※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第39話 門が開く音

 

海から戻る灯りは、静かだった。

 

哨戒艇の小さな灯が、夜の海面を揺らし、

それが近づくほど、鎮守府の空気が重くなる。

 

正門は“正門”になっている。

 

長門が指揮を取り、吹雪が連絡を回し、

赤城と加賀が場の温度を落ち着かせ、

翔鶴と瑞鶴が人の視線の流れを整える。

 

誰も声を荒げない。

でも誰も、油断していない。

 

曙は正門の少し内側で、拳をほどいたり握ったりしていた。

 

(……落ち着け)

 

落ち着けと言うほど落ち着かなくなるのが腹立つ。

 

隣で満潮が小さく言った。

 

「曙、手」

 

「何」

 

「手がうるさい」

 

「うるさくない」

 

「うるさい」

 

曙は手を背中に回して隠した。

 

「……あんた、見すぎ」

 

満潮は肩をすくめる。

 

「曙が分かりやすいから」

 

「……黙れ」

 

満潮は黙らない。

 

「でも、今の“黙れ”は前より優しい」

 

「黙れって言ってんの!」

 

そのやり取りの端で、吹雪が小さく息を吐いた。

 

「……ありがとうございます。なんか落ち着きます」

 

曙が吹雪を睨む。

 

「落ち着くな!」

 

吹雪が慌てる。

 

「えっ、あっ……すみません!」

 

長門が低い声で言った。

 

「静かに。帰投する」

 

その一言で、空気が締まった。

 

⸻

 

哨戒艇が接岸する。

足音が板を叩く。

ロープが張る。

短い号令。

 

そして、ハヤトが降りてきた。

 

いつも通りの動き。

無駄がない。

目線は遠い。

 

……だが、違う。

 

曙は分かってしまった。

 

(機嫌が悪いとかじゃない)

 

機嫌の問題じゃない。

 

“外の匂い”を持って帰ってきた目だ。

 

葵が、正門の影から一歩出た。

 

「……おかえり」

 

葵の声は落ち着いている。

落ち着かせるために落ち着いている。

 

ハヤトは一瞬だけ足を止め、短く言う。

 

「戻った」

 

それだけ。

 

でも、その“それだけ”がいつもより硬い。

 

葵は息を吸って、言った。

 

「話がある。……今、少しだけ」

 

ハヤトの目が、葵の後ろ――長門、吹雪、空母組、駆逐艦たちへ流れる。

 

状況を一瞬で読む目。

 

「ここで?」

 

葵は首を振った。

 

「ここじゃない。提督室……じゃなくて」

 

視線を工廠方向へ投げる。

 

「工廠がいい」

 

ハヤトが小さく頷いた。

 

「分かった」

 

曙の胸が少しだけ緩む。

 

(……今は、まだ大丈夫)

 

満潮が小声で言った。

 

「今の“分かった”は、葵に合わせた」

 

曙が睨む。

 

「実況すんな」

 

「必要」

 

「必要じゃない!」

 

⸻

 

工廠。

 

灯りは落ちていなかった。

 

明石が工具箱を抱えたまま、入口で待っている。

 

「おかえり!……じゃなくて、おかえりなさい!」

 

夕張が横で肘を突く。

 

「明石さん、テンション」

 

「だって!緊張するでしょ!」

 

「緊張するから静かにして」

 

二人のやり取りを見て、赤城が小さく微笑んだ。

 

「工廠は、いつも通りですね」

 

加賀が淡々と補足する。

 

「いつも通りに見せるのが、上手い」

 

翔鶴が頷く。

 

「それが今は助かります」

 

瑞鶴が腕を組む。

 

「助かるけど、胃は痛い」

 

陸奥が柔らかく笑う。

 

「胃は後で温めましょう」

 

曙は内心、空母と戦艦がこうやって“場”を作っていることに、妙に救われていた。

 

(……中枢って、こういうことか)

 

⸻

 

葵がハヤトに向き直る。

 

「命令書が来た」

 

ハヤトの目が僅かに細くなる。

 

「移管?」

 

葵は頷く。

 

