い」
「状況が悪い」
端で腕を組んでいた長門が、低い声で言った。
「くだらんやり取りは後にしろ。時間がない」
明石が敬礼の真似をする。
「了解! 戦艦長門さん、厳し〜い!」
長門は眉をひそめる。
「褒めていない」
「知ってる!」
夕張が咳払いをして、集まっている面々に視線を配った。
ここにいるのは、いつもの駆逐艦たちだけじゃない。
戦艦――長門、陸奥。
空母――赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴。
補給と厨房――間宮、鳳翔。
そして提督――白瀬提督。
曙と満潮、時雨、初霜、霞、吹雪もいる。
工廠の空気が、いつもより濃い。
「……みんな来たね」
明石が、少しだけ声のトーンを落とした。
「呼び出したのは明石。
でも“要請”したのは提督さん。
つまり、これからやるのは――」
夕張が続きを取る。
「“現場の備え”だよ。命令書に対抗するための」
赤城がふわりと微笑む。
「対抗、というより…守り、ですね」
加賀は静かに頷いた。
「守りを固める。今必要なのはそれです」
瑞鶴が腕を組んで、少し苛立ち混じりに言った。
「守るって言ってもさ、紙一枚で制限とか、ふざけてない?」
翔鶴が瑞鶴の肩を軽く叩く。
「瑞鶴、言い方」
「分かってるってば。でも腹立つじゃん」
陸奥が大人っぽく笑って、軽く息を吐いた。
「腹を立てるのはいいの。表に出すのが危ないだけ」
長門が低く言う。
「感情を刃にするな、だ」
曙がぼそっと言った。
「最近それ、流行ってるの?」
時雨が笑わないまま答える。
「流行りじゃない。必要になった」
曙は返せず、口を尖らせた。
⸻
白瀬提督は、机代わりの作業台に一枚の図面を置いた。
図面というにはまだ荒い。手書きの線。矢印。注意書き。
「目的はひとつ」
提督の声は落ち着いている。
落ち着いているのに、芯が硬い。
「“行動制限”が入っても、鎮守府が壊れないこと」
赤城が静かに言う。
「……彼を、守るため」
提督は頷いた。
「そう。ハヤトを“管理対象”として取り上げられる前に、ここで守れる形を増やす」
加賀が言葉を選ぶ。
「ただし、こちらが“武装強化”と取られれば、向こうの口実になります」
提督が即答する。
「だから“艤装”ではなく、“簡易”だ。防衛用、救助用、現場運用の補助」
夕張が頷く。
「“戦力増強”じゃなくて“事故防止”の名目にできる形」
明石がにやりとする。
「つまり、私たちの得意分野!」
曙が小さく言う。
「……明石ってそういう時だけ頼もしい」
明石が聞き逃さない。
「ん? 曙、今褒めた?」
「褒めてない!」
満潮が即座に刺す。
「褒めてた」
「黙れ!」
瑞鶴が吹き出す。
「駆逐艦、元気だね」
翔鶴が苦笑する。
「こういう時ほど、その元気が助かります」
⸻
夕張がホワイトボードに大きく書いた。
喰種専用 簡易艤装(試作)
曙が眉を寄せる。
「……喰種“専用”って書いたら、もう特別扱いじゃない?」
加賀が静かに言う。
「呼び方は内部だけにしましょう。正式名称は別にするべきです」
赤城が続ける。
「“沿岸哨戒補助具”とか…」
明石が手を挙げる。
「“特殊体質者用 安全補助装備”!」
瑞鶴が即答。
「長い!」
翔鶴がやんわり言う。
「でも意図は分かりやすいですね」
陸奥が笑って言った。
「“安全”が入ると、上は反論しにくいのよ」
長門が頷く。
「言葉は盾だ」
曙がぼそっと言う。
「またそれ」
時雨が小さく笑う。
「必要なんだよ、今は」
⸻
夕張が図面を指で叩く。
「設計のポイントは三つ」
ホワイトボードに番号を書く。
1. 目立たない
2. 制限の中で使える
3. 暴発しない
吹雪が小声で言った。
「暴発…」
初霜が淡々と補足する。
「誤作動、想定外の干渉、負荷の集中による破損…などです」
明石が頷きながら言う。
「特に“干渉”が厄介。ハヤトさんの体質は普通の艤装と相性が分からない」
提督が言った。
