第1話
第一話 芽吹く悪意
全てはある若い男が、とある英雄に助けられた事から始まった。
ある埃っぽく湿っぽい古い酒場には、黄金の大陸の恩恵を受けた血色の良い普人種のおじさん達の笑い声が響いていた。そんな中、とある二人組の男が居た。片方はウンザリする気持ちを抑えて、もう片方にしつこく詳しく何やら説明をしていた。だがもう片方は上の空だ。
「理解できましたか?」
「?」
首を傾げて可愛く上目遣いで相手を見るのは、今年で36歳の大柄な体躯のおっさん。おっさんはわざわざ体を屈めてそれをしていた。
「……何も理解していないってことでしょうか。」
「えへへっ♪」
「…「えへへっ♪」じゃねーーよっ!!この馬鹿っ!!鳥頭の万年F級冒険者がっ!!」
おっさんが浮かべる、酒精でふやけた厚顔な媚態に、生理的な嫌悪感を隠せずにいるもう片方の男。鳥肌を隠すようにそう叫び怒る様子を見て、おっさんはぐいっと酒をあおり飲むと、ガンッ と乱暴に置かれた酒瓶。そして軋む所々ベタついた古テーブル。黙って相手を見つめる。その眼光は鋭い。
「…んですか?やりますか?」
「………………。」
「…何とか言ってください。」
「この酒不味いよ〜。お父ちゃぁ〜ん。この酒代代わりに出して〜。」
ピキッ 何かが切れかかっている音がする。それは血管か?男は、勢いよく立ち上がる。魔術師の印の紫の薄汚れてほつれたローブが揺れる。そしておっさんの胸倉を掴んだ。掴んだ胸倉で引き寄せた身体は、何の抵抗もしていないだろうにとても重く、また汗臭い匂いがした。
「ふざけてないで、聞いてください!!!例の英雄はどこに消えたんですか!??貴方だけしか見てないんですよ!!」
そう唾を飛ばして叫ぶ。その剣幕に、周りの視線も集まった。酒瓶を片手に、睨むような目つきでこちらを観察してくる周囲の者達。
「そんなこと言われてもなぁ〜。おっちゃんは3歩歩いたら忘れる鳥頭だからなぁ〜。」
ポリポリと頭を軽く掻きながら、そうあっけらかんと言うおっさん。その表情はのほほんとしている。
「ーっ!!良い加減にッ」
その胸倉を掴む手をあっという間に押し除けて、座り直すおっさん。何げない独り言のように呟く。
「暗雲が支配する瘴気に溢れたあの大陸に行けば、会えるんじゃねーかな。」
「………は…?」
「おっ!あのメニュー美味そう!あれを頼んで良いか〜?」
ポカンと呆けた元魔導士の男を尻目に、商品を頼んでいくおっさん。まだ若い女の店員が気まずそうに注文を聞いていく。
「あの英雄卿が自ら死ににいったと!??」
「お前が言う人がそうなら、英雄さんは確かに暗黒大陸に行ったよ。船旅で。」
「ー!?!転移陣ですらなくですか!??…あ、あり得ないっ!!貴方はホラを吹いている!!!そうに決まって…」
「七王による錬成陣を使った悪魔生成。禁断の魂の界渡り。その問題について完全には解決しないまま、この大陸を去っていくのことは申し訳ないって言ってたね。」
男が大きく目を見開く。それは人間にはごく一部の者にしか伝わっていない筈の話。ましてやパライオン大陸…黄金の大陸に住む者、しかも万年底辺冒険者をしているような者が知っていていい筈のない事件だった。
「……ほ、…本当に、彼は…、あの大陸へ…?」
「ああ。」
何気なく奏でる鼻歌のような気楽さで、その話を肯定された男は、ただ信じたくないままに茫然と目の前の相手を見つめ続けていた。
未だ茫然としている男…彼の名はフォルト。16の時に家を捨てた男だ。彼の唯一の願いは、魔術師から魔道士となり、更には伝説の『魔導士』として認められることだ。その憧れのために、彼個人として件の英雄を探していた。
件の英雄は、名実共に高位貴族にまで成れる英雄譚と実績を持ちながら、どこにも縛られない存在だった。地下都市の蛮族達の集団の底辺から成り上がり、その都市のトップにまで上り詰めた存在、英雄ユアン。海を割るリヴァイサンを狩り食し、蠱毒の中に放り込まれても満身創痍にならずに生き延びるような、そんな英雄譚を持ちうる存在だ。
