※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第70話 帰る場所

 

夜はまだ終わっていなかった。

 

だが、戦いの音だけが消えていた。

 

呉鎮守府の灯りは落とされず、

外灯も、廊下の照明も、そのままだった。

 

誰も「消そう」と言い出さない。

 

暗くすると、不安が増すからだ。

 

明るいまま待つ。

 

それが、今できる唯一のことだった。

 

⸻

 

正門警戒ライン。

 

仮設バリケードはそのまま。

弾痕も残ったまま。

血も洗い流されていない。

 

夕立が盾に腰掛けている。

 

銃は手放していない。

 

「……静かっぽい」

 

潮が小さく頷く。

 

「うん……静かすぎる」

 

吹雪が空を見上げる。

 

雲が低い。

 

風が弱い。

 

音が遠い。

 

「戦ってたのが、嘘みたい」

 

曙が言う。

 

「戦いの後って、いつもそう」

 

満潮が付け足す。

 

「音が消える」

 

「代わりに、考え始める」

 

何を?

 

怖さを。

 

実感を。

 

生きていることを。

 

⸻

 

後方支援ライン。

 

金剛が珍しく静かだった。

 

壁にもたれている。

 

榛名が言う。

 

「疲れましたか」

 

金剛が笑う。

 

「ちょっとネ」

 

「でも嫌いじゃない」

 

扶桑が空を見る。

 

「……守れたわね」

 

山城が小さく言う。

 

「まだ終わってない」

 

だがその声には、刺がない。

 

⸻

 

空母区画。

 

赤城が補給表を見ている。

 

だが目は文字を追っていない。

 

加賀が気づいている。

 

「集中できませんか」

 

赤城が苦笑する。

 

「ええ」

 

「待つ方が疲れます」

 

蒼龍が言う。

 

「分かる」

 

飛龍が頷く。

 

「空母なのにね」

 

「出撃してないのに」

 

翔鶴が言う。

 

「でも、前線でした」

 

瑞鶴が笑う。

 

「気持ちはね」

 

⸻

 

医療区画。

 

葵は窓のそばに立っていた。

 

座っていられなかった。

 

落ち着かない。

 

胸の奥がずっとざわついている。

 

音羽は半歩後ろ。

 

視線は常に周囲。

 

紫羽の女性護衛隊が外周を固めている。

 

葵が小さく言う。

 

「まだ、遠い?」

 

音羽が端末を見る。

 

「位置情報、接近中」

 

それだけで、呼吸が少し変わる。

 

浅かった呼吸が、深くなる。

 

涙が出そうになる。

 

まだ帰ってきていないのに。

 

⸻

 

提督室。

 

白瀬はようやく椅子に座っていた。

 

背もたれには預けていない。

 

肘もついていない。

 

ただ座っている。

 

それだけで精一杯だった。

 

長門が言う。

 

「戻る」

 

短い報告。

 

白瀬が目を閉じる。

 

数秒。

 

深く息を吐く。

 

「……そうか」

 

声が少しだけ緩んだ。

 

加賀が言う。

 

「肩の力が抜けています」

 

白瀬が苦笑する。

 

「分かるか」

 

「はい」

 

「指揮官は、重い方がいい」

 

⸻

 

監視班が叫ぶ。

 

「車列確認!」

 

空気が動く。

 

誰も走らない。

 

だが全員、動く。

 

自然に。

 

吸い寄せられるように。

 

⸻

 

正門。

 

灯りの向こうに、影が現れる。

 

車両。

 

装甲車。

 

速度を落とす。

 

止まる。

 

エンジン音が下がる。

 

止まる。

 

その瞬間、空気が変わった。

 

待機の空気から——

帰還の空気へ。

 

⸻

 

ドアが開く。

 

最初に降りたのは深赫だった。

 

姿勢は変わらない。

 

表情も変わらない。

 

だが周囲を見る目が少し柔らかい。

 

炎慈が降りる。

 

「ただいま」

 

誰に言うでもなく言う。

 

夕立が思わず言う。

 

「おかえりっぽい」

 

炎慈が笑う。

 

「いいなそれ」

 

⸻

 

龍牙。

狂禍。

黒滅。

紅牙。

親衛。

精鋭。

 

全員降りる。

 

欠けていない。

 

それが分かるだけで、艦娘たちの肩が下がる。

 

⸻

 

最後に、ハヤト。

 

降りる。

 

動きは変わらない。

 

だが空気が違う。

 

戦闘の圧がない。

 

熱が引いている。

 

静かな温度。

 

帰ってきた温度。

 

⸻

 

葵が走った。

 

止める声はない。

 

音羽も止めない。

 

紫羽も止めない。

 

一直線。

 

距離を詰める。

 

止まる。

 

抱きつかない。

 

ぶつからない。

 

ただ近くで止まる。

 

呼吸が震えている。

 

「……おかえり」

 

小さい声。

 

ハヤトが答える。

 

「ああ」

 

それだけ。

 

だがそれで全部だった。

 

⸻

 

数秒。

 

言葉がない。

 

だが通じている。

 

生きて帰った。

 

それがすべてだった。

 

⸻

 

白瀬提督が歩いてくる。

 

足取りが少し重い。

 

だが真っ直ぐ。

 

ハヤトの前で止まる。

 

敬礼はしない。

 

握手もしない。

 

ただ言う。

 

「帰還確認だ」

 

ハヤトが頷く。

 

「ただいま」

 

白瀬が笑った。

 

初めて、ちゃんと笑った。

 

「おかえり」

 

⸻

 

周囲で、空気が緩む。

 

誰かが笑う。

 

誰かが座り込む。

 

誰かが泣く。

 

緊張が抜ける音がする。

 

見えない糸が切れる音だ。

 

⸻

 

長門が小さく言う。

 

「距離が縮んだな」

 

加賀が答える。

 

「ええ」

 

「戦場で」

 

「家族になりました」

 

⸻

 

夜はまだ明けていない。

 

だが鎮守府には、確かに灯りが戻っていた。

 

帰る場所がある灯りが。

 

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