※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第5話 静かな侵入者

夜の鎮守府は、昼とは別の生き物みたいだ。

灯りの落ちた廊下、遠くで揺れる海面、風が運ぶ潮の匂い。

昼間の笑い声や食堂の喧騒は、全部、厚い扉の向こうにしまい込まれている。

 

吹雪は懐中電灯を握り直し、息を整えた。

 

「……夜間警備、開始」

 

声に出してみる。

自分の声が、思った以上に乾いて聞こえる。

 

(大丈夫。いつも通り。いつも通り……)

 

そう言い聞かせて歩くのに、今日だけは“いつも通り”という言葉が足元で崩れていく気がした。

当番表に掛かった木札の名前。

警備初日から、今日で数日。

その存在は、鎮守府の夜に“影”を落としている。

 

——正体不明の何か。

——人間ではないかもしれない。

——けれど、葵さんの隣でだけ、柔らかい顔をする。

 

吹雪は唇を噛んだ。

考えるほど、言葉が矛盾する。

 

倉庫区画へ向かう通路に差しかかり、風が一段冷たくなった。

壁沿いの影が濃く伸びている。

監視カメラはある。でも死角もある。

白瀬提督も長門も、そこだけは「要確認」と言い続けていた。

 

(……何もない。何もない、はず)

 

そう思った瞬間、背中がぞくりとした。

理由のない悪寒。

“見られている”でもない。“聞かれている”でもない。

ただ、何かが空気に混じったみたいな、薄い違和感。

 

吹雪は足を止めた。

 

「……」

 

懐中電灯の光を、倉庫の扉へ向ける。

扉は閉まっている。鍵もかかっている……はずだった。

 

(……え?)

 

鍵穴の位置に小さな傷。

古い傷ではない。金属が新しく削れた痕。

 

吹雪は喉が詰まる感覚を覚えた。

 

「——誰か、いるの?」

 

自分の声が震えたのが分かる。

気のせいだ、と言ってしまいたい。

でも、これを見過ごしたら、警備の意味がない。

 

吹雪は扉に手を添え、ゆっくり押した。

 

きい、と嫌な音がした。

 

暗い。

箱が積まれた影の向こうは、光が届かない。

懐中電灯の光が、柱やロープや資材の輪郭を切り取っていく。

 

その時。

 

「——来るな!」

 

男の声が、倉庫の奥から弾けた。

 

吹雪は反射で構えた。

 

「だ、誰ですか!ここは立ち入り禁止区域です!身分を名乗ってください!」

 

懐中電灯の光が、人影を捉える。

一人ではない。三人、いや四人。

軍人ではない。制服ではない。

しかし視線は鋭く、手は硬く握られている。武器は見えないのに、何かを握っているみたいだった。

 

「……艦娘だな」

 

低い声。

吹雪の肩が跳ねる。

 

「そうだ。やっぱりここだ……!」

「隠してやがった!兵器を!化け物を!」

 

吹雪は一瞬、何を言われているのか理解できなかった。

けれど次の言葉が、胸を刺した。

 

「お前らが艦娘なんてものを使うから、戦争になったんだ!」

「深海棲艦を刺激したのは人間だ!お前らだ!」

 

息が止まりそうになった。

 

「……違います」

 

声が細くなった。

否定したいのに、言葉がうまく形にならない。

 

男は嗤う。

 

「違う?じゃあ、なんで海は燃えてる?」

「なんで誰かが沈んで、誰かが帰ってこない?」

「なんで、こんなにも終わらない?」

 

吹雪は、拳を握りしめた。

“帰ってこない”——その言葉が、刺さった。

 

「私たちだって……望んで……」

 

言いかけて、詰まる。

望んでない、と言いたい。

でも、戦うためにここにいるのも事実だ。

守るためだとしても、“戦う存在”であることは変わらない。

 

男たちは勢いづく。

 

「兵器だろ!人の姿をした兵器!」

「心があるなら、血が流れるなら、なんで命令で動く!?」

「人権?ふざけるな!そんなものに人権を与えたら、今度は人間の方が踏みにじられる!」

 

吹雪の奥歯が、ぎり、と鳴った。

 

「私たちは……兵器じゃありません」

 

その一言は、祈りみたいだった。

 

