葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
爆発の匂いは、思ったより長く残る。
焦げた金属と絶縁材の混じった匂いは、
換気を回しても、どこかにへばりつく。
整備区画を通るたび、曙はそれを感じた。
鼻の奥に引っかかる。
不快というより――警告に近い。
(消えてない)
事故なら、もう少し“終わった空気”になる。
でも違う。
まだ続いている空気だ。
通路の角で足を止める。
床に残る細かな傷を見る。
工具痕。
削った痕。
「……雑」
わざとらしいくらい雑だ。
だが、それが逆に不気味だった。
隠す気がないのか。
それとも――
(見せてる?)
後ろから足音。
満潮だった。
「また見てる」
「見るでしょ」
「分かるけど」
満潮も床を見る。
しゃがみ込む。
指でなぞる。
「これ、急いでやってる」
「うん」
「慣れてない」
曙が言う。
「整備員じゃない」
満潮が頷く。
「同意」
二人の視線が上がる。
周囲を見る。
誰もいない。
だが“見られている感覚”だけが残る。
⸻
工廠はいつもより静かだった。
昨日までの言い合いも、ロマン論争もない。
明石は工具を置く音まで小さい。
夕張も冗談を言わない。
それだけで異常だった。
「ログ、もう一回出して」
「出してる」
「その前」
「出してるって」
端末の光が二人の顔を照らしている。
疲れの影が濃い。
明石が言う。
「ねえ夕張」
「ん」
「誰か入ったと思う?」
夕張はすぐには答えなかった。
キーを叩く指を止める。
考える。
「……入った」
「痕跡は?」
「薄い」
「でもある」
二人は同時に息を吐いた。
⸻
龍牙が柱にもたれて聞いている。
「罠を置くか」
明石が振り向く。
「もう置いてる」
夕張が言う。
「三つ」
「全部ダミー部品」
龍牙が笑う。
「性格悪いな」
明石が即答する。
「整備班は性格悪いよ」
⸻
医療区画。
葵は椅子に座ったまま、手元の記録を閉じていた。
爆発未遂のあとから、周囲の視線が少し増えた。
気遣いの視線。
心配の視線。
でもそれとは別に――
測る視線もある。
誰かが、距離を測っている。
自分とハヤトの距離を。
自分と冥焔連の距離を。
それが分かる。
(狙いは私)
怖いとは思わなかった。
腹が立つ方が先だった。
ドアがノックされる。
「どうぞ」
入ってきたのは、見慣れた整備補助員。
名前はすぐ出てこない。
でも顔は知っている。
それくらいの距離の人。
「大丈夫ですか」
「うん」
「破片、飛んだって聞いて」
「かすっただけ」
嘘ではない。
本当でもない。
補助員は少し笑った。
安心させる笑い。
だが、目が笑っていない。
「気をつけてください」
「最近、物騒で」
葵はその言い方に引っかかった。
最近?
最近だけ?
「……前からだよ」
「え?」
「物騒なの」
補助員は一瞬だけ言葉に詰まった。
すぐ笑い直す。
「そうですね」
会話はそれで終わった。
だが――
空気は終わらなかった。
ドアが閉まる直前。
補助員の視線が、廊下の奥を一瞬だけ見た。
確認の視線だった。
(誰を見た?)
葵は立ち上がる。
ドアを開ける。
もういない。
曲がり角だけが残っている。
⸻
提督室。
白瀬は報告を読み終えたところだった。
机の上に三つの写真。
切断配線。
削られた制御板。
爆破ドローン。
長門が言う。
「同一犯だ」
「だな」
「手口が同じ」
白瀬が言う。
「焦っている」
加賀が聞く。
「なぜ」
「小さく揺らしている」
「様子見だ」
長門が低く言う。
「接触前の反応確認」
「その通りだ」
白瀬は椅子にもたれた。
「来るぞ」
「次は人だ」
⸻
駆逐艦寮の廊下。
消灯後。
足音が一つ。
静かに。
止まる。
ノックはしない。
ただ――小さな紙が滑り込む。
ドアの下から。
足音は去る。
気配も消える。
部屋の中。
時雨が目を開ける。
気配で起きるタイプだ。
布団から出る。
紙を見る。
拾う。
一行。
「明日、整備区画裏通路。単独で」
時雨は表情を変えない。
だが目が冷える。
紙を折る。
燃やす。
灰だけを残す。
小さく呟く。
「……来たね」
⸻
夜はまだ終わらない。
誰かが動いている。
誰かが待っている。
疑いは、静かに広がっていた。