※この作品はR-18です。

葵が笑う世界で ー王と提督は、ただ1人を守る為にー   作:戌威

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第9話 触れてはいけないもの

 

取調室は、静かだった。

 

壁は無機質な灰色。

小さな机と椅子が二脚。

照明は必要最低限。

 

男は椅子に座っていた。

両手は膝の上。

拘束具は、付けていない。

 

それでも、逃げる気配はなかった。

 

「……体調は?」

 

白瀬提督が静かに問いかける。

 

男は一瞬、視線を上げ、すぐに逸らした。

 

「……大丈夫、です」

 

声は掠れている。

震えてはいないが、張りもない。

 

長門は男の様子を一瞥し、椅子に腰を下ろした。

 

「氏名と所属を」

 

「……山岸 恒一。

 所属……特に、ありません」

 

「動機は?」

 

その問いに、男は少しだけ沈黙した。

 

「……艦娘、です」

 

短い答え。

 

「艦娘がいるから、深海棲艦が来る。

 艦娘がいるから、戦争になる。

 ……そう、思ってました」

 

白瀬提督は、何も否定しない。

 

「だから侵入した?」

 

「……はい」

 

「武器を持ち込んだ理由は?」

 

男の喉が鳴る。

 

「……怖かったから、です」

 

「何が?」

 

しばらく、沈黙。

 

やがて男は、絞り出すように言った。

 

「……分からない“何か”が、いた」

 

長門の視線が鋭くなる。

 

「喰種のことか?」

 

男は、首を横に振った。

 

「……名前は、知らない。

 正体も、分からない」

 

白瀬提督が問いを重ねる。

 

「では、何が怖かった?」

 

男は、ゆっくりと息を吸った。

 

「……近づいたら、

 “終わる”気がした」

 

その言葉に、長門の眉が僅かに動く。

 

「終わる、とは?」

 

「……殺される、とかじゃない」

 

男は、自分でも説明に困っているようだった。

 

「……もっと、別の……

 触れちゃいけないものに、触る感じです」

 

白瀬提督は、静かにメモを取る。

 

「ナイフを向けたな」

 

男の肩が、びくりと跳ねた。

 

「……はい」

 

「刺そうとした」

 

「……はい」

 

「だが、刺さらなかった」

 

男は、強く目を閉じた。

 

「……はい」

 

長門が、低い声で言う。

 

「その時、何を感じた」

 

男は、しばらく黙っていた。

 

やがて、ぽつりと零す。

 

「……“ああ、終わった”って」

 

「刺さらなかったのに、か?」

 

「……はい」

 

男は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「刺さらなかったから、です」

 

白瀬提督と長門は、黙って聞いている。

 

「力を入れても、

 刃が、皮膚に“入らない”」

 

「なのに、

 目だけは、ずっと、こっちを見てた」

 

「怒っても、いなかった」

 

「……軽蔑も、してなかった」

 

男の声が、少し震える。

 

「ただ……

 “現実”を見せられてる感じでした」

 

長門が問う。

 

「現実?」

 

「……自分が、何をしてるのか。

 どこに立ってるのか」

 

「それで?」

 

男は、苦笑のような表情を浮かべた。

 

「……“選べ”って、言われました」

 

白瀬提督が視線を上げる。

 

「選択肢を与えられた、と」

 

「はい」

 

「捨てろ、って」

 

男は、膝の上の手を見つめる。

 

「……不思議なんです」

 

「普通なら、

 殴られても、撃たれても、

 おかしくなかった」

 

「でも、何もされなかった」

 

長門が、静かに言う。

 

「生かされた、と?」

 

男は、ゆっくり頷いた。

 

「……はい」

 

「それが、怖かった」

 

白瀬提督が、少し間を置いて尋ねる。

 

「なぜだ?」

 

男は、すぐには答えなかった。

 

しばらく考え、言葉を選ぶ。

 

「……殺されるより、

 ずっと、重い」

 

「“自分で選んだ”って、

 残るから」

 

沈黙。

 

取調室の空気が、重く沈む。

 

長門が腕を組む。

 

「では聞こう」

 

男は、顔を上げた。

 

「今も、同じ考えか?」

 

——艦娘が戦争を招く、という考え。

 

男は、すぐには答えなかった。

 

だが、やがて首を振る。

 

「……分からない、です」

 

「でも……」

 

視線が、揺れる。

 

「少なくとも、

 “あれ”を怪物だとは、

 もう言えません」

 

白瀬提督が、静かに言う。

 

「理由は?」

 

男は、はっきりと答えた。

 

「怪物なら、

 選ばせない」

 

「怪物なら、

 恐怖を利用する」

 

「……でも、あれは」

 

男は、少しだけ言葉を詰まらせる。

 

「……恐怖を、

 “返してきた”」

 

長門が、ゆっくり息を吐く。

 

白瀬提督は、立ち上がった。

 

「君の処遇については、

 上に報告する」

 

「だが一つ、覚えておいてほしい」

 

男は、顔を上げる。

 

「生かされた事実は、

 逃げ場にはならない」

 

「同時に、

 君が選び直す余地でもある」

 

男は、深く頭を下げた。

 

「……はい」

 

取調室を出て、廊下を歩く。

 

白瀬提督は、帽子を押さえながら言った。

 

「……厄介だな」

 

長門は、短く応じる。

 

「力があるだけなら、

 対処は簡単だ」

 

「だが……」

 

白瀬提督は頷く。

 

「“選ばせる存在”は、

 恐れられる」

 

長門の視線が、遠くを見る。

 

「それでも、

 我々は共に在ると決めた」

 

「恐怖を理由に、

 切り捨てることはしない」

 

白瀬提督は、静かに笑った。

 

「……胃が痛くなるな」

 

「今に始まったことではない」

 

二人は、歩き続ける。

 

取調室の向こうで、

男は一人、椅子に座ったまま、

自分の手を見つめていた。

 

そこに、血はない。

 

だが——

“触れてはいけないものに触れた感覚”だけが、

深く、消えずに残っていた。

 

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