「だから、葵に協力してもらう」
その名前が出た瞬間、空母組の空気が少しだけ変わった。
視線が揃う。緊張ではなく、覚悟の揃い方。
赤城が穏やかに言う。
「葵さんは今、提督室の件で気を張っているはずです。負担になりませんか」
提督は首を振る。
「負担を押しつけない形にする。彼女は“鍵”だが、“盾”にはしない」
加賀が静かに言う。
「なら、こちらが支えます」
翔鶴が頷く。
「ええ。鎮守府の中枢として、責任があります」
瑞鶴が腕を組む。
「今さら“関係ない”って顔はできないしね」
曙は、その言葉を聞いて胸の奥が少しだけ温かくなった。
(……中枢、ってこういうことか)
⸻
明石が机の上にいくつか部品を並べ始めた。
小型のバックル、薄い装甲板、柔らかい素材のパッド、固定具、ケーブル。
夕張が言う。
「第一案。“簡易拘束兼保護ハーネス”」
曙が目を細くする。
「拘束って言い方やめて」
夕張は即答。
「じゃあ“保持”」
明石がすかさず言う。
「“安全保持ハーネス”!」
加賀が頷く。
「それなら言葉としても妥当です」
瑞鶴が首を傾げる。
「ハーネスって、何に使うの?」
夕張が説明する。
「万が一、彼が暴れそうになった時に抑えるため…じゃないよ」
曙が鋭く言う。
「じゃあ何」
夕張は曙を見て、丁寧に言った。
「“彼が誰かを守るために無理する”のを抑える。
無理をすると、彼自身が壊れる可能性がある。
だから“負荷を逃がす”ためのハーネス」
時雨が小さく頷く。
「自分のブレーキを外しやすいタイプだもんね」
長門が低く言う。
「守るために無理をする者は、最も危うい」
陸奥が柔らかく笑う。
「分かるわ。そういう人、放っておけないのよね」
赤城が静かに言った。
「だから、壊れない仕組みを作る」
曙は少しだけ視線を落とした。
(……みんな、同じ方向を見てる)
昨日までの“怖い”が、形を変えている。
⸻
明石が続けて第二案を出す。
「第二案! “簡易装甲プレート”!」
薄い板が二枚。
見た目は艤装というより防具。
普段の服の下にも仕込めそうなサイズ。
翔鶴が言う。
「目立たない。いいですね」
加賀が冷静に指摘する。
「ただし、耐久は?」
夕張が答える。
「直撃を受ける前提じゃない。
“殴打”や“拘束時の衝撃”を散らす程度」
その言葉に、曙の指先が冷えた。
(……殴打)
未来の話じゃない。
もう“その可能性がある”という前提になっている。
瑞鶴が眉を寄せる。
「そんな状況、来るの?」
長門が即答する。
「来る可能性がある。だから備える」
赤城が言葉を柔らかくする。
「備えること自体が、来ないようにする力にもなります」
曙が小さく呟く。
「……ほんとに?」
加賀が静かに言う。
「備えがある者は、余計な反応をしない。反応しない現場は、口実を与えない」
時雨が頷く。
「うん。全部繋がってる」
⸻
夕張が第三案を書いた。
「第三案。“通信・識別”」
吹雪が目を丸くする。
「識別?」
夕張が頷く。
「上が“管理”を口実にするなら、
現場側で“事故防止のための識別”を持つ。
例えば、葵さんの通信が優先で通るようにする、とか」
明石がノリよく言う。
「“緊急呼び出しタグ”みたいなやつ!」
曙が眉を寄せる。
「タグって…犬じゃないんだから」
明石が即答。
「犬じゃないよ! 人だよ! だから“人用”!」
「余計おかしい!」
満潮がぼそっと言う。
「曙、ツッコミ疲れてる」
「黙れ!」
翔鶴が苦笑しながらも真面目に言った。
「緊急通信は有効だと思います。
提督、もし“外部の立会い”が入った場合でも、鎮守府内の連携は守れますか」
提督が即答する。
「守る。だからこそ、連絡が途切れない仕組みが要る」
加賀が淡々と付け加える。
「切られるのは通信です。次に切られるのは自由」
空気が冷える。
瑞鶴が歯を噛む。
「……ムカつく」
赤城が瑞鶴を見て、柔らかく言う。
「瑞鶴。怒っていい。…でも表に出さない」
瑞鶴は一度息を吐いて、頷いた。
「分かってる」
