葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
朝の海は静かだった。
風が弱い。
波も低い。
空は薄く白んでいる。
だが、その穏やかさが逆に落ち着かなかった。
昨日までの訓練の熱も、整備の騒がしさも、今朝はどこか薄い。
音があるのに、遠い。
曙は桟橋の端に立ち、海を見ていた。
理由はない。
ただ、胸の奥が少しざわついている。
「……やだな」
小さく呟く。
言葉にしても意味はない。
でも黙っているよりはマシだった。
背後で足音がした。
「朝から難しい顔」
満潮だった。
缶コーヒーを二本持っている。
一本を無言で差し出す。
曙は受け取る。
「ありがと」
「で?」
「で、って何よ」
「何か考えてる顔」
曙はすぐには答えなかった。
缶を開け、湯気の残る匂いを吸い込む。
「……数」
「は?」
「数が合わないの」
満潮はすぐ理解した顔をした。
「部品?」
「昨日の倉庫」
「私も思った」
二人は同時に海を見る。
言葉が止まる。
同じ違和感を共有した時の沈黙だった。
⸻
工廠はいつもより騒がしかった。
金属音が跳ねる。
工具が転がる。
夕張の声が通る。
「違う違う違う!そこ触るとロマンが死ぬ!」
「ロマンより安全!」
明石の声がかぶる。
配線束を引っ張りながら、二人は同時に反対方向へ力を入れていた。
龍牙が横で腕を組んで見ている。
「どっちが正しい」
明石と夕張が同時に言う。
「私!!」
龍牙は少し考えた。
「爆発しない方」
「それ私!」
「それも私!」
結論は出なかった。
⸻
作業台の端に置かれた簡易艤装のユニットを、明石がふと持ち上げた。
軽い。
軽すぎる。
眉が動く。
「……あれ?」
夕張が振り向く。
「どしたの」
「ここにあった予備チップ」
「うん」
「無い」
夕張は笑った。
「昨日使ったんでしょ」
「使ってない」
「使ったって」
「使ってない」
声の温度が下がる。
夕張も近づく。
ケースを開ける。
仕切り。
空白。
「あれ」
明石が低く言う。
「数、合わない」
その言い方は冗談ではなかった。
夕張の表情も変わる。
「……記録見る」
端末を叩く。
ログを開く。
止まる。
「使用記録……無い」
二人の間に、ほんの一拍の沈黙が落ちた。
⸻
通信室は薄暗かった。
計器の光だけが点滅している。
時雨はヘッドセットを少しずらした。
耳が疲れる音だ。
一定の、細いノイズ。
海域ノイズではない。
波の揺れがない。
人工的すぎる。
「……変だな」
吹雪が振り向く。
「え?」
「このノイズ」
「昨日から?」
「うん」
満潮が椅子を回して近づく。
「妨害?」
「まだ弱い」
「でも意図はある」
吹雪が不安そうに言う。
「外から?」
時雨は首を横に振った。
「違う」
「近い」
その言葉に、確認の沈黙が落ちた。
⸻
食堂。
間宮が帳簿をめくっていた。
鳳翔が横で食材箱を確認している。
「……間宮さん」
「うん?」
「今日の補給数」
「うん」
「記録と違う」
間宮が顔を上げる。
もう一度見る。
確かに違う。
「昨日も少しズレてたの」
鳳翔が静かに言う。
「偶然が続いてます」
赤城が聞いていた。
箸を置く。
「偶然は三回続くと偶然ではありません」
翔鶴が苦笑する。
「統計の話?」
加賀が言う。
「現場の話です」
⸻
訓練海域。
海面は穏やかだった。
ハヤトは静かに立っている。
簡易艤装は今日は安定している。
少なくとも見た目は。
夕張が無線で言う。
「今日は浮いてる!」
明石が補足する。
「“今のところ”ね!」
瑞鶴が笑う。
「予防線張るなあ」
葵は岸で腕を組んでいる。
「今日は乗らないからね」
ハヤトが振り向く。
「乗れ」
「やだ」
「慣れろ」
「やだ」
炎慈が横で笑う。
「仲いいな」
葵「違う!」
⸻
ハヤトが三歩進んだところで、
足元が沈んだ。
一瞬。
バランスが崩れる。
「……」
無言で岸へ戻る。
瑞鶴が吹き出す。
「無言帰還!」
明石がもう分解している。
夕張が覗く。
「……これ」
「触られてる」
明石が言う。
「意図的に」
空気が、わずかに変わった。
⸻
夕方。
提督室。
白瀬は報告書を並べていた。
部品不足。
通信ノイズ。
補給ズレ。
装備異常。
一つなら事故。
三つなら偶然。
五つなら――
「仕込みだな」
長門が言う。
「同意だ」
加賀が続ける。
「内部に手が入っています」
白瀬は椅子に深く座った。
「騒ぐな」
「泳がせる」
長門の目が細くなる。
「釣るか」
「ああ」
静かな声だった。
だが決定の声だった。
⸻
夜。
拠点は眠っている。
だが――
どこかで、
誰かが、
まだ起きている。
小さな光の下で、
誰かが端末を閉じた。
足音は、出さない。