※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第38話 詰める

 

その日の朝、呉鎮守府の空はよく晴れていた。

空が晴れている日は、決まって嫌なことが起きる。

 

――曙の中では、そういうジンクスができつつあった。

 

食堂の湯気はいつも通り。

間宮の手際も、鳳翔の落ち着きも変わらない。

 

でも、誰かが“時間”を気にしている。

 

箸の動きが早い。

会話が短い。

笑い声が、すぐ止まる。

 

曙は味噌汁を飲んで、机にカップを置いた。

 

「……もう来てる」

 

満潮が箸を止める。

 

「何が」

 

「空気」

 

満潮は曙の顔を見て、少しだけ笑った。

 

「曙が言うと説得力ある」

 

「褒めてないでしょ、それ」

 

「褒めてる」

 

「やめて」

 

⸻

 

入口が開き、白瀬提督が入ってきた。

 

いつも通り「おはよう」。

いつも通り返事が揃う。

 

でも今日は、提督の足が止まる場所が違う。

 

食堂の中央でなく、

壁際――伝令が来た時にすぐ出られる位置。

 

それだけで分かる。

 

(……朝から、ずっと来てる)

 

提督は短く言った。

 

「食事のあと、主要メンバーは会議室へ」

 

長門が即答する。

 

「了解」

 

加賀が静かに頷く。

 

翔鶴も。

 

赤城も。

 

瑞鶴は眉を寄せたが、何も言わない。

 

曙は箸を握り直した。

 

“主要メンバー”。

 

その括りに、自分が入っているのがまだ落ち着かない。

でも、逃げ道に住むわけにはいかない。

 

満潮がぼそっと言う。

 

「曙、顔が固い」

 

「固くない」

 

「固い」

 

「……うるさい」

 

⸻

 

会議室には、昨日より多くの中枢が揃っていた。

 

戦艦:長門、陸奥。

空母:赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴。

駆逐:曙、満潮、吹雪、時雨、霞、初霜、潮。

支援:間宮、鳳翔。

工廠:明石、夕張。

そして白瀬提督。

 

提督は机の上に二枚の紙を置いた。

 

一枚は昨日の命令書の写し。

もう一枚は、追加通達。

 

紙の角が揃いすぎている。

 

提督は淡々と読み上げた。

 

「移管期限の前倒し。

そして、行動制限の強化」

 

曙の心臓が鳴る。

 

「――当該戦力『ハヤト』は、即時、鎮守府内の警備配置を解除。

沿岸哨戒など鎮守府外に出る任務は、参謀本部派遣要員の立会いがない限り禁止」

 

瑞鶴が思わず机を叩きそうになって、ギリギリで止めた。

 

「……は?」

 

加賀が静かに言う。

 

「外に出さない。中に縛る」

 

長門が低く言った。

 

「鎮守府の盾を外す命令だ。愚かだ」

 

吹雪が小さく震える。

 

「警備を解除したら……正門が……」

 

曙は口を開く。

 

「……誰が決めるのよ。現場の警備を」

 

提督は曙を見る。責めない目。

 

「だから、こちらが“別の理由”を立てる」

 

時雨が聞く。

 

「別の理由?」

 

提督は淡々と言った。

 

「沿岸哨戒は継続する。

名目は“通常訓練”だ」

 

霞が目を細くする。

 

「でも命令で禁止って言ってるじゃない」

 

提督は紙の文言を指で押さえる。

 

「禁止条件は“立会いがない限り”だ。

つまり、立会いを用意すればいい」

 

部屋が静まる。

 

瑞鶴が目を見開く。

 

「まさか……上の立会いを受け入れるの?」

 

提督は首を振った。

 

「受け入れない。

“こちらの立会い”を立会いにする」

 

初霜が即座に理解する。

 

「派遣要員、ではなく“鎮守府の立会い”を用意して、運用を継続する」

 

提督が頷く。

 

「そう。

あくまで命令の趣旨は“事故防止”だと向こうは言う。

なら、事故防止の立会いは鎮守府側でも成立する」

 

加賀が静かに言う。

 

「言葉の戦いですね」

 

「そうだ」

 

明石が手を挙げた。

 

「じゃあ、その立会いの“安全具”が必要だよね?

昨日の簡易装備、ここで効く!」

 

夕張が補足する。

 

「“安全保持ハーネス”と“簡易装甲プレート”、試作はもう渡せる」

 

曙が思わず言った。

 

「……早い」

 

夕張が小さく笑う。

 

「工廠は、こういう時だけ速い」

 

明石が胸を張る。

 

「こういう時こそ速い!」

 

陸奥がふっと笑った。

 

「頼もしいわね」

 

⸻

 

提督は次の紙を指で叩く。

 

「そしてもう一つ。

参謀本部から“監察補助要員”が入る」

 

潮が小さく息を呑む。

 

「また……」

 

翔鶴が穏やかに言った。

 

「落ち着いて。入るのは“入る”。でも、空気は渡さない」

 

瑞鶴が不満げに言う。

 

「空気って渡すものじゃないでしょ」

 

