※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第6話 恐怖と選択の重さ

 

その日の執務室は、いつもより静かだった。

 

書類をめくる音も、ペンが紙を擦る音も、やけに大きく響く。

白瀬提督は机に肘をつき、深く息を吐いた。

 

「……長門、吹雪。座ってくれ」

 

長門は一礼して椅子に腰を下ろし、吹雪は少し緊張した様子でその隣に座った。

吹雪の指先が膝の上で強く握られているのを、提督は見逃さなかった。

 

「今日は、あの件について話したい」

 

それだけで、二人は理解した。

 

――倉庫で起きた、あの出来事。

侵入者。

そして、ハヤト。

 

「まず吹雪。昨日の巡回、何を感じた?」

 

唐突な問いだった。

吹雪は一瞬言葉を失い、視線を落とす。

 

「……正直に、言っていいですか?」

 

「構わない」

 

少し間を置いて、吹雪は口を開いた。

 

「怖かったです」

 

即答だった。

 

「侵入者が、じゃありません。

 ……ハヤトさんが、です」

 

長門の視線が、静かに吹雪へ向けられる。

 

「でも、それだけじゃありません」

 

吹雪は胸の前で拳を握りしめた。

 

「怖かったのに……

 “何をされるか分からない”って思ってたのに……

 何も、されなかった」

 

言葉を探すように、吹雪は少し天井を見上げる。

 

「それが……一番、怖かったんです」

 

白瀬提督は黙って頷いた。

急かさない。

 

「侵入者の人……最初は怒ってました。

 艦娘は兵器だ、戦争を呼ぶ存在だって……」

 

吹雪の声が、少しだけ震える。

 

「でも、ハヤトさんを見た瞬間……

 あの人、言葉が崩れたんです」

 

目を見開き、喉が鳴る音がはっきり聞こえた。

吹雪はその瞬間を、今でも鮮明に覚えている。

 

「“何だお前は”って……

 怒りじゃなくて、混乱でもなくて……

 純粋な、恐怖でした」

 

沈黙が落ちる。

 

「ハヤトさんは……何もしてませんでした」

 

吹雪は、はっきりと言った。

 

「近づいてもいない。

 触れてもいない。

 声も、荒げていない」

 

ただ、そこに立っていただけだ。

 

「なのに……

 侵入者は、自分で崩れていきました」

 

吹雪は、そこで言葉を切った。

 

「……それが、ただの怪物のやり方だとは、思えなかったんです」

 

白瀬提督は、長門に視線を向けた。

 

「長門。お前はどう見た?」

 

長門は少し考え、ゆっくりと口を開く。

 

「私も同じ結論だ」

 

即断だった。

 

「力で抑えることは出来た。

 威圧すれば、膝をつかせることも容易だったはずだ」

 

だが、そうしなかった。

 

「彼は……

 恐怖を“操作”しなかった」

 

この言葉に、吹雪が顔を上げる。

 

「操作しなかった。

 むしろ……引き受けた」

 

長門は腕を組み、低く続ける。

 

「侵入者が向けていた恐怖、怒り、拒絶。

 それらを全て、自分一人に向けさせた」

 

だから、艦娘には一切向かなかった。

 

「葵に向けさせなかった」

 

ここで、白瀬提督が静かに言葉を挟む。

 

「……それは、彼にとって有利な行動か?」

 

二人とも、首を横に振った。

 

「違います」

 

吹雪が答える。

 

「恐怖を全部引き受けたら、

 嫌われるのは自分だけです」

 

長門も頷く。

 

「信頼を得るには、最も遠い選択だ」

 

それでも、彼はそれを選んだ。

 

執務室の空気が、少しだけ重くなる。

 

「提督」

 

長門が続ける。

 

「私は……昨夜、別の場所で同じ“違和感”を感じた」

 

吹雪の表情が強張る。

 

「場所は?」

 

「南側外周。旧整備通路付近だ」

 

そこは、昨日の倉庫とは全く関係のない地点だった。

 

「だが、感覚は同じだった」

 

長門は目を細める。

 

「音が研ぎ澄まされ、

 気配が歪む」

 

「……誰か、いましたか?」

 

吹雪の問いに、長門は首を振る。

 

「何もいない。

 だが、“あった”」

 

言い切る。

 

「そこには、誰かの恐怖が残っていた」

 

白瀬提督は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「つまり……

 特定の個体じゃない」

 

「はい」

 

長門は断言する。

 

「違和感の正体は、生き物ではない。

 敵意でもない。

 ――人の恐怖、そのものだ」

 

吹雪は、はっとした。

 

「じゃあ……

 あれは、また起きる……?」

 

「起きる」

 

長門は否定しない。

 

「人が恐れ、選択を誤れば」

 

執務室に、沈黙が落ちる。

 

白瀬提督は、机の上に置いた報告書を見つめた。

 

「……ハヤトは、そのことに気づいているな」

 

「え?」

 

吹雪が思わず声を上げる。

 

長門も、静かに頷いた。

 

「気づいている。

 だから、動かない」

 

排除すれば、恐怖は増幅する。

力を見せれば、別の形で歪む。

 

「彼は、選ばせている」

 

長門は言った。

 

「艦娘が。

 人が。

 自分の恐怖と、どう向き合うかを」

 

吹雪は、胸が締め付けられる感覚を覚えた。

 

「それって……

 すごく、残酷じゃないですか……」

 

答えを急かすように、言葉が零れる。

 

「何もしないって……

 怖いまま、考え続けろってことですよね……」

 

白瀬提督は、帽子を取って机に置いた。

 

「そうだ」

 

否定しない。

 

「だが……

 それをやらなければ、俺たちはまた同じことを繰り返す」

 

“分からないものを、排除する”

“怖いものを、無かったことにする”

 

「彼は、それをさせないために立っている」

 

怪物として。

 

「……ただの怪物じゃ、ありませんね」

 

吹雪が小さく呟いた。

 

長門も同意する。

 

「怪物であれば、

 もっと簡単な方法を取る」

 

だが彼は、最も厄介で、最も苦しい道を選んだ。

 

白瀬提督は立ち上がる。

 

「第6警備記録には、こう記す」

 

二人は背筋を伸ばす。

 

「――“対象は危険である。

 しかし、排除すべき存在ではない”」

 

そして、一拍置いて続けた。

 

「“人の恐怖が生む歪みを、力でなく選択で止めた”」

 

吹雪は、胸の奥で何かが静かに動くのを感じた。

 

「……提督」

 

「なんだ」

 

「私……まだ、怖いです」

 

正直な言葉だった。

 

「でも……

 逃げるのは、違う気がします」

 

長門が、吹雪を見る。

 

「それが、選択だ」

 

誰かに強制されたものではない。

自分で選んだ、一歩。

 

執務室を出た後、吹雪は廊下を歩きながら、ふと足を止めた。

 

遠く、警備区画の影。

 

そこに、ハヤトが立っていた。

 

誰とも話さず、誰にも近づかず。

ただ、鎮守府を見渡している。

 

視線が、一瞬だけ合う。

 

吹雪は、迷った末に――

小さく、だが確かに、敬礼した。

 

ハヤトは、何も言わない。

ただ、わずかに頭を下げた。

 

それだけだった。

 

だが吹雪は、はっきりと感じていた。

 

――これは、選択だ。

 

恐怖から目を逸らさない、という選択。

 

そして、その恐怖が、いつか形を持つ時。

その時、誰が動くのか。

 

まだ誰も知らない。

 

だが確かに、

“何か”は、もう動き始めていた。

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