翌日、僕が目を覚ましたのは、夕方だった。随分と寝過ごしてしまった。ベッドに目を向けると、彼女は既にいなくなっていて、代わりに手紙が一枚置かれていた。
内容は、今日の夜の待ち合わせ場所と時間を指定するものだ。わざわざ書き置きなんかしなくても良かったのだが、律儀なところは性格だろうか。シャワーを浴びて、仕事に向かう電車の中で、僕は昨夜の出来事を繰り返し思い出していた。
腫れが引いた頬は熱を持ち、雨に晒された身体は幸運にも風邪をひかなかった。パトカーから逃げて、秋葉原駅からタクシーに乗った時の料金は高くついたが、そんなことがどうでもよくなる位に、高揚している。思い返す度に、心音が高鳴る。
息が詰まるほどの鼓動の音を聞くのは生まれて初めての感覚だった。彼女、原明日香と出会ってから、毎日が新鮮だ。僅か数日が、もう何ヵ月も前のことのようだ。
もしかして、充実していると感じているのか。内面の声がそう言った。僕は答える。ああ、その通りだ。
電車が赤羽に到着する。今日も居酒屋での仕事が始まった。アルバイトといえど、仕事は仕事だ。慣れさえすれば、あとは流れるようにルーチンでこなせる。それは、今まで、僕が過ごしてきた日常となんら変わりはなかった。
日常に組み込まれているだけの、日常。これほど寂しいものはないだろう。彼女との出会いが、僕の全てを覆していることを、僕は失笑もなく自覚した。認めざる得なかった。
僕は、今日も秋葉原の街へ足を運ぶことになる。何かが変わったと納得して歩く街並みは、一体、どんな光景なのだろう。僕は密かに胸を高まらせた。
※※※ ※※※
約束の時間を五分ほど過ぎて、僕は秋葉原の公園に着いた。仕事中に芽生えた心境の変化は、特になにかを与えてきた訳ではなかった。いつもの日常プラス1、そんな感覚だ。
「......遅い」
彼女の仏頂面を見るのは、これで何度目だろうか。相変わらず、光を反射させている灰皿に、僕は吸っていた煙草を落とした。
「時間通りは無理だって言ったろ?赤羽からだと、どうしてもこのくらいになる」
彼女は鼻を鳴らして不機嫌に言う。
「それで、福原君には連絡したの?」
僕は頷いて答えた。短い返事の後、彼女は立ち上がる。
「なら、行こうか。福原君の話しでも聞きに」
どこか皮肉めいた口調を残し、歩き出した彼女の背中を僕は慌てて追いかけた。
「待て待て!待ち合わせは、あいつの自宅だ!僕はともかく、君は何か持ったほうが良い!」
「......何かって?ナイフでも忍ばせれば良いの?」
「それもありかな。君も女の子だ。用心にこしたことはない」
昨夜の福原の様子からしてみれば、大丈夫だろうが、僕はなぜか不安を感じていた。それは、言葉に出来ない、心に生まれた渦のせいだと思う。