葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
咆哮の余震が、まだ地面の奥で鳴っている。
空の黒い渦は閉じない。
海から上がった赫眼の影たちは、波打ち際に展開したまま止まっている。
整列ではない。
だが、無秩序でもない。
白瀬提督は小さく言った。
「……分類できない」
長門が低く答える。
「同意だ」
加賀が続ける。
「だが統率はある」
瑞鶴が声を震わせる。
「何なの、あれ……」
誰も答えられない。
ただ一つ分かるのは――
ハヤトを中心に動いている。
それだけだった。
⸻
制圧部隊はすでに半数以上が戦闘不能だった。
銃を構える前に叩き伏せられ、
命令を出す前に地面に沈められた。
近接。
一撃。
迷いなし。
それが連続している。
吹雪がかすれた声で言う。
「戦闘っていうより……」
時雨が低く言う。
「排除だ」
⸻
蛇のように蠢く黒い赫子が、再び地面を裂いた。
生き物のようにうねり、
標的だけを選んで跳ねる。
葵の腕を掴んでいた派遣要員が後退する。
間に合わない。
覆う。
消える。
短い破砕音。
蛇赫は頭をもたげ、
赤い滴を落としながら制圧部隊を見渡した。
威嚇ではない。支配だった。
曙の声が震える。
「……あれ、武器じゃない」
長門が答える。
「同意だ」
「生きている」
⸻
ハヤトは動いていない。
だが、その周囲の“配置”が変わっていた。
提督が低く言う。
「……囲んだ」
満潮が聞き返す。
「誰が」
提督は答える。
「影が」
⸻
ハヤトの一歩後ろ。
四つの影が半円で立っている。
体格が違う。
重心が違う。
構えが違う。
だが共通している。
即応距離。
いつでも殺せる距離。
瑞鶴が呟く。
「……護衛?」
加賀が静かに言う。
「そう見える」
「でも誰の」
赤城が答える。
「彼の」
⸻
さらに一体。
ハヤトの真横に立つ影がいる。
距離がない。
近すぎる。
並び方が違う。
長門が低く言った。
「……対等位置だ」
吹雪が震える。
「味方……なんですか」
長門は首を振る。
「分からん」
「だが敵ではない」
⸻
そして葵の前。
二つの影が、盾のように立っていた。
細身。
静か。
だが構えが鋭い。
明確に――
葵を庇う位置。
曙の喉が詰まる。
「……守ってる」
満潮が小さく言う。
「うん」
「完全に」
⸻
制圧部隊が発砲する。
数発。
だが影は止まらない。
弾道の外へ滑る。
踏み込む。
叩き落とす。
近接で装備が砕ける音が続く。
統制が崩壊する。
「下がれ!」
「距離を取れ!」
「無理だ!」
榊原の声が裏返る。
⸻
倒れた隊員のそばで、影がしゃがむ。
肉片を拾う。
口へ運ぶ。
咀嚼。
立ち上がる。
姿勢が変わる。
低く。
前傾。
戦闘体勢。
同じ動きが各所で起きる。
曙が呟く。
「……補給してる」
時雨が答える。
「違う」
「何」
「本能だ」
⸻
久我の目の前に、ハヤトが立っている。
無言。
無表情。
赫眼だけが光っている。
久我の声が震える。
「私は命令で――」
止まる。
ハヤトは何も言わない。
ただ見ている。
原因を見る目。
評価する目。
処理対象かどうかを。
久我の膝が崩れる。
⸻
榊原が後退しようとした瞬間、
あの“大きい影”が現れた。
ハヤトより明確に大きい。
密度が違う。
右手で榊原の顔を掴む。
片手で持ち上げる。
足が宙に浮く。
骨が軋む音。
吹雪が声を失う。
「潰れる……」
長門が低く言う。
「まだだ」
「判断待ちだ」
⸻
提督が静かに言った。
「……命令系統がある」
加賀が頷く。
「ええ」
「王と、従う者の動きです」
瑞鶴が息を呑む。
「王って……誰」
誰も答えない。
視線だけがハヤトへ向く。
⸻
制圧部隊は三割しか残っていない。
武器を落とす者。
後退する者。
腰が抜ける者。
統制は消えた。
提督が低く言う。
「十分だ」
鳳翔が小さく答える。
「はい」
⸻
葵が叫ぶ。
「やめて!!」
全てが止まる。
本当に止まる。
蛇赫も。
影も。
咀嚼も。
全員がハヤトを見る。
葵が続ける。
「ここで終わらせて」
「それ以上は……いらない」
声が震えている。
でも折れていない。
曙が小さく言う。
「……届いてる」
⸻
ハヤトの赫眼がわずかに揺れる。
呼吸が戻る。
ほんの少し。
そして――
首を振った。
大きな影が榊原を落とす。
潰さない。
殺さない。
従った。
提督がはっきり言う。
「……聞いたな」
長門が答える。
「ああ」
「彼の判断に従っている」
⸻
久我が崩れた声で言う。
「撤収……」
誰も逆らわない。
制圧部隊は敗走に近い撤退を始める。
影たちは追わない。
前傾姿勢のまま止まっている。
王の次の指示を待つ兵のように。
⸻
曙が呟く。
「……何なの、あいつら」
時雨が答える。
「分からない」
満潮が言う。
「でも」
「ハヤト側だ」
赤城が静かに頷く。
「ええ」
翔鶴も。
加賀も。
提督が結論を言う。
「分類不能」
「だが――敵ではない」
空の渦はまだ消えない。
影たちは名乗らない。
ただ、王の背後に立っている。