「うん。期限前倒し。行動制限強化。監察補助要員が入ってる」

 

ハヤトは短く息を吐く。

 

「……手続きの顔をしたやつだ」

 

葵は言葉を選びながら続けた。

 

「提督さんは、盾になってる。

でも盾が折れないために、“反応しない”ことが必要になる」

 

ハヤトの声が低くなる。

 

「反応しない?」

 

葵は首を振る。

 

「反応しない、じゃない。

“反応の仕方を選ぶ”」

 

ハヤトは何も言わない。

だが、その沈黙は聞いている沈黙だった。

 

夕張が一歩前に出た。

 

「だから、これ」

 

机の上に置かれた、黒いベルト。薄い装甲プレート。小さな識別具。

 

明石が言う。

 

「正式名称は“安全補助具”! 内部では……まあ、うん」

 

曙がぼそっと言った。

 

「言うな」

 

明石が口を閉じて、にへっと笑う。

 

「……はい」

 

夕張が説明する。

 

「縛るものじゃない。支えるもの。

“無理をしないための道具”」

 

ハヤトはベルトに視線を落とす。

 

「……俺に?」

 

葵が頷く。

 

「選べるって話。

付けろ、じゃない。

ただ、あると……私が少し安心できる」

 

その言い方が上手かった。

 

“管理”じゃない。

“安心”。

 

赤城が静かに言った。

 

「私たちも、少し安心できます」

 

加賀も続ける。

 

「あなたが壊れないことが、鎮守府の安定です」

 

瑞鶴がむっとしながらも言う。

 

「壊れるの、なし。ほんとなし」

 

翔鶴が柔らかく微笑む。

 

「…あなたが壊れたら、葵さんが壊れます」

 

その言葉に、葵の指先が僅かに震えた。

 

曙は思わず口を挟む。

 

「……言い方!」

 

翔鶴は曙に穏やかに謝る。

 

「ごめんなさい。でも、事実でもあります」

 

曙は言い返せなかった。

 

(……事実って強い)

 

ハヤトは少しだけ目を閉じ、短く言った。

 

「……分かった。

“必要な時に使う”。それでいいか」

 

葵が小さく笑った。

 

「うん。それでいい」

 

明石が嬉しそうに言う。

 

「じゃあ試着!……じゃなくて、確認!」

 

夕張が即座に突っ込む。

 

「明石さん、言い直しの方向が同じ」

 

曙がぼそっと言った。

 

「工廠、平和かよ」

 

満潮が小声で返す。

 

「今はその平和が盾」

 

曙は返せず、ただ頷きかけてしまって、慌てて顔を逸らした。

 

⸻

 

その時。

 

工廠の外、遠くから聞こえた。

 

車の音。

 

一台じゃない。

複数。

止まる。

ドアが開く音。

 

空気が、一瞬で硬くなる。

 

加賀の目が鋭くなる。

 

「……来た」

 

瑞鶴が低い声で言う。

 

「早すぎない?」

 

長門が即答する。

 

「“期限”を詰める時は、こうだ」

 

吹雪が通信機を握りしめる。

 

「正門から連絡です。外部車両、入門要請」

 

白瀬提督の声が、通信から落ちてきた。

 

「入門は許可する。だが、武装の持ち込みは制限する。

正門で止めろ。私は今向かう」

 

通信が切れる。

 

曙の背中が冷たくなる。

 

(……制圧の前段)

 

ここまでは“紙”。

ここからは“人”。

 

葵がハヤトを見る。

 

「……お願い。今は、絶対に先に出ないで」

 

ハヤトの瞳が静かに濃くなる。

 

「分かってる」

 

その“分かってる”が、さっきより硬い。

 

⸻

 

正門。

 

車列は、もう門の外に揃っていた。

 

前面に立つのは、見慣れた顔――久我宗一郎。

その横に、新しい男がいた。

 

白髪混じり、落ち着いた目。

背中がまっすぐで、笑い方が薄い。

 

久我が丁寧な声で言う。

 

「本日は参謀本部命令の執行補助として参りました。

こちら、榊原忠継少将です」

 

榊原少将は、形式的な笑みを浮かべる。

 

