※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第53話 見えない手

 

捕えた男は、ほとんど喋らなかった。

 

いや――喋れなかった。

 

口を閉じているのではない。

閉じるように訓練されている沈黙だった。

 

医療区画の奥、臨時拘束室。

 

白い壁。

金属椅子。

固定具。

 

男はそこに座らされている。

 

視線だけが動く。

 

値踏みする目だ。

 

白瀬提督は真正面に座っていた。

 

机を挟まない。

 

距離を取らない。

 

逃げ道を作らない座り方。

 

「名前」

 

沈黙。

 

「所属」

 

沈黙。

 

「誰に雇われた」

 

沈黙。

 

白瀬は表情を変えない。

 

長門が壁際に立っている。

 

腕を組み、微動だにしない。

 

炎慈は扉の横にもたれていた。

 

目だけが熱い。

 

「喋らねえタイプか」

 

男は炎慈を見る。

 

一瞬だけ。

 

恐怖ではない。

 

計算の目。

 

炎慈が笑う。

 

「その目、嫌いじゃねえ」

 

長門が低く言う。

 

「遊ぶな」

 

「遊んでねえ」

 

炎慈は男に近づく。

 

机に手を置く。

 

少し前傾する。

 

「お前、一人じゃないだろ」

 

沈黙。

 

「もう一人いる」

 

男の呼吸が一瞬だけ変わった。

 

白瀬は見逃さない。

 

「やはりな」

 

男は笑った。

 

初めて。

 

「当ててみろ」

 

炎慈が答える。

 

「当てる必要ねえ」

 

「見つける」

 

⸻

 

拠点の空気は、目に見えない形で変わっていた。

 

誰も言葉にはしない。

 

だが距離ができている。

 

食堂の席が少し離れる。

 

工具の受け渡しが慎重になる。

 

雑談が減る。

 

笑いが小さくなる。

 

曙はそれが嫌だった。

 

嫌悪ではない。

 

分断の匂いがする。

 

トレーを持ったまま、立ち止まる。

 

どこに座るか迷っている自分に気づく。

 

(最悪)

 

こんなことで迷う自分が嫌になる。

 

満潮が手を振る。

 

「ここ」

 

いつも通りの声。

 

それだけで少し救われる。

 

座る。

 

パンをちぎる。

 

食べる気はあまりない。

 

満潮が小声で言う。

 

「疑ってる?」

 

曙は即答しなかった。

 

「……疑いたくない」

 

満潮が言う。

 

「でも警戒はする」

 

「うん」

 

二人とも視線を上げない。

 

上げると、周囲を見てしまうから。

 

見てしまうと、考えてしまうから。

 

⸻

 

ハヤトは桟橋にいた。

 

海を見ている。

 

風は弱い。

 

波も穏やか。

 

だが空気は静かすぎる。

 

背後に足音。

 

炎慈だ。

 

「表は俺が見る」

 

ハヤトは振り向かない。

 

「分かってる」

 

炎慈が言う。

 

「裏は?」

 

一拍。

 

沈黙。

 

ハヤトが言う。

 

「出す」

 

「誰」

 

「暗部」

 

炎慈の口元が少しだけ上がる。

 

「適任がいるな」

 

「いる」

 

名前はまだ言わない。

 

呼び方で分かる。

 

⸻

 

格納庫の影。

 

照明の届かない梁の上。

 

そこに、最初からいた。

 

狂禍は音を立てない。

 

呼吸も薄い。

 

気配を置かない立ち方。

 

人が見落とす場所に立つのが習性だ。

 

ハヤトが視線だけ向ける。

 

狂禍は降りない。

 

動かない。

 

だが分かる。

 

聞いている。

 

「一人いる」

 

ハヤトが言う。

 

「近い」

 

狂禍の目が細くなる。

 

「排除?」

 

「まだ」

 

「泳がせる」

 

狂禍は短く笑った。

 

「一番面倒なやつだな」

 

炎慈が言う。

 

「得意だろ」

 

「まあな」

 

⸻

 

狂禍は降りない。

 

梁の上から消える。

 

音もなく。

 

誰も気づかない。

 

見張りの駆逐艦も。

 

整備班も。

 

通信員も。

 

視界から抜ける動きだった。

 

⸻

 

提督室。

 

白瀬が言う。

 

「動かしたな」

 

ハヤトが答える。

 

「ああ」

 

長門が言う。

 

「見つかる」

 

「見つける」

 

言葉の違いは大きい。

 

白瀬が低く言う。

 

「捕らえたい」

 

ハヤトが言う。

 

「死ぬかもな」

 

「それでもだ」

 

「分かってる」

 

⸻

 

夜。

 

拠点の灯りが落ちる。

 

だが一部は落ちない。

 

監視灯。

 

非常灯。

 

整備灯。

 

その隙間を、影が一つ滑る。

 

狂禍だった。

 

止まる。

 

見る。

 

聞く。

 

匂いを取る。

 

油の匂い。

金属。

汗。

――緊張。

 

一つだけ違う。

 

嘘の匂い。

 

狂禍は笑った。

 

小さく。

 

「いた」

 

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