そう言って彼女は手を差し出してきた。握手でもしいようという意味なのだろう。断る理由もないが、慣れなれしくする理由にない。僕は、テーブルに置いたままにしていたお通しとして出されたであろうお菓子を一つ空けた。
「あれ?ちょっと無視はないんじゃない?もしかして酔ってる?」
「……酔ってないよ。慣れなれしい人はあまり好きじゃないんだ」
「ふーーん、すかしてるんだ」
彼女は、またしても僕の手からお菓子を取り上げ、隣に座った。なんだろう、ここの店員は客に出した物を奪う流儀でもあるのだろうか。文句を言うのも億劫になった僕は、そのままソファーに背中を預けた。
「あ、取り返さないんだ」
「取り返す理由もないからね。で、君は一体何がしたいんだ?」
「別に?退屈そうにしてたから話し掛けてみただけだよ」
彼女はお菓子を一口で口の中に流し込んだ。これで料金を請求されたとなれば、章一はどんな気分になるのだろう。店舗側から説明がなければ支払い義務はないのだけれど、この雰囲気を居酒屋のような客同士が楽しく語り合う場と鑑みれば、いつの間にか発生していそうで怖い。僕は、念のために訊いてみた。
「お通しで料金って発生するの?」
僕の問いかけに彼女は、そんな訳ないじゃん、と笑い出した。
「君、面白いね!ねえ、今のあたし個人の名言に加えていい?」
「……ご自由にどうぞ」
決まりが悪いとはこの事だ。彼女の無駄に大きな声が耳に残らないように残ったビールを一気に飲み干した。ああ、面白いと目に涙を浮かべていた彼女は、哄笑を終えると言った。
「そんなに面白いのに、どうして屈託そうにしてるのか分からないね」
先程までとは違う抑揚の薄い声だった。僕はどきりとして思わず彼女へ顔を向けてしまう。
「当ててみせようか?あなたは、今現在の自分が置かれた状況や境遇に不安を覚えている。だからこそ、他の何をしても楽しくないんでしょ?」
そこで彼女は不気味に口の端をあげて、僕に顔を近づけてきた。
「因業な生まれって訳でもないのに、どうして自分はこんなに不安なんだ。どうして周りはこんなに幸せそうなんだ。勿論、原因は分かってる。だけど、動き出せない。でしょ?」
すうと彼女の表情が穏やかになり、あの不気味さが消えていくと、顔を離していき、僕の耳元で止まって囁いた。
「要するに、刺激が足りなくてつまらない人生なんだって自分で決め付けているだけの子供なんだよあなたは」
「そんなのは……みんな一緒じゃないか……」
ようやく声帯を振り絞った僕の一声は、自分でも分かる程に、とても情けなく、か細いものだった。耳に熱い吐息がかかる。
「そうだよ。だけどね?みんな自分の楽しみを見つけている。ここにいる人もそうだよね?二次元の美少女が好き、メイドの姿をしてる女子が好き、他人にはさげずまれるような嗜好でも好きなものに正直に生きてる」
彼女は前かがみ気味になっていた上体をあげ、元の位置に座って、呆然としている僕に言った。
「あなたも、そんな夢中になれることやってみたくない?」
その時、僕の目に映ったのは、気味の悪い笑みではなく、外見に見合った透明感のある綺麗な笑顔だった。