※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第40話 咆哮

 

正門の空気は、止まっていた。

 

風が吹いているはずなのに、

旗が揺れないように見える。

 

音があるのに、音が遠い。

 

葵の腕は掴まれたままだった。

 

力任せではない。

逃がさないための“仕事の手”。

 

だから余計に冷たい。

 

曙の歯が軋む。

 

(……離せ)

 

声にしたら終わる。

分かっている。

 

分かっているのに、体が前に出そうになる。

 

満潮が腕を握る。

 

「動くな」

 

「でも――」

 

「今は葵が持たせてる」

 

その言葉が刺さる。

 

葵は暴れていない。

叫んでいない。

ただ、拒絶の目で見ている。

 

それが、逆に残酷だった。

 

⸻

 

榊原が淡々と言う。

 

「同行願おう」

 

葵ははっきり言った。

 

「提督室でなら」

 

「却下だ」

 

久我が笑う。

 

「あなたは“対象”だ。選択権はない」

 

その言葉に、空母組の空気が冷える。

 

赤城が静かに言う。

 

「言葉が粗いですね」

 

加賀が続ける。

 

「対象ではなく、人です」

 

久我は肩をすくめる。

 

「人も対象になる」

 

瑞鶴が一歩出そうになり、翔鶴が腕を掴む。

 

「瑞鶴」

 

「……分かってる」

 

声が低い。

 

抑えている声だ。

 

⸻

 

提督が言う。

 

「腕を離せ」

 

榊原が即答する。

 

「拒否する」

 

「現場責任者命令だ」

 

「上位命令がある」

 

言葉がぶつかる。

刃ではなく、規定で。

 

長門が低く言った。

 

「紙で人を押さえつけるな」

 

榊原が視線だけ向ける。

 

「戦艦長門。あなたは感情的だ」

 

長門は一歩も引かない。

 

「違う。私は現場だ」

 

その一言が、鎮守府側の背骨になる。

 

⸻

 

その時だった。

 

派遣要員の一人が、葵の顎に手をかけた。

 

強くではない。

持ち上げるように。

 

「……顔を見せろ」

 

品定めする目。

 

値踏みする目。

 

人ではなく、“資産”を見る目。

 

曙の視界が赤くなる。

 

「――っ」

 

声が出かける。

 

満潮が強く引く。

 

「曙!」

 

「でも!!」

 

「ここで叫んだら葵が終わる!」

 

その言葉が、喉を締めた。

 

葵は顔を背ける。

 

「……触らないで」

 

声は震えている。

でも折れていない。

 

派遣要員が薄く笑う。

 

「従順じゃないな」

 

久我が愉快そうに言う。

 

「記録しておけ。“抵抗傾向あり”だ」

 

提督の声が落ちる。

 

「……その手を離せ」

 

低い。

 

今までで一番低い。

 

榊原が答える。

 

「必要な接触だ」

 

⸻

 

その瞬間だった。

 

空気が沈んだ。

 

本当に、沈んだ。

 

音が下に落ちる感覚。

 

曙の耳が詰まる。

 

誰かが息を呑む音が遠い。

 

満潮が震えた声で言う。

 

「……来た」

 

正門の内側。

 

距離はまだある。

 

でも、全員が分かった。

 

ハヤト。

 

立っているだけなのに、

“重さ”が増している。

 

目が――もう隠れていない。

 

赫眼。

 

濃い、血のような赤。

 

吹雪がかすれた声で言った。

 

「……あの時の……」

 

長門が低く続ける。

 

「違う」

 

吹雪が見上げる。

 

長門の声が落ちる。

 

「桁が違う」

 

⸻

 

ハヤトは歩いていない。

 

動いていない。

 

なのに距離が縮んだように感じる。

 

圧だけが先に来る。

 

榊原が初めて眉を動かした。

 

「……あれが」

 

久我が笑みを作る。

 

「対象です」

 

ハヤトの視線は、榊原も久我も見ていない。

 

葵だけを見ている。

 

掴まれている腕。

顎に触れている手。

笑っている口元。

 

全部、見ている。

 

葵が叫ぶ。

 

「来ちゃダメ!!」

 

その声は悲鳴だった。

 

命令じゃない。

祈り。

 

「お願い……戻ってきて……!」

 

その言葉が、杭になる。

 

ギリギリの杭。

 

⸻

 

派遣要員が言う。

 

「ほら。反応している」

 

