※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第42話 名も無い帰還

 

黒い渦は、まだ空に開いたままだった。

 

回転は弱まっている。

だが消えない。

 

海面に立つ赫眼の影たちも動かない。

 

追わない。

散らない。

騒がない。

 

ただ――待っている。

 

曙が小さく言った。

 

「……止まってる」

 

満潮が答える。

 

「うん」

 

「さっきまでと違う」

 

吹雪が恐る恐る言う。

 

「戦闘、終わった……?」

 

長門が首を振る。

 

「違う」

 

「終えたんだ」

 

⸻

 

正門前。

 

地面には武器が散らばり、

制圧部隊の撤退跡が生々しく残っている。

 

だが追撃はなかった。

 

一歩も。

 

瑞鶴が信じられない顔で言う。

 

「普通、あそこまでやったら追うでしょ……」

 

加賀が静かに答える。

 

「普通ではない」

 

赤城が続ける。

 

「目的が違います」

 

翔鶴が小さく頷く。

 

「排除ではなく、線引きです」

 

曙が眉を寄せる。

 

「線引き?」

 

長門が言う。

 

「ここまで来るな、の線だ」

 

⸻

 

ハヤトはまだ立っている。

 

正門の中心で。

 

赫眼は消えていない。

 

だが、暴走の圧は引いている。

 

代わりにあるのは――

 

王の静けさ。

 

提督が低く言う。

 

「……戻ったな」

 

鳳翔が小さく息を吐く。

 

「はい」

 

間宮が胸を押さえる。

 

「今、やっと呼吸できました……」

 

⸻

 

葵が一歩、前に出た。

 

影たちが反応する。

 

一斉に視線が動く。

 

武器ではない。

目だ。

 

曙が息を呑む。

 

「……見てる」

 

時雨が言う。

 

「対象としてじゃない」

 

「何として」

 

「中心として」

 

⸻

 

葵は震えている。

 

でも歩く。

 

ハヤトのところまで行く。

 

距離、二歩。

 

「……もういい」

 

小さな声。

 

でも届く声。

 

「ここまででいい」

 

ハヤトは答えない。

 

だが、呼吸が変わる。

 

肩の力が落ちる。

 

その瞬間だった。

 

⸻

 

海側の影たちが動いた。

 

一斉に。

 

構え直したのではない。

 

膝をついた。

 

ざ、と同時に。

 

水面に。

岸に。

瓦礫の上に。

 

片膝。

 

頭がわずかに下がる。

 

瑞鶴が声を失う。

 

「……え」

 

吹雪が震える。

 

「なんで……」

 

長門が低く言う。

 

「……忠誠の姿勢だ」

 

加賀が続ける。

 

「明確に」

 

⸻

 

ハヤトの後ろに立っていた四つの影も、

 

同じように膝をつく。

 

動きが揃いすぎている。

 

訓練ではない。

 

習性のような動き。

 

ハヤトの隣にいた影だけが、

半歩遅れて膝をついた。

 

対等だった距離が、そこで初めて“下がる”。

 

曙の声がかすれる。

 

「……命令された?」

 

時雨が首を振る。

 

「違う」

 

「じゃあ何」

 

「帰ってきたんだ」

 

⸻

 

葵の前に立っていた二つの影は、

最後まで立っていた。

 

盾の位置のまま。

 

葵を守る形のまま。

 

葵がそっと言う。

 

「……ありがとう」

 

その言葉にだけ反応した。

 

ほんのわずか、頭が下がる。

 

それだけ。

 

名前はない。

 

返事もない。

 

でも通じている。

 

⸻

 

提督がはっきり言った。

 

「全艦、攻撃禁止」

 

吹雪が反射で復唱する。

 

「全艦、攻撃禁止!」

 

瑞鶴が驚く。

 

「提督!?」

 

提督は目を逸らさない。

 

「見ただろ」

 

「はい……」

 

「敵対行動は、誰に向いていた」

 

加賀が答える。

 

「制圧部隊のみです」

 

「鎮守府には?」

 

赤城が言う。

 

「一切ありません」

 

提督は頷く。

 

「なら撃たない」

 

曙が小さく言う。

 

「……シンプル」

 

長門が答える。

 

「現場判断はそれでいい」

 

⸻

 

黒い渦がゆっくり縮み始める。

 

回転が落ちる。

 

吸い込まれるように閉じていく。

 

影たちの輪郭も、少しずつ薄くなる。

 

瑞鶴が言う。

 

「消える……?」

 

時雨が答える。

 

「戻るんだ」

 

「どこに」

 

「分からない」

 

⸻

 

一体だけ。

 

あの大きな影が、

顔を上げてハヤトを見る。

 

燃えるような赫眼。

 

声にならない音が空気に震えた。

 

言葉ではない。

 

だが意味は伝わる。

 

「在る」

 

それだけ。

 

次の瞬間、輪郭が崩れる。

 

黒い粒になって消える。

 

他の影たちも続く。

 

膝をついた姿勢のまま、

静かに消えていく。

 

撤退ではない。

 

帰還。

 

⸻

 

最後まで残ったのは、

 

ハヤトの隣にいた影だった。

 

数秒。

 

沈黙。

 

そして、ゆっくりと姿を消した。

 

ハヤトだけを残して。

 

⸻

 

空は元に戻る。

 

黒い渦は消えた。

 

風が動く。

 

音が戻る。

 

瑞鶴がへたり込む。

 

「……生きてる?」

 

翔鶴が笑う。

 

「ええ」

 

「全員」

 

吹雪が小さく言う。

 

「何だったんでしょう……」

 

提督が答える。

 

「分からん」

 

長門が続ける。

 

「だが」

 

「ハヤトと葵に関係する存在だ」

 

加賀が静かに言う。

 

「それだけで十分です」

 

⸻

 

曙がハヤトを見る。

 

「……あんた、何者よ」

 

ハヤトは答えない。

 

葵が代わりに言う。

 

「味方」

 

短い。

 

でも、迷いがない。

 

曙は鼻で笑った。

 

「雑」

 

満潮が言う。

 

「でも合ってる」

 

⸻

 

提督が最後に言った。

 

「報告書にはこう書く」

 

全員が見る。

 

「――分類不能」

 

「だが、敵ではない」

 

その一文が、後の歴史になる。

 

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