葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー 作:戌威
警備中に起きた小さな事件、侵入者の拘束。
それに対して艦娘達が抱く思い。
艦娘達は葵と話すことで何かを得ようと、確認しようとしていた。
【駆逐艦・吹雪視点】
食堂の窓から差し込む光は、今日も変わらず柔らかい。
変わらないはずなのに、胸の奥に残る違和感だけが消えなかった。
「……葵さん、今日も手伝ってるんだ」
配膳台の向こうで、白いエプロンを身につけた葵が動いている。
鳳翔さんと間宮さんの間に立ち、鍋を覗き込み、時折笑う。
——昨日のことを思い出す。
食堂で、ハヤトさんが前に立った時の、あの空気。
守るように立つ背中と、低い声。
怖かった。
正直に言えば、今も。
それでも——。
「吹雪ちゃん、お味噌汁運ぶの手伝ってもらってもいい?」
声をかけられて、びくりと肩が跳ねた。
葵がこちらを見て、変わらない笑顔で立っている。
「は、はい……!」
断る理由なんて、なかった。
怖い、という感情だけで距離を取ることは、昨日あれだけ見せつけられたから。
鍋を受け取ると、葵は小さく「ありがとう」と言った。
「……あの……」
言葉が喉につかえる。
でも、葵は待つ。急かさない。
「……怖く、ないんですか?」
ぽつりと出た言葉。
聞いてしまった、と思った。
でも葵は少しだけ考えてから、首を横に振った。
「怖いよ」
即答だった。
「怖いし、不安だし、分からないこともいっぱいある」
それなのに、笑顔は消えない。
「でもね、怖いって思うこと自体は、悪いことじゃないって思ってる」
吹雪は、思わず鍋を持つ手に力が入った。
「私も、たくさん怖かったから」
葵はそれ以上、詳しく語らなかった。
でもその言葉だけで、胸の奥が少し痛くなる。
「だから、吹雪ちゃんが怖いって思うのも、当然だと思うよ」
否定しない。
責めない。
正解を押しつけない。
「……それでも、ここにいてくれてありがとう」
その一言で、吹雪は何も言えなくなった。
——怖いのは、こちらなのに。
それでも感謝されるなんて。
⸻
【軽巡・神通視点】
廊下の向こうから、鍋の音と笑い声が聞こえる。
その中に、葵の声が混じっていた。
(……この鎮守府で、一番静かな強さを持っている人かもしれない)
そう思う。
戦場では、力を持つ者が正義になる。
だがここでは違う。
葵は何も持たない。
武器も、地位も、権限も。
それでも人を引き寄せる。
神通は、柱の影からその様子を見ていた。
吹雪がぎこちなく手伝いをし、葵が隣で自然に振る舞っている。
「……不思議な人だ」
近くにいた川内が、小さく呟く。
「怖くないのかな、あの人」
「……怖いと思う」
神通は答えた。
「それでも逃げないだけだ」
川内は少し驚いた顔をした。
「逃げない、か……」
神通は思い出す。
昨日の食堂での空気。
誰も悪くないのに、誰も正解を持っていなかった時間。
(拒絶される痛みを知っているからこそ、否定しない……)
それは、簡単なことではない。
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【重巡・妙高視点】
食堂の一角で、妙高は湯のみを手にして座っていた。
視線の先には、葵と数人の艦娘達。
妙高は、昔から「強さ」とは何かを考えてきた。
火力か。
装甲か。
指揮能力か。
だが今、目の前にあるのはそれらとは違う強さだった。
「……葵さん」
思わず声をかけていた。
葵は振り向き、すぐに姿勢を正す。
「妙高さん、どうしました?」
「……いえ。ただ、少し聞きたいことが」
妙高は言葉を選んだ。
「あなたは……拒絶されるかもしれない場所に、なぜ立ち続けられるのですか?」
直接すぎたかもしれない。
だが、誤魔化す気にはなれなかった。
葵は少し困ったように笑った。
「……うーん、立ち続けてる、って感覚はあんまりなくて」
少し考えてから、続ける。
「逃げても、何も変わらなかったから、かな」
静かな声だった。
「理解されないのは、すごく苦しいよ。悲しいし、怖い」
妙高は黙って聞く。
「でもね、それでも誰かが一歩踏み出してくれたら、その一歩は無駄じゃないって思うんだ」
「……それが、艦娘達だと?」
「うん」
即答だった。
「少しずつでいい。今日じゃなくてもいい」
葵は微笑む。
「いつか、理解してもらえたらいいなって」
妙高は、その言葉を胸に刻んだ。
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【戦艦・扶桑視点】
扶桑は、窓際で紅茶を飲みながら、その光景を見ていた。
——兵器か、人か。
それは、艦娘達がずっと向き合ってきた問いだ。
「……私達も、否定されてきましたから」
思わず、声が漏れた。
隣にいた山城が、少し驚いた顔で見る。
「姉さま?」
扶桑は視線を外さず、続ける。
「兵器だと、怪物だと……感情なんて必要ないと」
そして葵を見る。
「それでも、あの方は……否定しない」
怖いと言われても。
理解できないと言われても。
「……強い人ですね」
扶桑の言葉に、山城も小さく頷いた。
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【空母・赤城視点】
赤城は配膳台の前に立っていた。
「葵さん」
「赤城さん、今日は何にします?」
「……少し、話を」
葵はすぐにトレーを置き、赤城と向き合う。
赤城は、ずっと考えていた。
ハヤトという存在。
その力。
その危険性。
そして、葵という存在。
「あなたは……あの方を恐れていないのですか?」
「恐れてるよ」
やはり即答だった。
「でも、恐れてるからこそ、目を逸らしたくない」
葵は赤城を見る。
「赤城さん達も、ずっと恐れられてきたでしょう?」
赤城は、息を飲んだ。
「それでも、戦ってきた。守ってきた」
「……」
「私は、ハヤトが何者でも、否定しないって決めただけ」
「それは……覚悟、ですか?」
葵は首を振る。
「覚悟っていうより……一緒に生きるって選んだだけ」
赤城は、目を伏せた。
(……同じだ)
艦娘もまた、そうやって生きてきたのだから。
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【再び・吹雪視点】
夕方、食堂の喧騒が落ち着いた頃。
吹雪は廊下で、葵とすれ違った。
「吹雪ちゃん」
呼び止められて、足が止まる。
「今日は、ありがとう」
「……いえ」
少し沈黙が落ちる。
「……あの」
吹雪は、思い切って言った。
「怖いって思っても……いいんですよね」
葵は、ゆっくり頷いた。
「うん。いいよ」
「……それでも、ここにいていいんですよね」
葵は、少しだけ目を細めた。
「いてくれたら、嬉しい」
吹雪の胸の奥で、何かがほどけた。
——答えは、まだ出ない。
——でも、選び続けることはできる。
遠くで、ハヤトが立っている。
何も言わず、こちらを見ている。
吹雪は一度だけ、深く息を吸った。
そして、ほんの小さく——前を向いた。