※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第4話 警備担当2日目(長門視点)

昨日、ハヤト殿が鎮守府警備担当として参加した。

特に問題は起きなかった。

いつも通りではあった。だが、いつも通りのようでいつも通りではなかったとも言える。

しかし、何も起きないのは良いことだ。

今日は警備担当2日目だ。

そろそろ時間だ。いつも通り、待機場所へ向かうとしよう。

 

 

朝の点呼は、いつもと同じ時刻、同じ場所で行われた。

 

整列した艦娘達の顔ぶれも、鎮守府の空気も、変わらない。

だが、私だけは分かっていた。

 

――変わった。

 

視線を前に向けたまま、私は当番表の並びを思い出していた。

 

本日警備担当。

その名簿の中に、昨日から一つだけ異質な名前が混じっている。

 

ハヤト。

 

喰種。

人間を喰らう存在。

そして、今はこの呉鎮守府で“保護対象”として扱われている男。

 

規律を乱す者はいない。

だが、空気は確実に張りつめている。

 

恐怖。

警戒。

拒絶。

そして、僅かな――戸惑い。

 

それらが混ざり合った沈黙が、整列した場を支配していた。

 

私は一歩前に出る。

 

「本日の巡回ルートを伝える」

 

声は、いつも通り。

意識的に感情を排した、指揮官としての声だ。

 

「正門から外周、倉庫区域、ドッグ周辺を重点的に確認する。異常があれば即時報告。独断行動は禁止だ」

 

そこで、ほんの一瞬だけ言葉を切る。

 

「――ハヤト殿は、私の判断に従って行動してもらう」

 

ざわめきは起きない。

だが、何人かの艦娘の肩が僅かに強張るのが見えた。

 

私は横に立つその男へ視線を向ける。

 

黒い外套。

無表情。

腕を組み、微動だにせず立っている。

 

圧は……ない。

 

少なくとも、意図的なものは。

 

だが「そこにいる」という事実だけで、周囲に影響を与える存在だ。

 

「……了解した」

 

低く、短い返答。

 

それ以上の言葉はない。

 

私は頷き、巡回開始を告げた。

 

⸻

 

外周を歩きながら、私は意識を研ぎ澄ませていた。

 

足音。

風の流れ。

波の音。

遠くの艦載機の発着音。

 

どれも異常はない。

 

だが、私は気づいていた。

 

一つだけ、存在しない音がある。

 

ハヤトの足音だ。

 

隣を歩いているはずなのに、何も聞こえない。

地面を踏みしめている感触すら感じ取れない。

 

だが視線を向ければ、確かにそこにいる。

 

忍者でも、暗殺者でもない。

ただ“そういう存在”なのだと理解するしかなかった。

 

倉庫区域に近づくにつれ、胸の奥に小さな引っかかりを覚える。

 

理由は分からない。

だが、経験が告げている。

 

――ここは、注意すべきだ。

 

私は神通と視線を交わし、無言で合図を送る。

 

倉庫正面と裏手に分かれ、確認を行う。

 

「……問題ありません」

 

神通の報告。

 

私は倉庫の内部へ目を向ける。

 

吹雪とハヤトが中を確認している。

 

……いや。

 

正確には、吹雪が確認し、ハヤトは“立っている”だけだ。

 

だが、その立ち位置。

 

吹雪の半歩前。

 

箱の影が濃く落ちる方向。

 

無意識ではない。

 

狙っている。

 

私は一瞬、喉の奥が乾くのを感じた。

 

何も起きていない。

だが、起きなかった理由が、そこにある気がした。

 

数秒後、ハヤトは何事もなかったかのように踵を返した。

 

吹雪の表情が、僅かに緩む。

 

……そうか。

 

あれは、警戒だった。

 

攻撃ではない。

威圧でもない。

 

ただ、“これ以上近づくな”という線を引いたのだ。

 

それを理解できる者にだけ、伝わる形で。

 

私はそれ以上、何も言わなかった。

 

言う必要がなかった。

 

⸻

 

巡回を続けながら、私は考えていた。

 

もし、あの場で何かが起きていたら。

 

もし侵入者がいたら。

 

ハヤトは、どうしただろうか。

 

殺したか?