「……無理です。…あの大陸の中は彼でも無力…。」
*
では世界についてお話ししよう。この世界は混迷世界と呼ばれるところ。
最古から存在する多次元世界の中で、強烈な魔素が集まった所があった。その魔素はデータとしてつくられていった。癒しに破壊、理解に白痴、支配に共存、息吹に終焉、願いに絶望。全にして無。それは永遠に刻まれ続ける情報という名の怪物曰く、【世界】。それから永い永い時が流れ、混沌が生まれ、光と闇が生まれた。
それからまた時が経ち、たった一滴で波紋をもたらし遥か遠くまで及び世界を改変する劇薬が落ちた。とある三つの世界があった。そこに天文学的確率すら鼻で笑えるような気の遠くなるようなあまりに極小の数値…ほんの僅かな偶然が起きた。世界が繋がったのだ。とても細い道で。そこから更に奇跡が起きた。まるで運命に導かれるように、異なる次元に存在していた三つの惑星が衝突し、やがて融合した。三つの領域は、互いに異なる法則性と歴史を持ちながらも、今や一つの惑星として共存していた。その惑星の団子状に連なっている接地面には、闇と光が交わった空間が出来た。それは闇によってダンジョンと名付けられた。
ダンジョンが鼓動を始めた。呼吸をするようにダンジョンは、穢気を持った生物を次々と生み出していく。ただ闇がそうあれと願いたもうたから。ダンジョンはただ己の役割を理解していた。そこに善も悪もない。やがて惑星には溢れるばかりに穢気を持った生物だらけになった。
光は穢気を持つ生き物に『全ての理外ことわりがいのモノ』という名を【世界】の一端に刻んでもらい、息吹と願いを持つ生き物を生み出すように仕向けた。その生き物は精霊だ。だが少しの時を得て、精霊は聖なるものに近しくないと、穢気にやがて呑まれて堕ちることに気づいた。そこで魔素の一端を借りて神聖なる空間を創り出し、そこを管理する者…半精霊である妖精を生み出した。妖精は光から借りた種を持ち、穢気に溢れた世界の澱みを浄化していった。
そんな中でいまだに穢気と瘴気を大いに含んだままで存在している異質な地、それが暗黒大陸だった。
*
「あむっ。はむっ…、うんめぇ〜〜っ!!」
カウの乳を固めた物と赤い果実、ソースがかかったひき肉、そこにバジルに良く似た薬草を入れてあるパンで挟んだ物に、かぶりついて食べている。その顔には至福だとありありと表れている。
吟遊詩人の歌声とウクレレによく似た楽器の演奏は、心を落ちつかせるようだ。
「ゴクッ…ゴクゴクっ…ぷはっ!」
とどめにエールを喉にかっこむ。最高だ。エールの泡を口髭にしながら、彼は周りを見渡した。周りには楽しそうな兵士が沢山いて、皆が美食と演奏に夢中になっていた。そこに一切の悲壮感はない。まるで優雅なバカンスだ。この船旅が地獄への道を進んでいるなんて、たまたまこの光景を見た者は信じないだろう。
事の発端は、英雄ユアン殿が、もう少し先の未来で暗黒大陸からとある強大で邪悪な存在が襲来するという予知を得たからだ。だからユアンを慕う兵士達は、皆が暗黒大陸への一方通行の地獄道を着いていくことになった。誰もが理解していた。自分達は死ぬのだと。魔獣に無残に食い殺されるのだと。だがそれでも、英雄ユアンが敵を知ることさえできればこちらの勝ちだ。そのために俺達の屍で道を作るんだ…と誰もが奮い立っていた。皆が無駄死にをする気なんてさらさらなかった。
「英雄譚の一端にのれるなんて、良い最期だよなぁ〜。」
「無駄に生きていただけの俺でも、意味のあるものを残せる…。」
皆がエールで程よく酔い、だいぶ機嫌良くなっていた。とその時、ざわめきが生まれる。そのざわめきの元を辿ると、一段高い所に立った英雄殿が、今まさに演説を始めようとしていた。皆の注目が漏れずに集まる。英雄が片手を上げる。誰もが自然と静かになった。
「皆、よく集まってくれたな。大義を抱き信念を貫こうとする姿は美しい。己の生き様をぶつけてやろうぜ。みっともなくてももがき足掻き、必ず勝利を持ち帰る!皆の血と汗の結晶は、決して俺が忘れないでいるとここに誓う!折れそうな時のために覚えておけ!皆にはこの英雄ユアンが最後まで共にいる!」
