※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

52 / 71
第52話 静かな釣り針

 

朝は、いつも通りに始まった。

 

それが一番不自然だった。

 

昨日の爆発。

未遂の破裂。

切断された配線。

 

それでも朝は来る。

 

それでも配膳の音は鳴る。

 

それでも味噌汁の湯気は上がる。

 

時雨は湯のみを持ったまま、湯気の揺れを見ていた。

 

(来たね)

 

紙はもう燃やした。

 

灰も流した。

 

証拠はない。

 

でも内容は消えない。

 

整備区画裏通路。単独で。

 

満潮が向かいでパンをかじる。

 

「眠そう」

 

「起きてるよ」

 

「目が夜」

 

「夜だったからね」

 

曙が横から言う。

 

「何かあった?」

 

一瞬だけ迷う。

 

でも決めている。

 

ここで嘘は使わない。

 

「後で言う」

 

曙はそれ以上聞かなかった。

 

そういう関係だ。

 

⸻

 

提督室。

 

紙の内容はすでに共有されていた。

 

時雨が差し出したのは“再現文”。

 

燃やしたあとで書き起こした。

 

白瀬はそれを三回読んだ。

 

長門が腕を組んでいる。

 

加賀は無言で壁のモニターを見ている。

 

「罠だな」

 

白瀬が言う。

 

長門が答える。

 

「誘い出しだ」

 

加賀が続ける。

 

「あるいは確認」

 

「何の」

 

「こちらの警戒度です」

 

白瀬は紙を机に置いた。

 

「乗る」

 

長門の口元がわずかに上がる。

 

「だろうな」

 

⸻

 

「単独で行かせる」

 

白瀬が言う。

 

「だが単独にはしない」

 

加賀が小さく頷く。

 

「当然です」

 

長門が言う。

 

「配置は」

 

白瀬が端末を回す。

 

裏通路の立体図。

 

配管。

梁。

影。

死角。

 

「ここに俺」

 

「ここに長門」

 

「上に――」

 

ノックなしでドアが開いた。

 

炎慈だった。

 

「俺らも入れろ」

 

白瀬は眉を動かさない。

 

「聞いてたな」

 

「全部な」

 

炎慈は笑わない。

 

「王が関わってる匂いがする」

 

長門が言う。

 

「今回は王は出さない」

 

炎慈が即答する。

 

「分かってる」

 

「だから俺が出る」

 

⸻

 

時雨は整備区画へ向かう廊下を歩いていた。

 

足音を消す歩き方は、もう癖だ。

 

誰にも教わっていない。

 

生き残るために覚えた。

 

角を曲がる。

 

誰もいない。

 

でも空気は重い。

 

金属の匂いが濃い。

 

油の匂い。

 

熱の残り。

 

裏通路へ続くドアの前で止まる。

 

手をかける。

 

(視線)

 

ある。

 

見えないけど分かる。

 

見られている。

 

時雨はドアを開けた。

 

⸻

 

裏通路は細い。

 

配管が壁を這っている。

 

照明は半分しか点いていない。

 

影が多い。

 

足音が反響する。

 

わざと反響させる。

 

“来た”と知らせるために。

 

通路の奥。

 

人影が一つ。

 

整備員の制服。

 

帽子。

 

影で顔は見えない。

 

「来たね」

 

男の声だった。

 

穏やかすぎる。

 

時雨は距離を測る。

 

間合い。

 

逃げ道。

 

上の梁。

 

死角。

 

全部、計算する。

 

「呼んだのはあなた?」

 

「そう」

 

「目的は?」

 

「確認」

 

「何の」

 

「どこまで気づいてるか」

 

時雨は笑った。

 

少しだけ。

 

「全部」

 

沈黙。

 

男が少しだけ肩を揺らす。

 

「強いね」

 

⸻

 

次の瞬間。

 

空気が変わった。

 

通路の上。

 

配管の影。

 

そこに“いる”。

 

時雨は視線を向けない。

 

でも分かる。

 

炎慈だ。

 

気配が熱い。

 

怒りを抑えた熱だ。

 

⸻

 

男が言う。

 

「取引しよう」

 

時雨は言う。

 

「無理」

 

「即答だ」

 

「当然」

 

男はため息をついた。

 

「王を渡せば」

 

言い切る前に、

 

壁に音。

 

ゴン。

 

男の視線がずれる。

 

一瞬。

 

その一瞬で、時雨は動いた。

 

距離を詰める。

 

腕を取る。

 

ひねる。

 

床へ。

 

だが――

 

反応が速い。

 

訓練されている動き。

 

整備員の動きではない。

 

炎慈が降りる。

 

音もなく。

 

影のように。

 

男の喉元に手をかける。

 

「喋るな」

 

低い声。

 

熱い声。

 

男の呼吸が止まる。

 

⸻

 

通路の反対側から足音。

 

白瀬と長門。

 

無言で来る。

 

銃口は下げたまま。

 

だが迷いはない。

 

白瀬が言う。

 

「顔を見せろ」

 

帽子が落ちる。

 

誰も知らない顔だった。

 

それが逆に確信になる。

 

「内部の人間じゃない」

 

長門が言う。

 

「入り込んだ」

 

炎慈が笑う。

 

冷たい笑い。

 

「釣れたな」

 

⸻

 

男は笑った。

 

喉を押さえられたまま。

 

「一人だと思うなよ」

 

白瀬が答える。

 

「思ってない」

 

炎慈が言う。

 

「もう一人いる」

 

空気が凍る。

 

時雨が振り向く。

 

「誰」

 

炎慈がゆっくり言う。

 

「“近い”やつだ」

 

⸻

 

通路の空気が重く沈む。

 

疑いは、次の段階に入った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。