「同じ心がある。怖いし、痛いし、苦しい。泣きたい日もある。死ぬのが怖い。仲間が傷つくのが怖い。——それでも、ここにいるんです」

 

男の一人が吐き捨てる。

 

「それが兵器じゃないって証拠になるのか?」

 

別の男が続けた。

 

「泣く兵器、痛がる兵器、苦しむ兵器。なら、余計に悪質だ」

「人間だと思わせて使う。人間だと思わせて捨てる。軍に都合がいいだけじゃないか!」

 

吹雪の胸が、締め付けられる。

 

(……違う)

 

違う。違うのに。

“うまく言い返せない”ことが、自分の弱さを突きつける。

 

男たちの目が、ぎらつく。

 

「見ろよ。ここに何がある?」

「資材?弾薬?補給品?それとも……兵器の部品か?」

「俺たちは見届けに来たんだ。国に、海軍に、騙されてるんじゃないかってな」

 

吹雪は一歩前に出た。

 

「ここは鎮守府の施設です。勝手に入ることは許されません。今すぐ出てください。抵抗するなら、拘束します」

 

男が笑う。

 

「拘束?お前が?その細い腕で?」

「お前らの正体なんて知ってるぞ。人間じゃないんだろう?」

 

吹雪の喉がひゅっと鳴った。

 

「……人間です」

 

言い切る。

それが、今の自分の唯一の武器だった。

 

男たちは一瞬だけ黙った。

次の瞬間、誰かが奥を指差した。

 

「……おい」

 

吹雪も、反射で振り向いた。

 

——そこに、いた。

 

黒いコート。

長い影。

無表情。

 

いつから。どこから。

足音も、気配も、何もなかった。

 

ただ、暗い倉庫の中で“そこだけ温度が違う”みたいに存在していた。

 

男たちが、一斉に息を呑む。

 

「……何だ、あれ」

「誰だ……?」

 

吹雪の心臓が跳ねた。

同時に、喉の奥に冷たいものが流れ込んでくる。

 

(来てしまった)

 

来てほしかった。

でも、来てしまった。

 

吹雪自身が、その矛盾に気づいてしまうのが怖かった。

 

ハヤトは、こちらを見ない。

男たちだけを見る。

 

「立ち入り禁止区域だ」

 

声は低い。感情がない。

怒りでも威圧でもない。

ただ、石を置くみたいに言葉を置く。

 

「出ていけ」

 

男の一人が、わずかに後ずさる。

 

「……おい、ふざけんな」

「誰だよ……こいつ、さっきまで……」

 

別の男が、吹雪へ視線を戻す。

そして、震えるように言った。

 

「……お前ら、こんなのを飼ってるのか?」

 

飼う、という言葉が、吹雪の胸を刺した。

 

「違います!」

 

思わず叫んだ。

 

「ここにいるのは——」

 

言いかけた瞬間、男がかぶせるように叫ぶ。

 

「近づくな!」

「動くな!目を合わせるな!」

 

まるで、何かの“掟”を知っているかのように。

 

男たちの瞳は、恐怖で揺れていた。

吹雪への敵意が、ハヤトへ向いた瞬間、明らかに質が変わる。

憎しみではなく、“理解できないもの”への本能的な拒絶。

 

「……何なんだ、こいつ」

「人間……じゃないだろ……」

 

ハヤトは、動かない。

動かないのに、男たちだけが勝手に崩れていく。

 

「……俺たちは、ただ真実を——」

 

言い終わらない。

 

ハヤトが、ほんの少しだけ首を傾けた。

 

その一瞬で、男が息を止めた。

 

「っ……!」

 

男が喉を押さえる。

何も触れられていない。

何もされていない。

なのに、“されるはずだった”という恐怖だけで、体が固まっている。

 

吹雪は、自分の指先が冷えていくのを感じた。

 

(何もしてない……のに)

 

それが、余計に怖い。

 

男たちが後ろへ下がる。

逃げようとする。

 

その瞬間。

 

——別の場所に、ハヤトが“いる”。

 

吹雪は目を疑った。

 

(移動した?)

