※この作品はR-18です。

勇者と姫   作:おさかな


オリジナル:ファンタジー/恋愛
タグ:R-18
雄々しき勇者にも勝てないものが──ある

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勇者と姫

 ◆

 

 豪奢な天蓋付きの寝台はさながら処刑台のようであった。

 

 勇者アレクセイは魔王討伐の旅路において、幾多の死線を潜り抜けてきた男である。竜の火炎に焼かれ、不死者の呪詛を浴び、深淵の闇に正気さえ削り取られかけたこともあるが今この瞬間の恐怖に比すれば、それら全てが幼児の戯れに過ぎないと思われた。

 

 絹のシーツが衣擦れの音を立てるたび、彼の背筋には冷ややかな戦慄が走る。窓の外では国民たちが祝宴の歌を歌い、英雄と姫の婚姻を祝福していたがその歓声さえも彼にとっては遠い世界の出来事として響くだけであった。

 

「アレクセイ様。早く」

 

 白磁のような肌を火照らせ、姫君エリスが寝台の上で身をよじる。国一番と謳われる美貌は確かに造物主の傑作と言って差し支えない。豊満な双丘は薄布越しにもその弾力を主張し、潤んだ瞳は情欲に濡れ、見る者を蕩かすような甘美な響きを帯びている。だが勇者は動けなかった。否、動くわけにはいかなかったのである。彼女が太腿をわずかに開いたその刹那、封印されし地獄の門がこじ開けられたかのような、到底この世のものとは思えぬ瘴気が漏れ出したからだ。

 

 それは単なる悪臭という言葉では片付けられぬ、暴力的かつ物理的な質量を持った「気」であった。

 

 三日三晩真夏の沼地に放置された水死体と、発酵に失敗した数百樽のニシンの漬物、それに古竜の排泄物を混ぜ合わせ、さらにそれを煮詰めて濃縮したような、鼻腔はおろか脳髄までをも腐らせるごとき刺激臭。魔王城の地下牢で嗅いだ死臭すら、これに比べれば芳しい香水のように思える。勇者は無意識のうちに聖剣を握る要領で拳を固め、呼吸を極限まで浅くした。

 

「どうなさいましたの?」

 

 エリスが不思議そうに首を傾げ、その拍子に半開きの股間から新たな瘴気の波が押し寄せる。勇者は反射的に「風の加護(エアロ・シールド)」を展開しようとしたが寸前で踏みとどまった。新婚初夜の閨で、あろうことか妻の股間に向けて防御魔法を行使するなど、前代未聞の不敬であり、何より男としての沽券に関わる。彼は英雄であり、あらゆる困難を「剣と勇気」で切り拓いてきた男なのだ。しかし今彼が対峙しているのは剣では斬れぬ、勇気だけでは防げぬ、圧倒的な現実であった。

 

「いや、あまりに君が美しくて」

 

 喉の奥から絞り出した言葉は皮肉なことに彼の本心の一部ではあったが残りの九割は恐怖による演技である。彼は意を決し、寝台へと歩みを進めた。一歩近づくごとに、空気の密度が変わる。鼻毛が焼け焦げるような錯覚を覚えながら、彼は意識の奥底にあるスキルツリーへアクセスした。毒耐性レベル最大。状態異常無効化。自己再生。これらパッシブスキルを総動員し、さらに意識的に呼吸中枢を制御して、酸素消費量を極限まで抑える「無我の呼吸」を発動する。

 

 寝台の縁に腰を下ろすと、エリスの白魚のような手が伸びてきて、彼の首に絡みついた。

 

「待ちくたびれましたわ」

 

 彼女が口づけをねだるように顔を近づけてくる。その吐息は甘い花の香りがするのに、なぜ下半身からは深淵の腐臭が漂うのか、神の悪意を感じずにはいられない。勇者は微笑みを崩さぬよう顔面の筋肉を硬直させ、彼女の唇を塞いだ。口呼吸を封じられた今、鼻からの吸気を完全に遮断しなければ即死する。彼は唇を重ね合わせながら、脳内で必死にシミュレーションを繰り返した。行為に及ぶには少なくとも数十分はこの毒ガス地帯に留まらねばならぬ。

