途端、彼女は哄笑を始める。その笑い声は激流の中で枯れ木に掴まるような強い不安となって僕の耳に届いた。彼女は、この状況を楽しんでいる。それも自らの身を案じることもなく、始めての体験に胸を踊らせているのだろう。歪んだ恋愛感情を向けられている男に対して、それはあまりにも危険で、それでいて滑稽な心構えだ。
「笑い事じゃない。もしもの事態を想定して動くことが大切なんだ」
「それは、福原君があたしのことを好きだって前提とすること?」
僕は、彼女に見えるように大袈裟に なまで頷いてみせた。余波によるものだろうか、涙目になった彼女は再び笑い始め、戸惑う僕に言った。
「君は昨夜のことを何も覚えてないんだね。大丈夫、安心して?福原君は、
あたしを見てはいないよ」
「......どういう意味だ?」
彼女は、くるり、と僕に向き直る。その表情には微笑が張り付いたままだ。
「渉君はさ、恋愛感情ってどんなものだと思う?」
唐突な質問に、僕は硬直してしまった。しかし、彼女は僕の答えを随分と心待にしているようだ。いつものように後ろ手で笑顔を携えたまま、夜空に浮かぶ月みたいに、ただ佇んでいた。
「互いが好きだって気持ちを持つことじゃないのか?彼女のどこに惚れたとか彼氏のどこが好きだとかさ」
僕の回答が心底不満だったのか、彼女は顔をしかめると、溜め息を唾でも吐き捨てるようについた。
「違うよ。そんな取って付けたような理由は単純に後付けなだけ......恋愛感情が生まれる時っていうのは、そんな余分な不純物が入り込むような隙間もない一瞬なんだよね」
独特な視点をもつ彼女の語りに耳を傾けた。なんとなくだが、こうなる予感はあったのだから、僕も彼女への扱いが分かってきたのかもしれない。空に浮かぶ雲に吸い込まれていくような澄んだ声音で彼女は続ける。
「あの娘が好き、あの人が好き、そんな気持ちが生まれるのは最初だけなんだよ。一目見て好みなら近寄るし、嫌なら勝手に距離をおく。恋愛感情の始まりなんてそんな一瞬なんだよね。だから、そんな余計な後付けなんか入らないの」
中身なんてあったもんじゃないよね、と言って彼女は口を閉ざした。彼女の言葉に、自分の過去を振り返ってみる。
誰かを好きになった時、僕は一体どう思っていただろうか。
相手の性格を第一に考えただろうか。答えはノーだ。きっとみんな一緒なんじゃないだろうか。誰だって、見た目から入っていく。それを強く否定できる人間なんてこの世界にいるのだろうか。
つまり、僕は彼女の事を、そこで彼女によって思考を寸断された。
「余計な気持ちは、たくさんの不純物をもってくる。だけど、福原君は違った」