「呉鎮守府、白瀬提督。

手続きを進めよう」

 

白瀬提督が正門前に出て、落ち着いた声で言う。

 

「少将。ここは現場だ。

手続きは手続きとして受けるが、現場の秩序は守る」

 

榊原は笑みを崩さない。

 

「秩序を守るための手続きだ」

 

久我が軽く言葉を添える。

 

「本日は“確認”だけです。提督。ご協力を」

 

提督は目を細める。

 

「“確認”なら、書面で足りる」

 

榊原が淡々と返す。

 

「書面は紙だ。

紙は人が動かして初めて効力を持つ」

 

その言葉に、曙の胃がきゅっと縮んだ。

 

(……言葉が上手い)

 

上手い言葉は、刃になる。

 

⸻

 

榊原が後ろの隊列を目で示す。

 

制服の士官。

憲兵に近い装備の者。

そして“派遣要員”の腕章を付けた男たち。

 

武装は控えめに見せている。

でも、手は空いていない。

 

提督が言う。

 

「武装の持ち込みは禁止だ。ここは鎮守府だ」

 

久我が笑う。

 

「自衛の範囲です」

 

長門が低い声で言った。

 

「自衛の範囲で人を脅すのか」

 

久我は長門を見て、笑みを作る。

 

「戦艦長門。相変わらずですね」

 

長門は返す。

 

「相変わらず“嫌な”」

 

吹雪が慌てて長門を見る。

 

「長門さん……!」

 

長門は吹雪にだけ小さく言う。

 

「落ち着け。今は言葉だ」

 

吹雪は頷くが、指先が震えていた。

 

赤城が一歩前に出て、声を柔らかくする。

 

「本日は“確認”とのこと。

でしたら、こちらも“確認”させてください。

あなた方は鎮守府の空気を乱さないと約束できますか」

 

久我が一瞬だけ目を細くする。

 

「空母赤城。空気とは曖昧ですね」

 

加賀が淡々と刺す。

 

「曖昧だから、壊しやすい。

あなた方はそれを狙っている」

 

瑞鶴が我慢して低い声で言う。

 

「……今すぐ殴りたい」

 

翔鶴が瑞鶴の肘を軽くつつく。

 

「瑞鶴、声」

 

「分かってる…!」

 

空母組が“空気”を持ちこたえる。

 

曙はその背中を見て、胸の奥が熱くなった。

 

(……折れない)

 

折れないって、こういうことだ。

 

⸻

 

提督が言う。

 

「確認内容は?」

 

榊原が淡々と答える。

 

「移管準備の進捗。

当該戦力の所在確認。

そして同伴者――葵の事情聴取」

 

その瞬間、工廠側から来た葵の影が、曙の視界に入った。

 

葵は走っていない。

走れば“焦り”を見せる。

だから、歩いている。

 

でも、その歩幅は小さい。

 

葵が提督の横に立つ。

 

「……私です」

 

榊原が葵を見る。

その目が、“人”を見る目ではない。

 

久我が言う。

 

「葵さん。手続きです。

少し、こちらへ」

 

葵は提督を見る。

 

提督は首を振った。

 

「事情聴取は提督室で。

鎮守府の規定に従え」

 

榊原が穏やかに言った。

 

「規定は命令に従属する」

 

提督が即答する。

 

「現場の安全は命令より上だ」

 

榊原の笑みが薄くなる。

 

「……提督。あなたは“抵抗”を選ぶのか」

 

提督は淡々と言う。

 

「抵抗ではない。現場管理だ」

 

久我が軽く息を吐く。

 

「なら、こちらも現場管理として“保全”する」

 

“保全”。

 

嫌な言葉だ。

柔らかい皮を被った硬い言葉。

 

⸻

 

次の瞬間だった。

 

派遣要員の一人が、葵に一歩近づいた。

 

「では、こちらへ」

 

葵が反射で一歩引く。

 

「……触らないでください」

 

その声は穏やかだ。

穏やかなのに、震えていた。

 

曙の喉が熱くなる。

 

(……やめろ)

 

久我が笑う。

 

「拒否されると困ります」

 