にかっ と白い歯を見せて朗らかに笑う、まだ若いのに覇気を纏う彼の姿は、その時の皆の脳裏に焼き付いたのだった。今日この時のためにきっと生きていたんだと確信を得た者もいた。その証拠に、震えた喉で感謝を告げる者達が大勢いた。
〜
英雄ユアン率いる兵士団3千人の乗る船は、暗黒大陸にたどり着いた。大陸は不気味なくらいの静けさをしていた。魔獣の鳴き声一つしない静けさだ。ここに来るまでの船旅は、信じられないくらいに順調だった。大波で船が迷子になることもなく、辿りついた。大きく厄介な海の魔物に行き先を阻まれることもなかった。
…恐ろしい。自然とそんな思いが皆の頭をよぎる。何故ならあり得ないからだ。暗黒大陸といえば、創世記に出てくる名だたる英雄が「あそこには行くな。あそこは人のいれる場所ではない。」と断言するような、神々が嫌悪するようなところだったのだ。直近の歴史でも何度も大軍が暗黒大陸に渡り、そして戻らなかった。…それなのに、何もないなんて……。…なぜだ?わからない。怖い。
ごきゅっ… 誰かが緊張からか生唾を呑んだ。それを聴いた兵士の剣を持つ手の指先が冷たくなる。ガチャガチャと鎧が擦れる音がして、隊列は乱れていく。
「怯むな!闇に心を引き摺り込まれるぞ!心を強く持て!」
英雄のその一言で、皆が恐怖を振り切り気合いを入れ直して前進し始めた。そう、彼らには任務がある。穏やかな未来のために、動かないでいることは許されないのだ。
「……なんだ……これっ……。」
誰かがただそう茫然として言った。ひりつき少し痛む喉を潤そうと、大きく唾をのみ込もうとするが失敗した。
海からすぐ目の前にある森を木々をかき分けて進むこと数時間、道中では魔物一匹生息している感じがしなかった。不気味な静けさの中、森をついに進み終わった彼らを迎えたのは、悍ましい光景だった。トロルが、オーガが、生きたまま喰い殺し合い、ゴブリンが人に良く似た土色の者を犯し、腹の膨らんだ妊婦のような姿をした雌のゴブリンの腹を、今し方食い破って産まれてくるゴブリンの赤子。腹を赤子に食い破られ、穴という穴から体液を漏らして絶叫する雌ゴブリン。…従来の魔物の生態ではあり得ない筈の、まさに地獄のような光景。そして更に異質なのが、
「うふふふっ!…さぁっ!喰らいあいなさいっ!うふふふふっっ♡」
愉しげにそれを見ながら自慰行為をしている、山羊のような黒い角が頭から生えている美しい女がいることだ。艶やかな青みがかった黒い髪、真珠のように煌めく白い瞳。卑俗な愉悦を張り付かせた口角は、耳元まで無残に避け、剥き出しの歯茎は爛々と輝く白瞳とともに異形を際立せている。病的なまでに白い肌には、黒い紋様が幾重にも重なって描かれている。明らかに、人外だ。
心臓の鼓動がやたらと鼓膜に響き、身体が固まる。
「…あら?お客様じゃな〜い?……しかも、人間。…ンフッ♡うふふふッ♡」
全裸のまま大きな胸をたゆんと揺らして立ち上がると、絶句している英雄と兵士達の方に指を指す。ひたすら愉しげに。
「繝舌Φ繝」
その音は脳を直接引っかかれるような、そんな音。その声はまるで、粘液を纏った無数の蛇に絡みつかれるような、そんな生理的嫌悪を兵士達の身体に叩きつけるように感じさせた。そうして怯んだほんの少しの瞬間、瞬きをする一瞬のこと、その異形の女が指を鳴らした。パチンッ それだけで、その致命的な隙で、大勢の兵士が殺された。熟れすぎた果実が爆ぜるように、生温かい脳漿を撒き散らして死んでいった。……何も、感じなかった。肌が粟立つような膨大な魔力の放出も循環すら感じなかった。なのに、あっという間に人が死んだ。こんなにもあっけなく。
呆然としている内に、一歩一歩近づいてくる圧倒的な力の化け物。
「…———ッッ!!!!」
「あら、可愛い人間♡美味しそうね。」
