※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第57話 やるなら、徹底的に…

 

夜は、優しくない。

 

拠点の照明が落ちたあと、残る光は機械の光だけだ。

人を安心させる光ではない。

機能だけの光。

 

その光の下では、感情は薄く見える。

 

⸻

 

裏倉庫の空気は、湿っていた。

 

段ボールと金属と薬品の匂いが混ざっている。

閉じた空間特有の、逃げ場のない匂い。

 

白衣の女は壁際に座らされていた。

 

手首は拘束されている。

だが縛り方はきつくない。

 

逃げられない程度。

痛めつけない程度。

 

それが逆に怖い。

 

狂禍は少し離れた位置に立っていた。

 

寄らない。

触らない。

 

距離を置く。

 

それは慈悲ではない。

 

対象を“道具”として見る距離だ。

 

女は泣き続けていた。

 

嗚咽を抑えようとしている。

声を出さないようにしている。

 

だが肩が震えている。

 

「……ごめんなさい」

 

何度目か分からない謝罪。

 

誰に向けた言葉かも分からない謝罪。

 

狂禍は答えない。

 

炎慈が壁にもたれて腕を組んでいる。

 

「どうする」

 

短い問い。

 

感情の色はない。

 

確認だけだ。

 

狂禍は端末を指で回した。

 

白衣のポケットから抜いた通信端末。

 

軽い。

 

だが価値は重い。

 

「使う」

 

炎慈は眉を動かさない。

 

「餌か」

 

「餌だ」

 

女の肩が跳ねた。

 

言葉は理解できた。

 

意味も。

 

顔が青ざめる。

 

「……え」

 

声が漏れる。

 

狂禍は視線を向けない。

 

説明もしない。

 

道具に説明は不要だ。

 

⸻

 

女は必死に言葉を絞る。

 

「ま、待って……」

 

「私は、全部言った」

 

「もう協力する」

 

「だから――」

 

狂禍が初めて視線を向けた。

 

冷たい目だった。

 

感情がないのではない。

 

切り離している目だった。

 

「だから何だ」

 

女が言葉に詰まる。

 

助けて欲しいのだ。

 

だが言えない。

 

言えば命乞いになる。

 

それが分かっているから言えない。

 

狂禍が言う。

 

「お前はもう“線”だ」

 

「人間じゃない」

 

「網の一本だ」

 

その言葉は刃だった。

 

女の顔から色が落ちる。

 

炎慈が小さく息を吐いた。

 

だが止めない。

 

止める理由がない。

 

⸻

 

「連絡を続けろ」

 

狂禍が言う。

 

「同じように」

 

「同じ時間に」

 

「同じ癖で」

 

女が首を振る。

 

「無理……」

 

「疑われる」

 

「怖い」

 

狂禍が一歩近づいた。

 

足音はほとんどない。

 

だが圧が変わる。

 

空気が沈む。

 

「怖い?」

 

女が震えながら頷く。

 

狂禍は言う。

 

「いいことを教えてやる」

 

声は静かだ。

 

だが残酷だ。

 

「お前はもう、どっちに転んでも死ぬ」

 

女の呼吸が止まる。

 

涙も止まる。

 

時間が止まったような顔になる。

 

狂禍は続ける。

 

「敵にとっては“漏れた駒”だ」

 

「こちらにとっては“使い切る駒”だ」

 

「生き残る道はない」

 

「あるのは――」

 

端末を女の前に落とす。

 

「役に立つかどうかだけだ」

 

⸻

 

沈黙が落ちた。

 

重い沈黙。

 

女の中で何かが折れる音がした。

 

見えない音。

 

だが確かに折れた。

 

「……分かった」

 

声が変わった。

 

泣き声ではない。

 

諦めの声でもない。

 

受け入れた声だ。

 

狂禍は頷く。

 

それでいい。

 

感情は不要。

 

機能すればいい。

 

⸻

 

炎慈が言う。

 

「最後は」

 

狂禍が答える。

 

「切る」

 

女の目が揺れる。

 

だがもう何も言わない。

 

言っても変わらないと分かった顔だ。

 

それでいい。

 

喰種のやり方だ。

 

⸻

 

提督室。

 

報告はそのまま上がった。

 

隠さない。

 

ぼかさない。

 

白瀬は最後まで聞いた。

 

長門は黙っている。

 

加賀も表情を動かさない。

 

白瀬が言う。

 

「非情だな」

 

炎慈が答える。

 

「喰種だ」

 

それで終わる言葉だった。

 

価値観が違う。

 

優先順位が違う。

 

守る範囲が違う。

 

長門が言う。

 

「止めないのか」

 

白瀬は首を振った。

 

「止める理由がない」

 

「今回は向こうの領分だ」

 

それが共同戦線の現実だった。

 

⸻

 

ハヤトは桟橋にいた。

 

炎慈が報告する。

 

「餌にする」

 

ハヤトは一言だけ答える。

 

「そうか」

 

止めない。

 

迷わない。

 

理由は単純だ。

 

敵だからだ。

 

炎慈がわざと聞く。

 

「甘くないな」

 

ハヤトが言う。

 

「敵にはな」

 

それだけだ。

 

王の判断は、いつも短い。

 

⸻

 

音羽は葵の横でそれを聞いた。

 

全部ではない。

 

だが意図は分かった。

 

「……使うんだ」

 

小さく呟く。

 

葵が見る。

 

「誰を?」

 

音羽は答えない。

 

言う必要がない。

 

葵も、もう分かっている。

 

守られる側にいると、

守る側の冷たさも見えるようになる。

 

葵は目を閉じた。

 

そして言った。

 

「それでいい」

 

音羽がわずかに驚く。

 

葵は続ける。

 

「中途半端が一番危ない」

 

「やるなら、やり切る」

 

その言葉は、震えていなかった。

 

⸻

 

狂禍は歩いていた。

 

裏通路の影を滑る。

 

端末はすでに複製が終わっている。

 

通信ログ。

 

接続タイミング。

 

癖。

 

次の枝が見える。

 

補給ラインだ。

 

狂禍の口元がゆっくり歪む。

 

「次だ」

 

目が笑っていない。

 

だが口元は笑っている。

 

それは狩人の笑みだった。

 

「一本ずつ折る」

 

静かに。

 

確実に。

 

容赦なく。

 

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