加賀が静かに返す。

 

「渡すものだ。

喋り方、立ち位置、視線、沈黙。

全部“空気”として奪われる」

 

瑞鶴は口を閉じた。

納得したくない顔で、納得してしまった顔。

 

曙は小さく息を吐く。

 

(……中枢って、こういう時に崩れないんだ)

 

提督が言った。

 

「今日から数日、鎮守府は“試される”」

 

長門が低く言う。

 

「試されるのは向こうだ」

 

提督が頷く。

 

「そうだ。だが、こちらは折れない。

折れないために、役割を決める」

 

提督は視線を巡らせた。

 

「長門、正門の指揮。吹雪、現場連絡の統制。

赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴――空母組は“空気の支え”として、各部署に配置」

 

赤城が微笑む。

 

「了解です。空気は任せてください」

 

加賀が静かに頷く。

 

「余計な噂は切ります」

 

翔鶴が柔らかく言う。

 

「皆が呼吸できるように整えます」

 

瑞鶴が腕を組む。

 

「……やるしかないか」

 

陸奥が笑って言う。

 

「やるのよ。やるしかないんじゃなくて」

 

瑞鶴が少しだけ笑った。

 

「はいはい」

 

提督が続ける。

 

「明石、夕張。装備は“安全補助具”として登録できる形に整えてくれ。

書類は鳳翔さんと間宮さんに相談して」

 

鳳翔が頷く。

 

「承知しました。言葉を整えます」

 

間宮も頷く。

 

「食堂側の動線も変えますね。

余計な接触が起きないように」

 

曙がぼそっと言う。

 

「食堂まで戦場……」

 

時雨が優しく言った。

 

「戦場じゃない。守る場所だよ」

 

曙は返せずに、目を逸らした。

 

⸻

 

会議が終わる直前、提督が一拍置いた。

 

「最後に、一番大事なこと」

 

全員が提督を見る。

 

「ハヤトは、今、沿岸哨戒に出ている」

 

曙の心臓が跳ねた。

 

「……え?」

 

満潮が小声で言う。

 

「今朝、出た。立会い付きで」

 

提督が頷く。

 

「鎮守府外での任務を禁止される前に、必要なデータを取る。

そして、鎮守府の“普段”を守るために、彼を外に出した」

 

瑞鶴が眉を寄せる。

 

「……外に出すの、逆に危なくない?」

 

加賀が静かに言う。

 

「不在の時間ができる」

 

翔鶴が続ける。

 

「空気の穴になります」

 

曙の胸がきゅっと縮む。

 

(……不在)

 

その言葉が、嫌な未来を連れてくる。

 

提督は淡々と言った。

 

「だから、穴を埋める。

今日から数日、正門は“鎮守府の正門”で守る」

 

長門が頷いた。

 

「任せろ」

 

吹雪が小さく言う。

 

「私、頑張ります」

 

曙はぼそっと言った。

 

「……頑張るって言うな。折れる」

 

吹雪が目を丸くする。

 

「えっ……」

 

曙は慌てて言い直した。

 

「……頑張るのはいいけど、無理するな」

 

吹雪が少し笑った。

 

「……はい」

 

満潮が曙の耳元で囁く。

 

「曙、優しい」

 

「黙れ!」

 

⸻

 

工廠。

 

夕張は試作品を机に並べていた。

明石は留め具を調整しながら、珍しく真面目な顔。

 

「これ、いつ渡す?」

 

明石の問いに、夕張は答える。

 

「今日。

ハヤトが戻ったら、葵さん経由で」

 

明石が頷く。

 

「葵さんが“選べる”って言う形でね」

 

夕張が小さく息を吐いた。

 

「選べるって言葉、ほんと便利」

 

明石が笑う。

 

「便利じゃないよ。大事なんだよ」

 

夕張は一瞬黙ってから、頷いた。

 

「……うん。大事」

 

そこへ赤城と加賀が入ってきた。

 

赤城は穏やかに言う。

 

「明石さん、夕張さん。

装備の“見た目”も大事です。

空母の感覚としては、恐怖を煽らない色と形が必要」

 

明石がすぐ頷く。

 

「了解! 目立たない、怖くない、でも強い!」

 

加賀が冷静に補足する。

 

「“強い”は内側に。外からは“安全”に見えること」

 

夕張がペンを走らせる。

 

「了解。外は安全、内は耐える」

 

赤城が微笑む。

 

「それが“現場の工夫”ですね」

 

⸻

 

昼過ぎ。

 

聞き取り担当がまた現れた。

今度は食堂ではなく、廊下の曲がり角で待っていた。

 

狙いは明確だった。

 

葵。

 

葵が通りかかると、担当が丁寧に頭を下げる。

 

「葵さん。少しよろしいでしょうか」

 

葵は立ち止まる。

逃げない。

でも、一歩分だけ距離を取る。

 

「……内容によります」

 

担当は優しい声で言う。

 

「移管に関して、あなたの理解度を確認したいのです」

 

葵の目が一瞬だけ硬くなる。

 