英雄と化け物の視線がはっきりと合う。更に笑みを深めた化け物。その口は耳まで裂けきった。その綺麗な白い歯には、糸を引く、熱を孕んだ白濁した粘液が絡んでいた。紅く長いでこぼこした舌を、卑猥な動作をして挑発してくる。
「あ…ああッ!!…こんのッ化け物がぁぁァッ!!!」
唸るように必死に言葉を紡ぎ出して怒りを出すと、英雄であるユアンは英雄らしく、化け物の女に向かって駆け出して行った。大きな剣を片手に持ち、ただ狙い定めて振りかぶる。
その攻撃から守るように、オーガが間に入ってきた。剣が深々とオーガに刺さる
『—グルァァァッッッ!!!』
オーガはただけたたましく吠えた。血を出しながらも、その顔は恍惚としていた。腰布から大きくはち切れそうな、グロテスクなまでに勃起した一物がこぼれ見える。
「私が欲しいの?」
くすくす と声を漏らして笑う化け物。
奥歯がガチガチと重なり引っ掻きあって不快な音を鳴らす。…駄目だ。それから全力で目を逸らせ!!全身からその警告が来る。その衝動を打ち消すように、ユアンは剣を更に振るった。
シュッッ
「…ああ、なんて美しい…♡」
ユアンが剣で貫き払い抜き、首を落とした。その巨大な頭を片手で掴み取り、持つ化け物。白眼を向き血の混じった涎を垂らした青白いそのオーガの頭は、その女の腰から上ほどもあった。化け物の女は、そのオーガの口を包むように口付けした。そしてもう一方の手で、自らの胸を鷲掴みにして愛撫する。
「…ん………、ん…♡♡」
クチュクチュクチャ… 舌を絡めた深い口付けをしていく。女の女性器は卑猥な熱を帯びて愛液がとめどなく溢れて、太腿をつたっている。
「……けほっ…、…もう!無粋なこと。」
その女の心臓を貫き刺した、ユアンは憎々しげに女を見つめる。
「…冥土の土産に、最後に一言くらいは聞いてやろう。」
「あら?思ったより早いのね。お馬鹿さん。」
女はオーガの頭を投げ捨て、また指を鳴らす。彼女を中心にして周囲へ、吐き気がするほどの甘ったるい香りと血の鉄臭い匂いをかき混ぜるような、異様な熱風が吹いた。そしてまた、視界に入る大勢の兵士が殺された。大量の血がユアンを汚す。
「そんなに私が欲しいなんてっ!興奮しちゃうわっ♡貴方が絶望した時、どんな味がするのかしらっ?」
ユアンはゾワゾワと不快感が背骨から頭まで駆け上がってくるのを感じた。耳元どころか鼓膜に直に刻みつけられる様な熱い吐息を含んだ声。
やがて化け物は、己の体を貫いた剣の刃を握りしめる。禍々しい漆黒の魔力がまとわりついていく。それは純粋たる原初の闇の力を思わせた。その力は瞬きを数回するほどの時間で、どんどんと剣を侵食していき、やがてそれはユアンの身体をものみ込もうと口を開いた。それは底のない闇だった。
こうして、完璧だった英雄譚は崩壊していった。
***
帰ってきたユアンを待っていたのは、かつての賞賛でなく冷たい視線。多くの者からの罵倒だった。
貴族が跪く彼を見て、ふっと鼻で笑った。
「正直言って、貴殿には失望したよ。どんな敵を前にしても立ち向かっていた貴殿が、たった1名を残したのみで大勢の兵士をみすみす死なせ、挙句に大した抵抗もできずに逃げ帰ってきたなんてな。」
ユアンは言葉を聞いた瞬間、冷たく硬い大理石の床で少し痛む膝が、洗ったのにいまだにこびりついて消えない気がする死臭がする体が、どうしようもなくおかしくなった。鬱陶しいほどに香る香水の匂いがする、油で固めたテカテカした髪をした肥えた男の侮りきった視線が、どうしようもなくおかしい。感情を逆撫でされたことをしでかされたことは少なくないが、こうも滑稽に思えることは初めてだった。ユアンはその思いを必死に押し殺した。
「……貴方は知らないからだ。あの化け物が、どのようにして兵を愉しげに蹂躙していったのか。」
「ふん。知る必要などない。私はあくまで貴族だ。市民の英雄などという下等な者らしい名誉を手に入れに出向く必要などないのだから。」
心臓を抉られるような痛烈な悔しさを感じて怒っているはずなのに、そうであるべきなのに、ユアンはただ体から力が抜けていく。思わず失笑しそうになる。
「……なんだ?」