顎にかけた手を、わざとゆっくり滑らせる。

 

見せつけるように。

 

「人前だろうが関係ない」

 

久我が薄く笑う。

 

「教育が必要だな」

 

その瞬間。

 

ハヤトの呼吸が止まった。

 

止まって――

 

次の瞬間。

 

咆哮。

 

それは声じゃなかった。

 

地面が鳴った。

 

空気が割れた。

 

建物の窓が震えた。

 

曙は耳を押さえた。

 

「っっ!!」

 

吹雪がしゃがみ込む。

 

「なにこれ……!」

 

瑞鶴が歯を食いしばる。

 

「圧……!?」

 

加賀の声が低い。

 

「違う。密度だ」

 

赤城が言う。

 

「空気が、重くなっている」

 

長門が目を細める。

 

「解放した」

 

⸻

 

ハヤトの背中側の空間が歪む。

 

熱ではない。

光でもない。

 

“存在圧”。

 

空間が押し広げられている。

 

足元の砂利が浮く。

 

金属音が軋む。

 

工廠の方で、警報が一瞬だけ鳴って止まる。

 

夕張の声が遠くで響く。

 

「計測不能!!」

 

明石が叫ぶ。

 

「そんなのある!?」

 

⸻

 

榊原が初めて声を強めた。

 

「拘束しろ!!」

 

だが誰も動けない。

 

体が動かない。

 

怖いからじゃない。

 

重い。

 

空気が重すぎる。

 

派遣要員の手が、葵の腕から外れた。

 

力が抜けたように。

 

葵がよろめく。

 

「……っ」

 

その瞬間、ハヤトが一歩前に出た。

 

一歩だけ。

 

それだけで距離が半分になった気がした。

 

⸻

 

空が鳴った。

 

雷じゃない。

 

空間の音。

 

上を見た者から、言葉を失う。

 

黒い渦。

 

雲が巻き込まれている。

 

回転している。

 

中心が暗い。

 

赤い光が瞬く。

 

曙が震えた声で言う。

 

「……なに、あれ」

 

時雨が答える。

 

「呼応してる」

 

「何に」

 

時雨はハヤトを見る。

 

「彼に」

 

⸻

 

渦から、何かが落ちてくる。

 

無数。

 

黒い塊。

 

流星みたいに。

 

海へ落ちる。

 

水柱が上がる。

 

次の瞬間――

 

立つ。

 

人の形。

 

歪んだ輪郭。

 

そして、目が開く。

 

赫眼。

 

赤。

 

無数の赤。

 

吹雪が震える。

 

「敵……!?」

 

長門が即答する。

 

「違う」

 

「あれは……」

 

「同類だ」

 

⸻

 

榊原が叫ぶ。

 

「戦闘配置!!」

 

誰も整えられない。

 

整う前に、空気が押しつぶす。

 

久我の笑みが消えた。

 

「……制御できていないじゃないか」

 

提督が低く言う。

 

「違う」

 

久我を見る。

 

「壊したのは、貴様らだ」

 

⸻

 

葵が、声を振り絞る。

 

「ハヤト!!」

 

ハヤトの動きが止まる。

 

完全停止。

 

赫眼の奥に、意識が戻る。

 

葵が叫ぶ。

 

「お願い!!戻って!!」

 

「全部壊さなくていい!!」

 

「ここは!!私たちの場所だから!!」

 

沈黙が一瞬落ちる。

 

黒い影たちも止まる。

 

海面で揺れる。

 

待っている。

 

王を。

 

⸻

 

曙は涙が出そうになるのを必死で止めた。

 

(……止まれ)

 

止まって。

 

全部壊れたら、終わる。

 

でも――

 

葵の腕の痕。

 

値踏みする目。

 

笑い。

 

その記憶が、空気に残っている。

 

消えない。

 

ハヤトの口が開いた。

 

声ではない。

 

もう一度、咆哮。

 

今度は、進撃の号令だった。

 

黒い赫眼の影たちが、一斉に動いた。

 

鎮守府へ向かって。

 

ハヤトを先頭に。

 

⸻

 

長門が低く言う。

 

「……戦争になるぞ」

 

提督が答える。

 

「もう、始まっている」

 

曙は震える声で呟いた。

 

「……誰が止めるの」

 

時雨が小さく言う。

 

「止めるんじゃない」

 

「導く」

 

視線は葵へ向く。

 

葵だけが、杭になっている。

 

折れない杭。

 

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