葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
煙は、ゆっくり流れていた。
爆発の白煙が桟橋の上を薄く覆い、
海風に押されて裂けていく。
普通なら、そこには倒れている影がある。
吹き飛ばされた肉体。
崩れた防御。
血の匂い。
だが——
立っている。
煙の中に、黒い塊のような影が立っている。
深赫だった。
足の位置が一ミリも動いていない。
背筋も曲がっていない。
腕は組んだまま。
まるで、さっきの斉射が“挨拶”だったかのように。
⸻
対喰種制圧分隊の先頭兵が、声を失った。
「……ありえない」
誰に言うでもなく、喉から漏れた。
照準は合っていた。
距離も完璧だった。
徹甲弾も混ぜた。
対策通りだった。
だが結果が違う。
「再装填!」
指揮官が叫ぶ。
声が一段高い。
余裕が消えている高さだ。
ボルトが引かれる音が重なる。
金属音が焦りを帯びる。
深赫が、ゆっくりと首を鳴らした。
骨の音が小さく響く。
「もういいのか」
声は低い。
だが通る。
「準備運動にもならんぞ」
⸻
兵の一人が怒鳴る。
「囲め!!」
隊形が展開する。
扇状包囲。
盾持ちが前へ。
拘束銃が後ろへ。
訓練通りの動き。
完璧な連携。
完璧な——“人間の戦術”。
深赫はそれを眺めていた。
目を細めて。
評価するように。
「悪くない」
一歩出る。
その一歩で、空気が変わった。
⸻
拘束弾が発射される。
網状ワイヤー。
帯電拘束。
絡めて止める装備。
赫子にも絡む想定。
絡んだ。
確かに絡んだ。
次の瞬間——
引きちぎれた。
力で。
技巧ではない。
純粋な出力。
兵が叫ぶ。
「出力オーバー!?」
深赫が言う。
「細いと言った」
⸻
盾兵が突っ込む。
電磁シールド展開。
接触制圧型。
深赫は避けない。
正面から受ける。
ぶつかる。
音が重い。
金属が悲鳴を上げる。
シールドが歪む。
兵の腕が痺れる。
深赫が盾を掴む。
持ち上げる。
兵ごと。
投げない。
横に置く。
まるで邪魔な家具のように。
⸻
後列が撃つ。
連射。
火花。
着弾。
止まる。
硬化した赫子に弾が埋まる。
抜けない。
砕けない。
兵の声が震える。
「装甲じゃない……」
「生体だぞ……」
⸻
桟橋の後方。
吹雪たちが遠目に見ていた。
参戦は禁止された。
命令ではなく、拒否された。
それが逆に動けない。
吹雪の手が震える。
「……行きたい」
満潮が言う。
「分かる」
曙が言う。
「でも」
目を逸らさない。
「任せるって決めた」
その言葉は、強がりではない。
覚悟だった。
⸻
提督室。
白瀬はモニターを見続けていた。
深赫の姿が小さく映っている。
だが存在感は小さくない。
長門が低く言う。
「規格外だ」
加賀が言う。
「戦術が意味を持っていません」
白瀬は小さく答えた。
「だから“王の盾”だ」
そして、心の中で続ける。
(敵でなくてよかった)
それは本音だった。
⸻
桟橋。
深赫が、ようやく赫眼を開いた。
赤。
深い赤。
燃えるのではない。
沈む赤。
兵の喉が乾く。
本能が理解する色。
捕食者の色。
深赫が言う。
「王の前で、刃は折れる」
次の瞬間、距離が消えた。
速いのではない。
間がない。
結果だけがそこにある。
⸻
隊長が倒れていた。
何が起きたか、誰も見ていない。
音もない。
動きも見えない。
ただ、立っていたはずの男が
地面に横たわっている。
意識はある。
動けない。
深赫が見下ろす。
「寝てろ」
それだけ。
殺さない。
だが戦闘不能。
確実に。
⸻
無線が悲鳴に変わる。
「止められない!」
「制圧不能!」
「増援を——」
その言葉に被せて、別の声が入る。
狂禍だ。
落ち着いている。
「増援も折った」
「補給線、壊滅」
炎慈の声。
「正門側、制圧完了」
龍牙の声。
「外周、沈黙」
報告が淡々と積み上がる。
まるで作業完了報告のように。
それが一番恐ろしかった。
⸻
桟橋。
最後の兵が武器を落とした。
金属音が乾いて響く。
深赫は近づく。
見下ろす。
兵の目に涙が滲む。
「なぜだ……」
絞り出す声。
「対策したはずだ……」
深赫が答える。
「対策したのは“喰種”だ」
「俺たちは違う」
その言葉は、線引きだった。
⸻
ハヤトは動かない。
一歩も。
深赫の背中を見る。
炎慈が横に来る。
「終わったな」
ハヤトが答える。
「まだだ」
視線は遠く。
「根が残ってる」
炎慈が笑う。
「徹底的だな」
ハヤトが言う。
「敵だからな」
それで終わる。
⸻
倒れた兵たちの間を、
深赫が静かに歩いた。
踏まない。
蹴らない。
興味がない。
戦闘が終わった相手は、もう対象外。
それが一番冷たかった。
⸻
遠くで、冥焔連の咆哮が上がった。
勝鬨ではない。
狩りの終わりの声。
血の匂いではなく、
支配の匂いが広がる。
⸻
白瀬提督は、モニターを見ながら小さく呟いた。
「酷い」
誰も否定しない。
長門も。
加賀も。
白瀬は続けた。
「だが——守られた」
その現実も、否定できなかった。
⸻
王は動かない。
盾が立つ。
牙が狩る。
それが冥焔連の戦い方だった。