葵が言う。

 

「拒否ではありません。

場所を選びたいだけです」

 

榊原が淡々と言った。

 

「場所は我々が選ぶ」

 

提督が一歩前に出る。

 

「この鎮守府で、それは通らない」

 

榊原の目が冷える。

 

「通す」

 

その一言で、空気が刺さる。

 

そして――派遣要員の手が、葵の腕に伸びた。

 

葵が息を呑む。

 

曙が一歩踏み出しかけ、満潮が腕を掴む。

 

「出るな!」

 

「でも!」

 

「今出たら、葵が“抵抗した”記録になる!」

 

曙の拳が震える。

 

(……くそ)

 

葵は抵抗しない。

抵抗したら、記録になる。

 

だから、目だけで拒絶した。

 

その目を見て、派遣要員が薄く笑った。

 

「……なるほど」

 

その笑いが、曙の中の何かを削った。

 

赤城の声が柔らかく、しかし鋭く入る。

 

「その手は、不要です」

 

加賀が淡々と言う。

 

「事情聴取なら歩けます。

拘束は“必要”ではありません」

 

榊原が言う。

 

「必要だ。抵抗の恐れがある」

 

長門が低く言った。

 

「抵抗の恐れを作っているのは、貴様らだ」

 

榊原が長門を見る。

 

「戦艦長門。感情を抑えろ」

 

長門は一切引かない。

 

「感情ではない。現場判断だ」

 

吹雪が震える声で言った。

 

「……お願いです。ここでは……」

 

久我が吹雪を見て、にこやかに言う。

 

「吹雪さん。あなたは関係ない」

 

その“関係ない”が、鎮守府の空気を削る。

 

曙は歯を噛んだ。

 

(関係ある)

 

昨日から、もう関係ある。

 

⸻

 

その時、工廠側の影が動いた。

 

ハヤトが、正門の内側――まだ距離のある場所で立っていた。

 

いつ戻ったのか、曙は気づかなかった。

 

気づかなかったのに、分かる。

 

空気が変わった。

 

ハヤトは前に出ない。

出ないのに、圧だけが増す。

 

目が――赫眼に近い色へ沈み始めている。

 

葵が、掴まれたまま叫ぶように言った。

 

「来ちゃダメ……!」

 

その声が、空気を裂く。

 

久我が、その声の方向を見て笑った。

 

「……あちらにいるのが“当該戦力”か」

 

榊原が淡々と言う。

 

「所在確認、完了だな」

 

提督が即座に言う。

 

「見るな。呼ぶな。煽るな」

 

榊原は薄く笑った。

 

「煽っているのは、誰だ?」

 

提督は答えない。

答えない代わりに、前に立つ。

 

盾になる。

 

しかし盾の向こうで、葵の腕は掴まれたままだ。

 

曙の視界が揺れる。

 

(……やめろ)

 

やめろ。

やめろ。

 

でも、ここで暴れたら、向こうの勝ちだ。

 

――それでも。

 

葵の目が、ほんの一瞬だけ曙を見た。

 

“助けて”ではない。

“動くな”でもない。

 

ただ――“見ていて”。

 

曙は、その目を逸らさなかった。

 

⸻

 

榊原が淡々と命じる。

 

「葵を連行する。

提督、妨害は命令違反として記録する」

 

久我が笑みを浮かべる。

 

「提督。あなたが守りたい“現場”は、今、試されている」

 

提督の声は静かだった。

 

「試されているのは、あなた方の品位だ」

 

榊原の目が冷える。

 

「品位など、戦果に比べれば些細だ」

 

その言葉が落ちた瞬間、

曙は確信した。

 

(……こいつら、壊しに来てる)

 

そして――

 

ハヤトの方から、低い音がした。

 

音なのか、空気なのか、分からない。

 

ただ、地面が少しだけ“重く”なる。

 

曙は喉の奥が冷えるのを感じた。

 

(……やばい)

 

葵が声を絞る。

 

「お願い……戻ってきて……」

 

その声は、祈りみたいだった。

 

そして次の瞬間――

 

門の内側で、

“何か”が動き出す気配がした。

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