曙はそのやり取りを見て、なぜか安心した。
(……空母の中枢って、こういう空気なんだ)
⸻
そこへ、工廠の入口から足音がした。
葵が入ってくる。
間宮と鳳翔が一緒だ。
葵は部屋の空気を一瞬で理解したみたいに、少し笑った。
「……集まってるね」
明石が両手を振る。
「葵さん、ようこそ! 工廠秘密会議へ!」
夕張が即座に言う。
「明石さん、秘密!」
「うっかり!」
曙がぼそっと言う。
「うっかりで済むのそれ」
満潮が即答。
「済ませる」
曙が睨む。
「黙れ!」
葵がみんなに会釈し、提督を見る。
提督は短く言った。
「君に話を聞きたい。無理はさせない」
葵は頷く。
「……うん。できる範囲で」
赤城が葵に向けて、丁寧に頭を下げた。
「赤城です。今さらですが…中枢として、あなたを守る側に立ちます」
加賀も静かに言う。
「加賀です。必要があれば、遠慮なく言ってください」
翔鶴が微笑む。
「翔鶴です。あなたの“息”が止まらないように、こちらも空気を整えます」
瑞鶴が腕を組んで言う。
「瑞鶴。…まあ、頼ってよ。できることはやる」
葵は少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「……ありがとう。すごく、助かる」
その一言で、工廠の空気が少し柔らかくなる。
曙は目を逸らしながら、ぼそっと言った。
「……みんな、急に優しい」
満潮が小声で返す。
「曙もね」
「うるさい!」
⸻
夕張が葵に質問する。
「ハヤトの動きの癖、教えてほしい。
“無理をする瞬間”はどんな時?」
葵は少し考えた。
「……誰かが傷つくのが見えた時。
特に、私じゃなくても。
“弱い人”が目の前にいると、勝手に前に出る」
曙の胸がきゅっとした。
(……昨日の私みたい)
葵は続ける。
「あと、言葉が通じない相手の時。
話し合いじゃ止まらない、って判断した瞬間が一番危ない」
長門が低く言う。
「合理的だ」
曙が思わず言った。
「合理的でも、危ないでしょ」
長門は曙を見る。
「だから備える」
提督が言った。
「葵。ハヤトは“制限”を嫌うか?」
葵は少し迷って、頷いた。
「嫌う。…でも、意味がある制限なら守る」
加賀が静かに言った。
「意味がある。そこが鍵です」
赤城も頷く。
「“管理”ではなく“安全”。
彼にとっても納得できる形にする必要があります」
夕張がペンを走らせる。
「安全のため。本人のため。誰かのため。
その言葉なら、外にも説明できる」
明石がにやり。
「よーし、作ろ!」
⸻
試作が始まった。
明石が工具を手に取り、夕張が手早く計測を始める。
工廠の空気が、戦闘じゃない“戦い”の空気になる。
翔鶴が鳳翔に小声で言った。
「こういう時、工廠は頼もしいですね」
鳳翔が微笑む。
「ええ。料理と同じです。
必要な時に、温かいものを出せる場所は強い」
間宮が頷く。
「皆さん、ちゃんと食べてくださいね。
こういう時、体が先に折れますから」
瑞鶴が肩をすくめる。
「食べてるよ。…胃がキリキリするけど」
赤城がさらっと言った。
「では、甘いものを用意しましょう。糖分は正義です」
曙が思わず突っ込む。
「空母って糖分で動いてるの?」
赤城がにっこり。
「空母は、余裕で動きます」
加賀が真顔で補足する。
「赤城さんは糖分で動きます」
赤城が即座に反論。
「加賀、今のは誤解を招く」
瑞鶴が笑う。
「招かない招かない。いつもじゃん」
翔鶴が咳払い。
「瑞鶴」
「はいはい」
そのやり取りが、妙に救いだった。
“普段通り”が戻ってくる。
⸻
しばらくして、夕張が試作品の一部を持ち上げた。
「第一試作、できた。
“安全保持ハーネス”の骨組み」
見た目はシンプルだ。
目立たない黒いベルト。
留め具は小型で、引っかかりが少ない。
加賀が近づいて、冷静に見る。
「強度は?」
夕張が答える。
「引張強度は十分。
でも“瞬間的な衝撃”は分からない。実地で調整」
明石が手を挙げる。
「“動きを邪魔しない”も大事!