「…いえ。なんでもありません。」
豊穣の大陸、豊かな穂が一面に広がることから呼ばれる名は黄金の大陸。その国で1の勢力を誇る大国にいる高位貴族らしい傲慢さと無知。平気で英雄を侮るその無礼さのツケがくる日はあるのか…、それはまだ誰も知らない。
〜
部屋で1人布団にくるまり、隠れるようにして熱い吐息を吐く者がいた。
「…はぁっはぁはぁっ…、。」
英雄である、いや英雄であった彼、ユアンは毎夜同じ発作が起きていた。それはあの美しき化け物に、兵士が無残に殺されてからずっと続いている。
( あの化け物は悍ましかった。恐ろしかった。…そして、……今まで見た誰よりもずっと美しかった。)
ユアンの脳裏をちらつくのは、あの艶かしい身体が兵士の内臓と血飛沫で汚れていく様。心底愉しげに笑うあの女の扇情的な目。あの目を思い出す度に、ユアンはおかしくなっていく。自慰行為をする手を止められない。今でも思い出す。半狂乱で泣きながら立ち向かっていった兵士達の無残な死に様。飛び出る内臓。溢れる血液。零れる涙。こびりついて離れない鉄錆の匂い。ちゃんと思い出せて胸が痛むのに、脳を支配するのは、あの美しい化け物に対する圧倒的な情欲。
あの女が自分のモノになり、このベッドで矯声をあげてよがる姿を想像するだけで、制御を失った肉体から、卑猥な先走りが指の隙間を伝い落ちる。剣を握り、民を守ったその手は今、自分の醜悪な欲望を慰めるために動いていた。…ああ、あの化け物をこの手で征服できたら、どれだけ気持ち良いか?想像するだけで更に狂ってしまいそうな快楽が込み上げてくる。
涙と鼻水に塗れ、端正な貌かたちを無残に歪める。白銀の髪は汗で張り付き、薄い水色の瞳は、虚に化け者の残像を追っている。鼻水で濡れた唇を噛み締め、指先が弾く汚液を撒き散らしながら絶頂に至るその姿は、檻の中で発情する獣のそれと同じく惨めであった。
「……俺は、狂ってしまった。」
グチュグチュと扱き汁を撒き散らしながら、皺が増えていくシーツに広がっていく染みを見て、彼はつぶやいた。どこか夢の中のような現実味がないようで、でも確かにある心の痛みとともに、彼は絶頂した。
吐き捨てた声は、湿った空気にかき消された。
*
魔術師であり、英雄を探していた男であるフォルトは、今日もぼんやりと生きていた。魔導士になりたい。でも無駄な努力をしたくない。そんな短絡思考故にただひたすら今日もソロの低位階級…E級冒険者として生きている。
「あ〜、英雄ユアンが僕の願いの最後の頼みの綱だったんですけどね…。あの鳥頭がさっさと居場所を吐いてくれていれば、間に合ったかもしれないのに…。」
ぶつくさと文句を言いながら、かがみ込んで薬草を採取して、ベルトにかけてある小さな巾着袋の中に詰めていく。そんなフォルトに忍び寄る影が一つ。だいぶ近づいてきたところで、その者は声をかける事にした。
「君、英雄ユアンのファン?」
「!誰ですっ!?」
「あ、ごめんね?驚かしちゃって。私も英雄ユアンのファンなんだ。たまたま聞こえたからつい声をかけちゃった。」
すぐに立ち上がって身構えたフォルトを見て、そう悪びれた様子で言う者は、絶世ともいえるほどに美しい人だった。滑らかで艶やかな青みがかった長い黒髪を後ろで一纏めにした美少女。宝石のように輝く水色の瞳が特徴的な、一般的な新人冒険者が着ているような簡素な服装の少女。そこまで観察しきって、相手が何も武器らしき物や杖を持っていない事も相まって、フォルトは警戒を緩めた。
強い耳鳴りが一瞬して、その不快さに微かに顔を顰めながら、フォルトは少女に更に一歩近づく。
「…そうですよ。ある程度は英雄ユアンについて詳しい自負があります。」
「そっか!じゃあ、これも知っている?」
「?何をですか?」
その美少女は優しげに微笑んだ。緩やかな風が彼女の髪をたなびかせる。穏やかな太陽で暖かい気温と優しい花々の香り。フォルトはそれを心地よく感じながら、目線を合わせた。
「英雄ユアンが、罪禍に堕ちたって話。」
こうして、歯車は回っていく。