※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第61話 安全な場所など無い

 

戦闘が終わった直後の拠点は、音が足りなかった。

 

さっきまで鳴っていた銃声も、爆発の衝撃も、走る足音も——全部が急に消えて、代わりに残ったのは、波の音と、金属が冷えていく音だけだった。

 

潮の匂いに、焦げた絶縁材の匂いが混ざっている。

油と火薬と、汗。

それらが夜気に薄く溶けて、廊下の隅にまで残っている。

 

吹雪は、正門から少し離れた通路の角で、立ち尽くしていた。

 

倒れている兵士は動かない。

死んでいるわけではない。

息はある。

ただ、もう戦えない。

 

それが怖かった。

 

殺されていないのに、終わっている。

血がほとんど出ていないのに、完全に終わっている。

 

「……これが、狩り」

 

口に出した自分の声が、やけに乾いて聞こえた。

 

隣で満潮が短く息を吐く。

 

「言い方、合ってる」

 

吹雪は唇を噛んだ。

 

「でも……ひどいよ」

 

満潮はすぐには答えない。

視線を兵士から逸らさず、少しだけ間を置く。

 

「ひどい」

 

それから、淡々と言った。

 

「でも、こっちが倒れてたら、もっとひどい」

 

言葉の意味は理解できた。

それでも、心が追いつかない。

 

吹雪は肩を震わせた。

怒りではない。

恐怖でもない。

 

——混乱だ。

 

そこへ曙が来た。

 

走ってきたわけではない。

歩幅を崩さず、息も乱さず、いつもの顔で。

でも目だけが冴えている。

 

「……吹雪」

 

呼ばれて、吹雪はようやく息をした。

 

「曙……」

 

曙は倒れている兵士を見て、視線をわずかに細めた。

 

「殺してない」

 

満潮が頷く。

 

「うん」

 

曙の声が低くなる。

 

「殺さない方が怖いって、どういうことよ」

 

誰も答えない。

 

答えがないからではなく、

答えた瞬間に、何かが壊れる気がしたからだ。

 

⸻

 

通路の奥から、足音が近づく。

 

金属音のしない歩き方。

軍靴の響きでもない。

艦娘の足音でもない。

 

炎慈だった。

 

血の匂いを纏っているのに、表情が軽い。

戦闘後の高揚ではない。

作業を終えた後の顔だった。

 

「終わり終わり」

 

誰に言うでもなく、そう言って、炎慈は倒れている兵士をまたいだ。

 

吹雪の喉が鳴る。

 

「……平気なの?」

 

炎慈が足を止める。

 

振り向いた。

赫眼は閉じている。

だが目は、熱を完全に消していない。

 

「何が」

 

「……こういうの」

 

吹雪は言葉を探した。

 

「人を……」

 

炎慈が笑った。

 

「人?」

 

その笑いは嘲りではない。

確認の笑いだ。

 

「お前らは優しいな」

 

曙が噛みつく。

 

「優しいんじゃない。普通なの」

 

炎慈は肩をすくめる。

 

「普通は状況次第だ」

 

「俺らは、状況で変わらねえ」

 

満潮が言う。

 

「敵には容赦しない」

 

炎慈が指を鳴らした。

 

「そう、それ」

 

そして、吹雪を見て言った。

 

「安心しろ。お前らに手は汚させねえ」

 

吹雪が息を呑む。

 

その言葉が、優しさに聞こえてしまったことが怖い。

 

⸻

 

補給庫側の通路では、龍牙が立っていた。

 

さっきまで戦っていたはずなのに、

服の乱れがほとんどない。

呼吸も落ち着いている。

 

ただ、目だけが冷たい。

 

吹雪が思わず言った。

 

「……もう終わったの?」

 

龍牙が答える。

 

「終わった」

 

「増援は」

 

「折った」

 

「……そんな簡単に」

 

龍牙は首を傾ける。

 

「簡単ではない」

 

「当然だ」

 

その“当然”が、兵器みたいに聞こえる。

 

曙が龍牙を見る。

 

「あなたたちって、怖い」

 

龍牙が曙を見返す。

 

「怖がれ」

 

「怖がるべき相手を間違えるな」

 

曙の口が閉じた。

 

怖がるべき相手。

 

敵か。

喰種か。

自分の中の迷いか。

 

⸻

 

医療区画。

 

葵は、椅子に座ったまま、背中を壁に預けていた。

 

音羽が隣にいる。

距離は半歩。

いつもと同じ距離。

 