 

違う。

そう思う前に、もうそこにいた。

逃げ道の手前。出口の近く。

影が重なる場所。

 

男が、声にならない声を出した。

 

「……ひっ」

 

一人が転び、尻もちをつく。

他の男が引きずろうとするが、腕が震えて掴めない。

 

「やめろ、やめろ、やめろ……!」

 

恐怖の言葉だけが、倉庫に落ちていく。

 

吹雪は喉が痛くなるのを感じた。

助けるべきは誰なのか。

守るべきは何なのか。

 

その時、遠くから足音が駆けてくる。

 

「吹雪!状況を報告しろ!」

 

長門と神通だった。

長門の声は、雷みたいに倉庫を貫いた。

 

吹雪は息を吸い、吐き、言葉を繋いだ。

 

「侵入者です!四名!倉庫に潜伏していました!」

 

長門は即座に命令を出す。

 

「拘束する!抵抗するなら武力行使も辞さない!神通、後方を抑えろ!」

 

侵入者たちは抵抗しなかった。

いや、抵抗できなかった。

 

拘束されながら、男が涙声で吐き捨てる。

 

「……こんなものを……」

「こんなものを、鎮守府に置くな……!」

「いつか……必ず、事故になる……!」

 

吹雪は唇を噛んだ。

言い返したいのに、言い返せない。

 

男が最後に見たのは、ハヤトだった。

その目は、怒りでも憎しみでもない。

 

ただの“無表情”だった。

 

なのに——

男は震えながら、視線を逸らした。

 

まるで、見てはいけないものを見てしまったかのように。

 

侵入者が連行され、倉庫に静けさが戻る。

 

吹雪はやっと息を吐いた。

自分の肺が、ずっと縮こまっていたことに気づく。

 

「……ありがとうございました」

 

気づけば、ハヤトへ言っていた。

 

ハヤトは、吹雪を見る。

 

「任務だ」

 

それだけだった。

 

それが、突き放しているようで。

でも、変に距離を詰めない分、救われるようにも思えた。

 

吹雪は、もう一度言う。

 

「……それでも、助かりました」

 

ハヤトは頷かない。

礼もしない。

ただ——その場を離れない。

 

吹雪は思った。

 

(怖い。まだ怖い)

 

でも。

 

(あの人は、私たちに“何かを証明しよう”とはしない)

 

力で従わせることも、怯えさせて黙らせることもできるはずだ。

それができる雰囲気が、さっきの侵入者たちの反応で分かった。

 

なのに、そうしない。

 

ただ、必要なことだけをして、戻る。

 

それは、ある意味で——

“こちらに選ばせている”態度にも見えた。

 

巡回が終わり、廊下に戻る。

夜の風が、頬を撫でる。

 

長門が低い声で言った。

 

「……吹雪。よく対応した。怪我はないな?」

 

「はい……大丈夫です」

 

神通も頷く。

 

「侵入者の目的は、恐らく情報。もしくは……恐怖の扇動」

 

長門の眉がわずかに寄る。

 

「どちらにせよ、鎮守府内に“反対派”が入り込む余地があるということだ。——次からは、もっと慎重に警戒する」

 

吹雪は、足元を見た。

自分の影が長く伸びている。

 

ふと、思い出す。

 

拘束される直前。

侵入者がハヤトを見て、震えた瞬間。

 

あれは何だったのか。

 

人間が、理解できないものに遭遇したときに出す、純粋な恐怖。

憎しみや怒りより先に出る、拒絶。

 

そして、その恐怖が、吹雪自身の胸にもまだ残っていること。

 

(私は……どうする)

 

怖い。分からない。

でも、目を逸らすのも違う気がした。

 

吹雪は、歩く速度を落とし、背中の方を見た。

 

廊下の灯りの外側。

影が濃くなる場所に、ハヤトが立っていた。

誰かを見送るように。

誰かを守るように。

 

そこに、葵さんはいない。

それでも、立っている。

 

吹雪は胸の前で指を握りしめ、迷った末に小さく敬礼した。

 

ハヤトは、少しだけ頭を下げる。

 

それだけ。

 

言葉はない。

でも、それが今の吹雪にとって、精一杯の“選択”だった。

 

——怖いままでも、ここに立つ。

——分からないままでも、見続ける。

——拒絶するのではなく、判断するために。

 

吹雪は背筋を伸ばして歩き出す。

 

夜はまだ長い。

きっと明日も迷う。

 

それでも。

 

今日、自分は一つ選んだ。

 

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