浅草橋駅までの道程を雨に打たれながら歩いた。頭を冷やす所か、身体の芯から冷たくなってしまった。
僕は、目についた居酒屋と書かれた暖簾が掛かった古い木造の店に入ろうと足を運んだ。
一度、身体を暖める必要がある。持ち合わせはあったかと、財布を尻のポケットから出そうとしたが、困った事に、雨で濡れた財布を取り出せのに手間取ってしまう。
悪態を吐く僕の肩に手が置かれたのは、その時だった。振り返ると同時に、僕の右頬に鈍痛が走り、よろめいて水溜まりに両膝をつく。顎関節が重くなり、奥歯が揺れているみたいだった。
水溜まりに落ちた血で、僕はようやく誰かに殴られたと理解した。うずくまる僕の脇腹に、丸太で叩かれたような衝撃が走り、体がくの字に曲がる。汚れた荒々しい路面の凹凸が顔の皮膚を破った。
咳き込む僕を見下ろす襲撃者は、仰ぎ見た僕に低い声で言った。
「何をしていた……」
年齢は同じ位だろう。長く伸びた坊っちゃん刈りは眼鏡のツルが隠れ、無造作に伸びた髪から落ちる雫と共に降ってきたのは多分に怒気を含んだ口調だった。腹部へ続け様に繰り出された右蹴りは、僕を悶絶させるには充分な威力だ。
間違いない、断言できる。きっとこいつは彼女に付きまとうストーカーだ。
僕の起こした行動に、いてもたってもいられずに、ストーカー特有の使命感から飛び出してきたのだろう。
カーテンを開けておいて正解だったのか、失敗だったのか、どちら付かずな状況に追い込まれてしまっているのは、好ましくない。執拗に腹部への攻撃を繰り返され、段々、下半身に力が入らなくなっている。
こうなってしまっては、漫画やアニメのように反撃なんか無理だ。僕はストーカーが満足するまで暴行を加えられる覚悟を決め、頭部だけを守り、亀のように丸くなった。
「一部始終見てたぞ!ふざけやがって!」
一際強い衝撃が背中へ降ろされる。僕は頭を守る腕に一層力を込めた。
奴が何か叫ぶ度に、腹から喉にかけて痛みが走る。僕自身、もうどれだけの打撃を受けたのか分からなくなっていた。
ただ、機械のように繰り返される暴力で痛みに痛みが重なっていく痛覚だけが肉体に刻まれていく。何も言えず、口の中に錆びた匂いが満ちた頃、辺りが静寂に包まれた。奴からの攻撃もない。一体、何事だと僕が顔を上げると、まずはストーカーの足が見えた。次いで、腹、胸、と見上げていき、到達した顔色は、あまりにも率爾な事態に直面したように固まっていた。戸惑う僕の耳に彼女の軽い挨拶のような声が聞こえたのは僅か数秒後だった。
「酷い有り様だね、大丈夫?」
目を丸くする僕に彼女は笑って、背中で組んだ手を見せびらかすように掲げてみせた。真新しいビニール傘だ。
「……どうして、ここに?」
「見て分かるでしょ?君に傘を届けにきたんだよ」
まるで、友達同士の会話に入るような調子で僕に歩み寄ってくる。当然、ストーカーが行く手を阻んだ。
彼女は、にこやかに言った。
「ねえ、福原君……どいてくれないかな?」
どうやら、ストーカーは本名を福原というらしい。