だが今夜は、その半歩が鉄壁に見えた。

 

廊下の向こうで、足音が止まるたびに、

音羽の視線が動く。

 

葵はその視線の速さに、胸がざわついた。

 

「……音羽」

 

「何」

 

「怖い?」

 

音羽は即答しない。

呼吸を一つ置く。

 

「怖い」

 

葵が目を見開く。

 

音羽は続ける。

 

「怖いから、守る」

 

「怖いから、見落とさない」

 

葵は笑いそうになって、笑えなかった。

 

「……私、狙われてるんだよね」

 

音羽が頷く。

 

「狙った代償を払わせる」

 

葵が呟く。

 

「代償って、何」

 

音羽は葵を見る。

 

「あなたが想像するより、酷い」

 

葵は目を閉じた。

 

胸の奥で、何かが冷えていく。

 

(守られるって、こういうことなんだ)

 

⸻

 

提督室。

 

白瀬提督は立ったままモニターを見ていた。

 

映像は断片だ。

 

廊下のカメラ。

倉庫のカメラ。

正門のカメラ。

 

そこに映るのは、倒れた兵士、歪んだ盾、撃ち尽くされた弾倉。

そして——喰種たちの、淡い笑み。

 

長門が低い声で言う。

 

「対策装備が、役に立っていない」

 

加賀が言う。

 

「拘束が保持できません」

 

「弾が止められています」

 

白瀬は椅子に座らなかった。

 

座ったら、判断が鈍る気がした。

 

「想定が甘い」

 

言葉にすると、簡単だ。

 

だが、簡単で済ませていい現実ではない。

 

長門が言う。

 

「艦娘を出すべきだ」

 

白瀬は息を吐く。

 

「……出したい」

 

本音だった。

 

守りたい。

鎮守府を守るのは艦娘だ。

それがこの世界の常識だ。

 

だが——

 

白瀬はモニターの中の深赫を見た。

 

桟橋で、仁王立ちしていた影。

弾を受けてなお、腕を組んで笑っていた影。

 

白瀬は静かに言う。

 

「出せない」

 

長門が眉を動かす。

 

「なぜだ」

 

白瀬は答える。

 

「ハヤトが拒否した」

 

「手を汚すのは自分たちで十分だと」

 

加賀の目が細くなる。

 

「……守るための拒否ですか」

 

白瀬は苦く笑った。

 

「そうだろう」

 

「守るやり方としては、あまりに酷い」

 

「非人道的だ」

 

長門が言う。

 

「だが守られている」

 

白瀬は、その言葉に頷くしかなかった。

 

だから、自分に言い聞かせる。

 

(これは、あいつらなりの守り方だ)

 

(俺たちの倫理で裁けるものじゃない)

 

言い聞かせることでしか、立っていられなかった。

 

⸻

 

一方、中央管制棟の会議室は、静まり返っていた。

 

冷たい照明。

椅子の並び。

スクリーンに映る戦闘記録。

 

深赫が映る。

 

弾が止まる。

 

拘束が裂ける。

 

兵が倒れる。

 

誰も言葉を発さない。

 

参謀の一人が、唇を震わせた。

 

「……対策装備が」

 

技術主任が言い訳のように言う。

 

「赫子特効など、存在しない」

 

「火力で——」

 

榊原が叩く。

 

机を。

 

音が響く。

 

「火力が意味を持っていない!」

 

久我が笑う。

 

「だから言っただろ」

 

「制御が必要だってな」

 

榊原が睨む。

 

「今さらだ」

 

「次の手を出す」

 

顧問が低く言う。

 

「大規模投入か」

 

榊原は迷いなく頷いた。

 

「投入する」

 

「数で押す」

 

「拘束を重ねる」

 

「拠点ごと制圧する」

 

若い士官が言った。

 

「……それは、戦争です」

 

榊原が言い切る。

 

「最初から戦争だ」

 

「向こうが“狩り”を始めた」

 

「ならこちらは“殲滅”を始める」

 

久我が口角を上げる。

 

「殲滅ねえ……王は殺すなよ」

 

榊原が言う。

 

「殺さない」

 

「奪う」

 

「女もだ」

 

その瞬間、空気が歪んだ。

 

“女”と言った時の軽さが、全員に伝わったからだ。

 

顧問が言う。

 

「……標的にするのか」

 

榊原が言う。

 

「錨だ」

 

「錨を抜けば王は動く」

 

若い士官が小さく言う。

 

「……愚かだ」

 

