※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第54話 足音を残さない者

 

夜は、完全には眠っていなかった。

 

拠点の灯りは落とされているが、

安全灯だけが廊下を薄く照らしている。

 

白ではない。

わずかに青みがかった光。

 

影が濃くなる色だ。

 

空調の低い唸りが続いている。

一定で、感情がない音。

 

だからこそ――

そこに混ざる“別の音”は目立つ。

 

狂禍は梁の上にいた。

 

鉄骨に背を預けるでもなく、

足をかけるでもなく、

体重を“置かない”姿勢で。

 

筋肉で固定している。

 

呼吸は浅い。

 

胸はほとんど動かない。

 

下を見る。

 

通路。

交差点。

監視カメラの死角。

 

光と影の境目。

 

(いる)

 

視線ではなく、感覚で拾う。

 

恐怖の汗の匂いではない。

緊張でもない。

 

もっと平坦な匂い。

 

隠そうとしている匂い。

 

狂禍はゆっくりと手を開閉した。

 

関節の動きすら音を立てない。

 

⸻

 

下の通路を一人の整備員が歩いている。

 

歩幅が一定すぎる。

 

軍人でも整備員でもない歩き方。

 

靴音が均一。

 

迷いがない。

 

だが――視線だけが動いている。

 

角。

扉。

非常灯。

反射面。

 

(癖が出てる)

 

狂禍の口元がわずかに歪む。

 

“普通の人間”は見ない場所を見る。

 

訓練者の目だ。

 

⸻

 

整備員は自販機の前で止まった。

 

小銭を入れる。

 

ボタンを押す。

 

缶が落ちる音。

 

拾う。

 

開けない。

 

持ったまま。

 

飲まない。

 

(飲め)

 

狂禍は心の中で言う。

 

飲まない理由がある。

 

口を使いたくない時だ。

 

毒を警戒しているのではない。

 

いつでも喋れる状態を保っている。

 

⸻

 

整備員が振り向いた。

 

何もない方向へ。

 

でも、見る。

 

空間を確認する。

 

“いるかもしれない場所”を見る。

 

狂禍は動かない。

 

動けば負ける。

 

見つからなくても、

“気配を感じさせた時点で負け”だ。

 

静止。

 

筋肉が焼ける。

 

でも動かない。

 

⸻

 

整備員が歩き出す。

 

角を曲がる。

 

狂禍は三秒待つ。

 

一秒では早い。

二秒では癖が出る。

三秒で追う。

 

梁から落ちる。

 

着地音はゼロ。

 

膝で吸収しない。

 

足裏で吸収する。

 

影の中だけを移動する。

 

⸻

 

整備員は裏倉庫の扉を開けた。

 

入る。

 

鍵は使っていない。

 

つまり――

 

鍵を持っている。

 

狂禍は扉の上へ回る。

 

枠に指をかけ、

体を水平に保つ。

 

中を覗く。

 

整備員は端末を出している。

 

個人端末ではない。

 

規格が違う。

 

軍支給でもない。

 

外部機材。

 

小型送信。

 

(当たり)

 

⸻

 

通信は短い。

 

文字入力。

 

音声ではない。

 

痕跡を残さない方法。

 

狂禍は指の動きを読む。

 

速い。

 

慣れている。

 

文節で打っている。

 

定型文ではない。

 

現地判断文だ。

 

(現場担当)

 

つまり――

 

ただの伝令ではない。

 

判断権を持っている。

 

⸻

 

整備員が入力を止めた。

 

顔を上げる。

 

振り向く。

 

直感だ。

 

人間の本能。

 

背中に視線を感じた時の動き。

 

狂禍は動かない。

 

瞬きもしない。

 

整備員は数秒見て、

 

何もないと判断した。

 

その判断が――命取りになる。

 

⸻

 

送信が終わる。

 

端末が消える。

 

ポケットへ。

 

その瞬間。

 

床に影が一つ増えた。

 

整備員が気づいた時には、

 

もう遅い。

 

喉元に手。

 

声帯の位置を正確に押さえる。

 

「声出すな」

 

囁き。

 

だが冷たい。

 

整備員の全身が凍る。

 

力の入れ方が違う。

 

殺せる力の押さえ方だ。

 

⸻

 

「誰の回線だ」

 

小声。

 

息が首にかかる距離。

 

整備員は黙る。

 

圧が増す。

 

気道が半分閉じる。

 

「誰の」

 

三秒。

 

沈黙。

 

四秒。

 

狂禍は力を抜いた。

 

一瞬だけ。

 

整備員が息を吸う。

 

その一瞬に言わせる。

 

「……中央」

 

答えた。

 

狂禍は笑った。

 

「正解」

 

⸻

 

背後で足音。

 

炎慈だ。

 

音を立てて来る。

 

わざとだ。

 

「ビンゴか」

 

「当たり」

 

炎慈が整備員を見る。

 

「こいつか」

 

狂禍が答える。

 

「一人目」

 

炎慈の目が燃える。

 

「まだいるな」

 

「いる」

 

狂禍は言う。

 

「近い」

 

⸻

 

整備員は動けない。

 

逃げられない。

 

影に捕まっている。

 

暗部に。

 

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