だからベルトは柔らかい素材を混ぜた!」
長門が言った。
「動きを邪魔しない、だと? 危険では」
夕張が首を振る。
「邪魔しすぎると、逆に“外そう”とする。
彼が外そうとした時が一番危ない」
葵が小さく頷いた。
「……そう。無理に縛ると、反発する」
提督が短く言った。
「だから“縛る”ではない。“支える”だ」
曙がぼそっと言う。
「言葉ってほんと大事」
時雨が小さく笑う。
「曙、分かってきた」
「分かってない!」
満潮が即答。
「分かってる」
「黙れ!」
⸻
そこへ、誰かの足音が工廠の外で止まった。
一瞬、空気が固くなる。
――まさか、監察?
聞き取り?
外部の立会い?
翔鶴がさりげなく一歩前に出る。
加賀も静かに位置を変える。
長門は腕を組んだまま、視線だけ鋭くする。
“中枢”が、空気で守る。
扉が開いて入ってきたのは――
吹雪だった。
「す、すみません! 遅れました!」
曙が思わず叫ぶ。
「紛らわしい登場すんな!」
吹雪がしゅんとする。
「ご、ごめんなさい……」
赤城が優しく言った。
「吹雪さん、あなたも必要な人です」
吹雪が目を丸くする。
「えっ、わ、私も……?」
加賀が静かに頷く。
「あなたは現場の目。
現場の目が曇ると、誰かが危ない」
吹雪の背筋が伸びた。
「……はい!」
曙は小さく息を吐いた。
(……中枢って、言葉で人を立たせるんだ)
⸻
夕張が、試作品を机に並べながら言った。
「これ、完成までに数日。
でも“最低限の形”なら、明日には渡せる」
提督が頷く。
「それでいい。
完璧じゃなくていい。
“守る意思が形になる”ことが大事だ」
明石が明るく言う。
「形にして見せれば、心は折れにくい!」
瑞鶴が腕を組む。
「……でもさ。これ、誰に渡すの?
本人に見せたら、上が嗅ぎつけるかも」
加賀が即答。
「それでも渡すべきです。
彼が“何も知らない”状態が一番危険」
赤城が穏やかに言う。
「知らせ方が大切ですね。
押しつけにならないように」
葵が小さく言った。
「……私から話す。
“これを付けて”じゃなくて、“選べる”って伝える」
曙の胸が、少しだけ温かくなった。
(……選べる)
“まだ決められない”人のための言葉。
提督が静かに言った。
「ありがとう、葵。無理はするな」
葵は頷いた。
「うん。無理しない」
その返事は、昨日までより少しだけ強かった。
⸻
工廠の灯りが、夜更けまで揺れていた。
火花が散り、金属が熱を帯び、
ベルトが形を作り、
小さなプレートが磨かれた。
この鎮守府は、
紙で壊される場所じゃない。
壊されそうなら、
その前に“作る”。
曙は、試作品を見つめながら小さく呟いた。
「……作るのって、強いね」
満潮が横で言った。
「うん。壊すよりずっと強い」
曙が珍しく反論しないでいると、
瑞鶴がふっと笑った。
「駆逐艦、いいこと言うじゃん」
曙が睨む。
「言ってない」
翔鶴が微笑む。
「言っていましたよ」
加賀が静かに結論を言う。
「現場が作るものは、現場を守ります」
赤城が小さく頷いた。
「そして、守る人が増えれば…壊せる人は減ります」
提督は工廠の灯りを見て、短く言った。
「……次は、もっと露骨に来る」
誰も否定しない。
でも、誰も下を向かない。
工廠の灯りが消えない限り、
呉鎮守府はまだ折れない。