榊原は聞こえないふりをした。

 

⸻

 

桟橋。

 

ハヤトは海を見ていた。

 

深赫が隣に立つ。

炎慈が少し後ろにいる。

空気が静かに整っている。

 

深赫が言う。

 

「上が動く」

 

炎慈が笑う。

 

「数が増える」

 

ハヤトは答えない。

 

だが、深赫は分かる。

 

王の中で何かが動いている。

 

それは怒りではない。

 

怒りの形をした、決定だ。

 

⸻

 

その時、狂禍の声が無線に入った。

 

落ち着いている。

 

「中央、動いた」

 

「大規模投入の準備」

 

炎慈が舌打ちする。

 

「来るな」

 

深赫が言う。

 

「来る」

 

ハヤトは、そこで初めて視線を上げた。

 

海ではなく、拠点の方向へ。

 

「……葵を標的にした」

 

声は低い。

 

深赫が黙る。

 

炎慈も笑わない。

 

その言葉が、命令より重いと分かったからだ。

 

ハヤトが続ける。

 

「代償を払わせる」

 

それは宣言ではない。

事実だった。

 

⸻

 

拘束室。

 

捕えられた敵兵の一人が、通信端末の前に座らされていた。

 

両腕は固定されている。

口は塞がれていない。

 

喋らせるためではない。

 

映すためだ。

 

カメラが起動する。

 

赤いランプが点く。

 

通信が繋がる。

 

中央管制棟の会議室。

 

スクリーンに映像が映る。

 

最初に映ったのは、拘束された兵士の顔。

青ざめている。

汗が光る。

 

次に映ったのは——

 

影。

 

王。

 

ハヤト。

 

⸻

 

会議室が凍った。

 

榊原が立ち上がる。

 

「……何だ、これは」

 

久我が笑う。

 

「来たな」

 

顧問が息を呑む。

 

若い士官が震える。

 

映像の中の王は、カメラをまっすぐ見ていた。

 

目は赫眼ではない。

だがそれが逆に怖い。

 

理性のまま、ここにいる。

 

そして王の隣。

 

深赫が腕を組んで立っている。

 

動かない。

 

笑みだけがある。

 

⸻

 

ハヤトは、淡々と言った。

 

「葵を標的にしたな」

 

榊原の喉が鳴る。

 

「貴様——」

 

言いかけた言葉が、続かなかった。

 

王の目が、声を奪う。

 

ハヤトは続ける。

 

「代償は払ってもらう」

 

沈黙。

 

会議室の誰も声を出せない。

 

出せば、殺される気がした。

 

実際に殺されるわけではない。

 

——だが、心が先に折れる。

 

ハヤトは言った。

 

「安全な場所など無い」

 

一拍。

 

「俺達はどこにでも行ける」

 

その言葉は脅しではない。

 

宣戦布告でもない。

 

現実の説明だった。

 

⸻

 

スクリーンの向こうで、誰かが息を呑む音がした。

 

その瞬間。

 

深赫が、ゆっくり笑った。

 

不敵に。

 

まるで言う。

 

“理解したか?”

 

⸻

 

白瀬提督は、提督室でその通信を見ていた。

 

長門も、加賀も、黙っている。

 

白瀬は、胸の奥が冷えるのを感じた。

 

(これが王か)

 

守り方が酷い。

非人道的だ。

否定したい。

 

でも——

 

葵が標的にされた事実がある。

 

それに対して、王は“代償”を提示した。

 

それは、抑止になる。

 

守りになる。

 

白瀬は自分に言い聞かせた。

 

(守り方は違う)

 

(だが守りだ)

 

(俺たちは、それを見届けるしかない)

 

唇が苦くなる。

 

それでも視線は逸らさない。

 

指揮官として、見届ける。

 

⸻

 

通信が切れた。

 

会議室の空気が崩れる。

 

榊原が叫ぶ。

 

「大規模投入を前倒し!」

 

「今すぐだ!」

 

久我が笑う。

 

「追い詰めたな」

 

顧問が低く言う。

 

「……追い詰めたのは、こちらか?」

 

誰も答えない。

 

答えは、スクリーンに残った赫眼の残像が知っている。

 

⸻

 

桟橋。

 

ハヤトは、海を見たまま、動かない場所へ戻った。

 

深赫が隣に立つ。

 

炎慈が後ろで言う。

 

「来るぞ」

 

ハヤトは短く答えた。

 

「来い」

 

その声は、静かな殺意を含んでいた。

 

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