葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
夜明け前の空気は、昼間より音が少ない。
拠点の金属床は冷え、
壁はわずかに湿気を含んでいる。
照明は半分だけ点灯していた。
完全な夜でも、完全な朝でもない時間帯。
整備区画だけが起きている。
工具の触れ合う小さな音が、やけに遠くまで響く。
明石は端末と睨み合っていた。
画面に並ぶのは出力ログ。
正常値。
正常値。
正常値。
――一瞬だけ異常。
「……またここ」
小さく呟く。
グラフの谷は一瞬だけ落ちている。
だが確かに落ちている。
夕張が床に寝転んだまま言う。
「まだ気にしてるの?」
「気にするよ」
「でも一瞬じゃん」
「一瞬が怖いの」
夕張は回転椅子を足で蹴って起き上がった。
「爆発してないんだからセーフ!」
「その基準やめて」
⸻
奥の作業台で、簡易艤装の分解ユニットが並んでいる。
三号機。
四号機。
改修中。
明石が手を伸ばした、その時だった。
金属の奥から、微かな音。
チッ――
火花。
細い。
一瞬。
だが異様に鋭い。
明石の手が止まる。
「……今の何」
夕張が顔を上げる。
「え?」
「音した」
「してないよ」
明石はしゃがみ込む。
匂いを嗅ぐ。
金属臭。
そして――
焦げた匂い。
「……配線、切れてる」
「は?」
夕張も覗き込む。
被覆が焼けている。
「ショート?」
「違う」
明石は即答した。
「ここ、切られてる」
「焼けたんじゃない」
「削られてる」
夕張の表情が変わる。
「……誰が」
その時。
遠くで、重い音がした。
ドン。
床が揺れる。
二人同時に顔を上げた。
⸻
格納倉庫側。
煙が上がっていた。
黒くはない。
灰色。
制御爆発の煙だ。
龍牙が最初に走り込んだ。
「止まれ!」
反射で叫ぶ。
爆発規模を瞬時に読む。
連鎖はない。
だが近づきすぎるな。
満潮と曙が駆け込んでくる。
「何!?」
「事故?」
龍牙が言う。
「事故に見える爆発だ」
「見える?」
「見せてる」
⸻
消火班が動く。
泡剤が散布される。
煙が薄くなる。
中が見える。
補助電源ユニット。
配線が裂けている。
焼損ではない。
切断。
曙が言う。
「……これ、工具痕」
満潮が低く言う。
「事故じゃない」
⸻
同じ頃。
医療区画側通路。
葵は資料を抱えて歩いていた。
昨夜の赫子消耗の記録。
音羽の補足メモ。
ハヤトの消費推定。
読むたびに、胸が重くなる。
「……満タンなら無尽蔵」
その言葉が頭から離れない。
それがどれほど危険かも分かる。
同時に――どれほど孤独かも。
角を曲がる。
足が止まる。
床に何かが転がっている。
小さな金属片。
拾う。
焦げている。
その瞬間。
背後で音。
カチ。
振り向く。
小型の整備ドローンが停止している。
異常な位置で。
異常な角度で。
「……?」
ドローンの下部。
配線が露出している。
そして――
火花。
葵の目が見開く。
「――っ!」
反射で身を引く。
ドローンが破裂した。
破片が壁に刺さる。
音は小さい。
だが近距離では十分危険だった。
⸻
影が落ちる。
次の瞬間、炎慈がいた。
葵の前に。
破片を腕で受けている。
「遅れた」
葵の呼吸が荒い。
「今の……」
炎慈が床を見る。
破片。
回路。
細工痕。
「事故じゃない」
声が低い。
怒りの温度だ。
⸻
通路の奥からハヤトが歩いてくる。
早くない。
だが間に合う歩幅。
床の破片を見る。
ドローンを見る。
炎慈を見る。
葵を見る。
「狙いが雑だ」
炎慈が答える。
「試しだろ」
「反応を見るための」
ハヤトの目が細くなる。
赫眼ではない。
だが冷たい。
⸻
警報はまだ鳴っていない。
だからこそ分かる。
意図的に小さくやっている。
⸻
提督室。
報告が同時に入る。
整備爆発。
電源ユニット破壊。
ドローン破裂未遂。
白瀬は一度だけ目を閉じた。
そして言った。
「確定だ」
長門が問う。
「内部か」
「ああ」
加賀が言う。
「もう泳がせる段階ではありません」
白瀬が首を振る。
「いや」
「もう少し泳がせる」
長門がわずかに笑う。
「釣り上げる気だな」
「丸ごとな」
⸻
拠点はまだ通常運転を続けている。
だが空気は変わった。
誰もが気づいていないふりをしている。
その方が――
獲物が動くからだ。