救済の鎖 ―Property of Nao― ~レズの魔の手に堕ちる王子様~ 作:嫌われた勘のいいガキ
指定された住所は、都心の喧騒から少し離れた静寂な高級住宅街にあった。
「えっと⋯⋯ここ、だよね?」
凛はスマートフォンのマップを二度見し、目の前の光景に思わず足を止めた。
そこにそびえ立っていたのは一面を重厚な石造りの壁で囲われた、築浅の超高級コンシェルジュ付きマンションだった。 エントランスには制服を着た警備員が立ち、磨き上げられたガラス扉の向こうにはホテルのロビーのような壮麗な空間が見える。
(うそ⋯⋯静香さん、こんなところに住んでるの?)
「人生経験豊富なお姉さん」とは言っていたが、想像を絶する経済力の差を突きつけられ凛の足がすくんだ。 自分はただの高校1年生だ。学校では王子様だなんだと持て囃されているけれど、この建物の前では背伸びした子供のようにしか思えない。
(僕なんかが入ってもいい場所じゃない⋯⋯場違いすぎるよ)
急速に自信を失い踵を返したくなる衝動に駆られる。けれどその時脳裏をよぎったのは自分に言い聞かせた言葉だった。
『奈緒を誰よりも幸せにする』 その決意まで「子供のままごと」にしたくない。凛は震える手でスマートフォンの画面を握りしめ、ひとつ、大きく深呼吸をした。
(大丈夫。静香さんは、僕を信じて呼んでくれたんだ。奈緒のために、逃げちゃダメだ)
自分を奮い立たせるように背筋を伸ばし、凛は意を決して自動ドアへと歩を進めた。 コンシェルジュのいぶかしげな視線――そう感じただけかもしれないが――をやり過ごし静かすぎるエレベーターに乗る。鏡に映る自分の顔は隠しきれない緊張で真っ白に強張っていた。
インターホンを鳴らすと間もなく「はい」という穏やかな声が響き、重厚な扉が開いた。
「いらっしゃい、凛ちゃん。⋯⋯あら、写真で見るよりずっと凛々しいのね」
そこに立っていたのは知的な眼鏡をかけ、清楚なブラウスに身を包んだ女性だった。画面越しに感じていた通りの品行方正で信頼感の塊のような「静香」がそこにいた。
「し、静香さん⋯⋯。初めまして、いつもお世話になっている凛です。今日はよろしくお願いします」
「ええ。今日は少し暑かったでしょう? さあ、中に入って。遠慮しなくていいのよ」
静香の柔和な微笑みに、マンションの威容で萎縮していた凛の心は一気に解けていく。導かれるまま足を踏み入れたリビングは、モデルルームのように美しかった。しかし凛はふと奇妙な感覚に囚われる。 広大なリビングには高級な家具が完璧な配置で並んでいる。だがそこにテレビも、本の一冊も、誰かが生活している痕跡が一切なかったのだ。まるで
「⋯⋯あ。先客ですか?」
リビングの中央で凛の足が止まる。そこにはもう一人の女性がいた。 静香とは対照的に、華やかな金髪に近い茶髪を緩く巻き、露出度の高いキャミソールを纏った美女。すらりと伸びた足はモデルのようで何より凛に向けられたその瞳が、獲物を値抜みする肉食獣のように鋭かった。
「先客じゃないわよ。私のパートナーの麗奈。⋯⋯麗奈、彼女がいつも話している凛ちゃんよ。愛する彼女のために頑張って修行しに来てくれたの」
静香がそう紹介すると麗奈と呼ばれた女性は、唇の端を吊り上げて低く笑った。
「ふーん。⋯⋯へぇ。アンタが『王子様』ね。想像してたよりずっと美味しそうな身体してるじゃない」
「お、美味しそう⋯⋯?」
麗奈の自分を「人間」としてではなく「食材」として見るような不躾な視線に、凛は本能的な寒気を覚えた。思わず一歩後退りそうになるがその背中を静香の手が優しく、だが逃がさない重みで受け止める。
「麗奈、怖がらせちゃダメよ。凛ちゃんはとっても純粋なんだから」
静香は凛の肩を抱くようにしてソファへ促すとローテーブルに用意されていた紅茶を差し出した。
「さあ、まずは喉を潤して。特別なハーブティーなのよ。リラックス効果があるから凛ちゃんの緊張もほぐれるわ」
「あ⋯⋯ありがとうございます」
凛は差し出されたカップを手に取り、一口啜った。上質な香りの奥にどこか重く、舌の奥に残るようなわずかな苦味がある。
(⋯⋯不思議な味がする。高級なものってこういう感じなのかな)
喉を通り過ぎた直後、指先の末端からじわりと熱が広がるような、奇妙な浮遊感が凛を襲った。
