葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
拠点の地図は、机の上に広げられていた。
だがそれは公式図面ではない。
狂禍の前にあるのは、
線と点と印だけで構成された図だった。
廊下。
死角。
視界。
音の反響。
人の癖。
それらを重ねて書いた“生きた地図”。
「ここが交点」
狂禍が指で叩く。
紙ではなく、床に広げた透明シート。
その下に公式図面。
上に手書きの動線。
周囲にいるのは、冥焔連の数名。
誰も大きな声を出さない。
作戦会議なのに、声が低い。
「連絡は縦じゃない」
狂禍が言う。
「横だ」
一人が聞く。
「横?」
「セル型」
「互いを全部は知らない」
「だから崩す時は――」
指が一本の線をなぞる。
「端から」
炎慈が腕を組んで聞いている。
「真ん中から折らねえのか」
狂禍が笑う。
「真ん中は逃げる」
「端は気づかれない」
炎慈の口元が少し上がる。
「性格出てるな」
「仕事だ」
⸻
拘束した工作員は、もう喋らない。
だが喋る必要もない。
持ち物。
歩き方。
接触点。
そこから十分に読める。
「三層」
狂禍が言う。
「連絡役」
「中継役」
「埋設役」
「今捕まえたのは中継」
部下が言う。
「埋設は?」
「もういる」
狂禍は天井を見た。
正確には――
その先を見ている。
「だからもう動いてる」
⸻
葵は一人で歩かないようになった。
命令ではない。
自然とそうなった。
隣にいるのは音羽。
距離は半歩。
近すぎない。
遠すぎない。
「護衛って、もっと前に出るものじゃない?」
葵が言う。
音羽は首を振る。
「前に出るのは盾」
「私は違う」
「何?」
「刃」
言い方は静かだった。
でも本気だった。
葵は少し笑う。
「頼もしいね」
音羽は答えない。
視線は動いている。
壁の角。
床の反射。
窓の外。
一度も止まらない。
⸻
途中で整備員がすれ違う。
帽子。
工具箱。
音羽の視線が一瞬だけ止まる。
歩幅を見る。
重心を見る。
息を見る。
通り過ぎる。
何も言わない。
だが記憶した。
(違う)
味方の歩き方ではない。
⸻
表の警戒ライン。
正門側。
龍牙が立っている。
腕を組み、壁にもたれず、
完全な直立でもない。
いつでも動ける姿勢。
見張りの艦娘が言う。
「圧が強いです」
龍牙が言う。
「仕事だ」
吹雪が苦笑する。
「威圧もですか」
「威圧は無料だ」
満潮が小さく笑う。
「理にかなってる」
⸻
通過証を見せる整備員の手が震えた。
龍牙は見逃さない。
「緊張するか」
整備員が言う。
「い、いえ」
「ならいい」
通す。
だが――
背後の壁に軽く爪を当てた。
カチ。
小さな音。
合図だ。
上にいる。
冥焔連が。
⸻
梁の上。
二人。
目線だけで了解する。
尾行開始。
⸻
ハヤトは動かない。
桟橋にいる。
海を見ている。
だが見ているのは海ではない。
拠点全体の“流れ”。
誰がどこにいるか。
誰がどの空気を持っているか。
全部分かる。
炎慈が来る。
「全部動いてる」
「ああ」
「指示出さねえのか」
ハヤトは首を横に振る。
「要らない」
「信頼か」
「違う」
一拍。
「事実だ」
炎慈が笑う。
「家族だもんな」
「ああ」
⸻
同時刻。
裏配管区画。
狂禍の部隊が一人を止めた。
声なし。
衝撃なし。
ただ――
動きを止めた。
口を塞ぐ。
視界を遮る。
関節を固定する。
床に寝かせる。
終わり。
「二本目」
狂禍が言う。
「まだ切らない」
部下が聞く。
「なぜ」
「泳がせる」
「網は全部見てから切る」
⸻
点と点が線になる。
線と線が網になる。
網の形が、ようやく見えてきた。
そして――
その中心も。