拘束したか?

それとも――逃がしたか?

 

分からない。

 

だが、一つだけ確信できることがある。

 

彼は、衝動で動かない。

 

それは、怪物としては致命的な欠点だ。

 

そして、人としては――希望でもある。

 

洗濯場の前を通ると、葵の姿が見えた。

 

鳳翔、間宮と共に洗濯物を干しながら、艦娘達と会話をしている。

 

ぎこちない。

だが、拒絶ではない。

 

葵は笑っている。

 

無理をしているようには、見えない。

 

……いや。

 

正確には、「無理をしているかどうか」を、悟らせない強さがある。

 

ハヤトが一瞬だけ足を止め、葵を見る。

 

その表情は、明らかに柔らかい。

 

そして再び、前を向く。

 

私は、その一連の動きを見逃さなかった。

 

あの男の行動基準は、常に一つだ。

 

葵。

 

それだけ。

 

だからこそ、分かりやすい。

だからこそ、危うい。

 

だが――守る対象が明確である者は、制御不能にはなりにくい。

 

それもまた、事実だ。

 

⸻

 

昼食時。

 

私は食堂全体を見渡せる位置に立ち、状況を観察していた。

 

艦娘達は、まだ距離を測っている。

 

声をかける者もいる。

視線を逸らす者もいる。

 

だが、誰も騒がない。

 

誰も排除しようとしない。

 

それは、昨日の出来事が影響している。

 

――線が引かれたからだ。

 

葵を恐れるな。

拒絶するな。

 

それ以外は、自由。

 

あの言葉は、命令ではない。

だが、十分すぎるほど重い。

 

ハヤトは食堂の端に立っている。

 

背中を壁につけ、全体を見渡す位置。

 

護衛。

いや、警戒だ。

 

葵がコーヒーを持って行く。

 

ハヤトは無言で受け取り、椅子を引く。

 

座らせる。

 

それだけ。

 

それ以上の接触はない。

 

だが、誰よりも近い距離にいる。

 

私は思う。

 

――これは、信頼だ。

 

言葉にしない、絶対的な信頼。

 

そして、責任。

 

⸻

 

午後の巡回でも、何も起きなかった。

 

外壁。

ドッグ。

正門。

 

異常なし。

 

報告は淡々と行われ、引き継ぎも滞りなく進む。

 

交代の艦娘達が近づいた瞬間、ハヤトは一歩下がった。

 

無言で。

 

圧を下げるための、明確な判断。

 

私はそれを見て、胸の奥で静かに評価を更新する。

 

――理解している。

 

自分が、どう見られているか。

 

どう振る舞えば、軋轢を減らせるか。

 

そして、今は“踏み込むべきではない”ということも。

 

巡回終了後、私は解散を告げた。

 

艦娘達はそれぞれ宿舎へ戻っていく。

 

ハヤトも、その流れに乗ろうとした。

 

その時、吹雪が前に出た。

 

一瞬の逡巡。

そして、敬礼。

 

震えている。

 

だが、目は逸らさない。

 

ハヤトは、ほんの僅かに頭を下げた。

 

それだけ。

 

だが、それで十分だった。

 

私は、その光景を見届けた。

 

⸻

 

夜。

 

執務室で報告書をまとめながら、私は今日一日を振り返る。

 

何も起きなかった。

 

だが、それは「安全」ではない。

 

嵐の前の静けさでもない。

 

これは――選択の積み重ねだ。

 

恐れ、拒絶し、距離を取ることもできた。

 

だが、誰もそうしなかった。

 

ハヤトも、艦娘達も。

 

互いに、踏み込まなかった。

 

それが、今の最善だと判断したからだ。

 

私はペンを置き、深く息を吐く。

 

明日も、何も起きないだろう。

 

だが、確実に――何かは近づいている。

 

それが敵か。

人か。

あるいは、判断を迫る出来事か。

 

分からない。

 

だが、覚悟はしておく。

 

指揮官として。

 

この鎮守府を預かる者として。

 

そして――

 

この“異物”を、仲間にする可能性を捨てない者として。

 

私は静かに灯りを落とした。

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