「ごめんなさいね。麗奈ったら口が悪いの。でも技術はネットワークでも指折りなのよ。彼女の協力があれば凛ちゃんは今日一日で、見違えるようなタチになれるわ」
「えっ、あっ、はい⋯⋯大丈夫です(ね、ネットワーク⋯⋯?)」
聞き慣れない単語に凛は小さく首を傾げた。レズビアン同士の繋がりか何かだろうか。大人の世界には自分の知らない専門用語やコミュニティがたくさんあるのだなと、漠然とした感心を抱く。
しかし、それ以上に凛を圧倒していたのは麗奈の存在そのものだった。 パートナーがいるとは聞いていたが、まさかこれほど美しく、そして⋯⋯威圧感のある女性だとは思ってもみなかった。
(静香さんのパートナーなんだから、静香さんみたいに落ち着いた人だと思ってた。なんだか学校の先生に怒られる前みたいな緊張感がする⋯⋯)
「⋯⋯あ、あの⋯⋯静香さん。修行っていうのは、具体的にどういうことをするんでしょうか? 本とか、資料は使うんですか?」
凛のあまりにも無垢な問いに静香と麗奈が視線を交わした。 静香の眼鏡の奥で慈愛に似た冷徹な光が微かに揺れる。
「そうね、座学も必要だけど⋯⋯女の子の身体は本で読むよりずっと奥が深いのよ。だから今日は凛ちゃんが実際に『体感』して覚えるのが一番の近道だと思っているわ」
「体感、ですか⋯⋯?」
凛は思わずソファの上で身を固くした。 静香とのやり取りで覚悟はしていた。直接教わるには当然――裸を見せ、触れ合う。だがそれは、あくまで長年の恩人である「静香さん」を相手に想定してのことだった。
(静香さんならまだいい。でも、この⋯⋯麗奈さんという人にも見られるの? 触られるの?)
麗奈から放たれる品定めするような刺々しい視線。初対面の大人の女性、それも自分とは正反対の「肉食系」のオーラを放つ相手を前に、凛の防衛本能が警鐘を鳴らしていた。
「あの、静香さん⋯⋯。その、麗奈さんも、一緒に⋯⋯ですか?」
凛の声は不安で微かに震えていた。
「静香さんにだけ教わっちゃダメでしょうか。麗奈さんとは、その、さっき会ったばかりですし⋯⋯。知らない人の前でそういう恥ずかしいことをするのは、ちょっと⋯⋯」
精一杯の拒絶だった。性交渉の経験が一切ない凛にとって、自分の裸を他人に晒すのはとても怖いことなのだ。
凛の不安を静香はまるで幼子のわがままを聞くような慈愛に満ちた微笑みで受け流した。
「不安になるのはよく分かるわ。でも凛ちゃん、よく考えてみて? 奈緒ちゃんを満足させるためには一人のやり方だけじゃ足りないの。女性によって感じ方は千差万別。私のように静かに寄り添うタイプもいれば、麗奈のように情熱的にリードするタイプもいる」
静香は凛の隣に座り、その冷たい手をそっと握りしめた。
「二人から同時に教わることで、凛ちゃんはどんなタイプの女の子にも対応できる『完璧なタチ』になれるのよ。⋯⋯それとも、やっぱり怖くなってしまったかしら? 『奈緒を誰よりも幸せにしたい』って言葉は嘘だったの?」
「っ⋯⋯、嘘じゃ、ないです」
静香の柔らかな、だが逃げ場を塞ぐような声。凛の最も弱い「奈緒への誠実さ」と「プライド」が再び天秤にかけられた。
「麗奈はね、凛ちゃんの良さを引き出すための『厳しいコーチ』なの。恥ずかしがる必要なんてないのよ。これは医療やスポーツの指導と同じ。プロの前で恥じらうのは奈緒ちゃんへの愛がその程度だったということになってしまうけれど⋯⋯それでもいいの?」
「⋯⋯いえ。よく、ないです」
静香の理路整然とした――ように聞こえる――説得に、凛はぐうの音も出なかった。 憧れの恩人が、自分の愛の深さを試している。ここで引けば奈緒への想いが「偽物」だと断じられてしまう。⋯⋯そうだ。これは保健体育の延長、高度な医学的レクチャーのようなものだ。個人的な感情で拒むのは、自分の未熟さの証明でしかない。
「分かりました⋯⋯。麗奈さん、よろしくお願いします。僕、頑張りますから」
凛が覚悟を決めて頭を下げると、麗奈は口元の笑みをさらに深くし、ゆっくりと立ち上がった。
「くふふ⋯⋯いい心がけだ。じゃあ、早速始めようか。まずは奥のベッドルームへ。⋯⋯そこで凛ちゃんの『中身』全部見せてもらうからね」
麗奈の言葉に、凛は心臓が跳ね上がるのを感じた。
背後でカチリ、と二重に閉められた鍵の音が、静寂な室内にやけに冷たく響く。
凛は静香に手を引かれるまま柔らかな光が漏れる「修行部屋」へと足を踏み入れた。