「理解度、ですか」

 

「はい。あなたは当該戦力の“補助対象”ですから」

 

その言葉に、曙が廊下の陰で拳を握った。

 

(……補助対象って何よ)

 

満潮が曙の袖を掴む。

 

「出るな」

 

「でも――」

 

「今出たら“証拠”になる」

 

曙は唇を噛む。

それでも、目は逸らさない。

 

葵は静かに言った。

 

「私は“補助対象”ではありません。

鎮守府の協力者です」

 

担当は笑みを崩さない。

 

「言い方の問題です」

 

葵は首を振る。

 

「言葉は思想です」

 

その返しに、担当の目が一瞬だけ細くなった。

 

(……提督の言い方)

 

葵は続ける。

 

「私は、提督の指示に従います。

それ以上の確認は、提督を通してください」

 

担当は穏やかに頷いた。

 

「承知しました。

では“簡単な確認”だけ」

 

葵の返答を待たず、質問が落ちる。

 

「あなたは、ハヤトを制御できますか?」

 

空気が止まった。

 

曙の胃がきゅっと縮む。

満潮が小さく息を呑む。

 

葵はすぐ答えなかった。

 

でも、その沈黙は迷いではなく、怒りを飲み込む沈黙だった。

 

葵は静かに言った。

 

「制御、という言葉は不適切です」

 

担当が笑う。

 

「では、管理」

 

葵は一歩も引かない。

 

「管理も不適切です。

彼は人です」

 

担当は小さく息を吐いたふりをして、首を傾げる。

 

「人は、人を傷つけます。

だから管理が必要なのです」

 

その瞬間、廊下の奥から低い声が落ちた。

 

「必要なのは、あなたの言葉の管理だ」

 

長門が立っていた。

腕を組み、真っ直ぐに担当を見る。

 

担当が驚いたように笑みを作る。

 

「戦艦長門。失礼しました。

私は――」

 

長門が遮る。

 

「名乗りは要らん。質問の意図が見えた」

 

担当は穏やかに言う。

 

「意図とは?」

 

長門は淡々と言う。

 

「“制御できない”と言わせて記録に残す。

それがあなたの仕事だ」

 

担当は笑みを崩さず、しかし声の温度だけ下げた。

 

「戦艦長門。あなたは少々、過敏です」

 

長門は即答する。

 

「過敏で結構だ。

過敏な現場は、壊れない」

 

担当は一瞬黙り、丁寧に頭を下げた。

 

「承知しました。

本日の確認はここまで」

 

担当が去る。

 

葵が小さく息を吐く。

 

「……ありがとう」

 

長門は短く返す。

 

「礼は要らん。鎮守府の話だ」

 

曙はその言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ熱くなった。

 

(……鎮守府の話)

 

⸻

 

夕方。

 

沿岸哨戒の通信が入る。

 

「こちら哨戒班。異常なし。帰投する」

 

聞き慣れない声――立会い担当の士官の声も混ざっている。

 

提督は通信機に短く返す。

 

「了解。気をつけて戻れ」

 

通信が切れる。

 

その直後、別の通信が入った。

 

短い。冷たい。

 

「参謀本部より通達。

本日中に移管準備の進捗報告を提出せよ」

 

提督は声の調子を変えずに返す。

 

「受領した。提出する」

 

通信が切れる。

 

沈黙。

 

間宮が小さく言った。

 

「……詰めてきますね」

 

鳳翔が静かに頷く。

 

「期限を縮めれば、人は焦ります」

 

提督は短く言った。

 

「焦らせるのが目的だ」

 

曙は遠くからそのやり取りを見て、胃が痛くなった。

 

(……焦らせて、反応させて、証拠にする)

 

それが、彼らの手口。

 

⸻

 

夜。

 

ハヤトが帰投する頃、正門はいつもより“正門”だった。

長門が指揮を取り、吹雪が連絡を回し、空母組が各所の空気を整え、工廠は灯りを落とさない。

 

そして葵は、正門の影に立っていた。

 

曙は少し離れた場所から見て、満潮に小声で言った。

 

「……葵、待ってる」

 

満潮が頷く。

 

「うん。伝えるつもりだね、装備のことも、命令のことも」

 

曙は唇を噛む。

 

「……伝えたら、どうなる」

 

満潮は即答しない。

 

代わりに言った。

 

「どうなるか分からないから、備えたんでしょ」

 

曙は返せなかった。

 

遠くに、哨戒艇の灯りが見える。

海面に揺れる小さな光。

 

その光が近づくほど、曙の胸が重くなる。

 

(……帰ってくる)

 

帰ってくる。

でも、帰ってきた瞬間から――

 

“現実”が始まる。

 

曙は小さく呟いた。

 

「……空、晴れすぎ」

 

満潮が曙の横で、同じように小さく言った。

 

「うん。嫌なほど」

 

正門の影で、葵が一度だけ空を見上げた。

そして、ゆっくり息を吐く。

 

その吐息が、見えない波になって鎮守府に広がる。

 

――折れないための、呼吸。

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