※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第60話 退かない

 

煙は、ゆっくり流れていた。

 

爆発の白煙が桟橋の上を薄く覆い、

海風に押されて裂けていく。

 

普通なら、そこには倒れている影がある。

 

吹き飛ばされた肉体。

崩れた防御。

血の匂い。

 

だが——

 

立っている。

 

煙の中に、黒い塊のような影が立っている。

 

深赫だった。

 

足の位置が一ミリも動いていない。

 

背筋も曲がっていない。

 

腕は組んだまま。

 

まるで、さっきの斉射が“挨拶”だったかのように。

 

⸻

 

対喰種制圧分隊の先頭兵が、声を失った。

 

「……ありえない」

 

誰に言うでもなく、喉から漏れた。

 

照準は合っていた。

距離も完璧だった。

徹甲弾も混ぜた。

 

対策通りだった。

 

だが結果が違う。

 

「再装填!」

 

指揮官が叫ぶ。

 

声が一段高い。

 

余裕が消えている高さだ。

 

ボルトが引かれる音が重なる。

金属音が焦りを帯びる。

 

深赫が、ゆっくりと首を鳴らした。

 

骨の音が小さく響く。

 

「もういいのか」

 

声は低い。

 

だが通る。

 

「準備運動にもならんぞ」

 

⸻

 

兵の一人が怒鳴る。

 

「囲め!!」

 

隊形が展開する。

 

扇状包囲。

 

盾持ちが前へ。

拘束銃が後ろへ。

 

訓練通りの動き。

 

完璧な連携。

 

完璧な——“人間の戦術”。

 

深赫はそれを眺めていた。

 

目を細めて。

 

評価するように。

 

「悪くない」

 

一歩出る。

 

その一歩で、空気が変わった。

 

⸻

 

拘束弾が発射される。

 

網状ワイヤー。

帯電拘束。

 

絡めて止める装備。

 

赫子にも絡む想定。

 

絡んだ。

 

確かに絡んだ。

 

次の瞬間——

 

引きちぎれた。

 

力で。

 

技巧ではない。

 

純粋な出力。

 

兵が叫ぶ。

 

「出力オーバー!?」

 

深赫が言う。

 

「細いと言った」

 

⸻

 

盾兵が突っ込む。

 

電磁シールド展開。

 

接触制圧型。

 

深赫は避けない。

 

正面から受ける。

 

ぶつかる。

 

音が重い。

 

金属が悲鳴を上げる。

 

シールドが歪む。

 

兵の腕が痺れる。

 

深赫が盾を掴む。

 

持ち上げる。

 

兵ごと。

 

投げない。

 

横に置く。

 

まるで邪魔な家具のように。

 

⸻

 

後列が撃つ。

 

連射。

 

火花。

 

着弾。

 

止まる。

 

硬化した赫子に弾が埋まる。

 

抜けない。

 

砕けない。

 

兵の声が震える。

 

「装甲じゃない……」

 

「生体だぞ……」

 

⸻

 

桟橋の後方。

 

吹雪たちが遠目に見ていた。

 

参戦は禁止された。

 

命令ではなく、拒否された。

 

それが逆に動けない。

 

吹雪の手が震える。

 

「……行きたい」

 

満潮が言う。

 

「分かる」

 

曙が言う。

 

「でも」

 

目を逸らさない。

 

「任せるって決めた」

 

その言葉は、強がりではない。

 

覚悟だった。

 

⸻

 

提督室。

 

白瀬はモニターを見続けていた。

 

深赫の姿が小さく映っている。

 

だが存在感は小さくない。

 

長門が低く言う。

 

「規格外だ」

 

加賀が言う。

 

「戦術が意味を持っていません」

 

白瀬は小さく答えた。

 

「だから“王の盾”だ」

 

そして、心の中で続ける。

 

(敵でなくてよかった)

 

それは本音だった。

 

⸻

 

桟橋。

 

深赫が、ようやく赫眼を開いた。

 

赤。

 

深い赤。

 

燃えるのではない。

 

沈む赤。

 

兵の喉が乾く。

 

本能が理解する色。

 

捕食者の色。

 

深赫が言う。

 

「王の前で、刃は折れる」

 

次の瞬間、距離が消えた。

 

速いのではない。

 

間がない。

 

結果だけがそこにある。

 

⸻

 

隊長が倒れていた。

 

何が起きたか、誰も見ていない。

 

音もない。

 

動きも見えない。

 

ただ、立っていたはずの男が

地面に横たわっている。

 

意識はある。

 

動けない。

 

深赫が見下ろす。

 

「寝てろ」

 

それだけ。

 

殺さない。

 

だが戦闘不能。

 

確実に。

 

⸻

 

無線が悲鳴に変わる。

 

「止められない!」

 

「制圧不能!」

 

「増援を——」

 

その言葉に被せて、別の声が入る。

 

狂禍だ。

 

落ち着いている。

 

「増援も折った」

 

「補給線、壊滅」

 

炎慈の声。

 

「正門側、制圧完了」

 

龍牙の声。

 

「外周、沈黙」

 

報告が淡々と積み上がる。

 

まるで作業完了報告のように。

 

それが一番恐ろしかった。

 

⸻

 

桟橋。

 

最後の兵が武器を落とした。

 

金属音が乾いて響く。

 

深赫は近づく。

 

見下ろす。

 

兵の目に涙が滲む。

 

「なぜだ……」

 

絞り出す声。

 

「対策したはずだ……」

 

深赫が答える。

 

「対策したのは“喰種”だ」

 

「俺たちは違う」

 

その言葉は、線引きだった。

 

⸻

 

ハヤトは動かない。

 

一歩も。

 

深赫の背中を見る。

 

炎慈が横に来る。

 

「終わったな」

 

ハヤトが答える。

 

「まだだ」

 

視線は遠く。

 

「根が残ってる」

 

炎慈が笑う。

 

「徹底的だな」

 

ハヤトが言う。

 

「敵だからな」

 

それで終わる。

 

⸻

 

倒れた兵たちの間を、

深赫が静かに歩いた。

 

踏まない。

 

蹴らない。

 

興味がない。

 

戦闘が終わった相手は、もう対象外。

 

それが一番冷たかった。

 

⸻

 

遠くで、冥焔連の咆哮が上がった。

 

勝鬨ではない。

 

狩りの終わりの声。

 

血の匂いではなく、

支配の匂いが広がる。

 

⸻

 

白瀬提督は、モニターを見ながら小さく呟いた。

 

「酷い」

 

誰も否定しない。

 

長門も。

加賀も。

 

白瀬は続けた。

 

「だが——守られた」

 

その現実も、否定できなかった。

 

⸻

 

王は動かない。

 

盾が立つ。

 

牙が狩る。

 

それが冥焔連の戦い方だった。

 

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