 

 衣類を剥ぎ取る手が震えたのは興奮のせいではない。

 

 最後の砦である下着が取り払われた瞬間、部屋の空気が一変した。目に見えぬ黄色い靄が部屋中に充満したかと錯覚するほどの濃度である。勇者の「危機察知」スキルが警報を鳴らし続け、脳裏には『退却せよ』という文字が点滅している。だが眼前の姫は期待に胸を膨らませ、その秘所を露わにして彼を招いているのだ。ここから逃げ出せば、彼は英雄の称号を失うだけでなく、男としての尊厳も失うことになるだろう。

 

 意を決し、勇者は自身の息子を戦場へと送り出す準備を整えた。

 

 不思議なことに、これほどの悪臭の中にありながら、彼の肉体は反応している。それは種の本能か、あるいは極限状態における防衛本能の暴走か。エリスが熱っぽい吐息を漏らし、自らの手で彼を導こうとする。その指先が触れた瞬間、勇者は全魔力を下腹部と鼻腔の粘膜に集中させた。粘膜強化。物理障壁展開。彼はかつて魔王の放つ「死の波動」を至近距離で受け止めたことがあるがその時よりも繊細かつ強固な魔力操作を要求されていた。

 

「ああ、アレクセイ様……」

 

 結合の瞬間、世界が歪んだ。

 

 粘膜同士が接触したことで、嗅覚を介さずとも直接神経に訴えかけてくるような刺激が脳を揺さぶる。それは腐敗したチーズを煮込んだ泥の中に頭から突っ込むような感覚であり、勇者の「精神耐性」スキルが軋みを上げて悲鳴を上げた。彼は奥歯を噛み締め、意識が飛びそうになるのを必死で繋ぎ止める。エリスの肉壁は名器の誉れ高く、吸い付くような温かさと柔らかさで彼を受け入れたがその快楽の背後には常に致死性の猛毒が潜んでいる。

 

 ピストン運動を開始すると同時に、ポンプのように瘴気が噴出される。

 

 勇者はリズムに合わせて呼吸を止めた。突く瞬間にわずかに息を吐き、引く瞬間に吸うべきところを、吸わずに耐える。これはもはや性行為ではない。深海における潜水作業か、あるいは毒ガス室での耐久試験である。エリスは快感に身を任せて嬌声を上げ、そのたびに腰を跳ね上げるがその動きが瘴気の拡散を加速させる。部屋の四隅に置かれた観葉植物が心なしか急速に枯れ始めているように見えた。

 

「もっと、激しく……」

 

 姫の要求は無邪気かつ残酷である。

 

 勇者は脂汗を流しながら、腰の動きを速めた。激しく動けば動くほど、摩擦熱によって臭気が揮発し、その破壊力を増していく。彼の視界が白く濁り始めた。酸素欠乏と強烈な悪臭による中毒症状である。このままでは意識を失い、この腐海に沈んでしまう。彼は最後の手段として、伝説の奥義「聖なる守り(サンクチュアリ)」の発動を決意した。これは本来、広範囲の邪悪を浄化し、仲間を守るための結界魔法であるが彼はこれを自身の鼻孔周辺、数センチ四方の空間にのみ限定して展開したのである。

 

 極小の聖域が彼の呼吸器を守る最後の盾となった。

 

 わずかに清浄な空気が肺に流れ込む。生き返る心地であった。だがその安堵も束の間、エリスが絶頂に向けて痙攣し始めると、彼女の体内から魔力に似た何か、否、凝縮された生命のエキスとでも呼ぶべきものが溢れ出し、それが悪臭と化学反応を起こして爆発的な効果を生んだ。勇者の展開した「聖なる守り」がミシミシと音を立てて侵食されていく。神聖魔法さえも無効化する、神をも恐れぬ悪臭。これこそが魔王すらも手を出さなかったこの国の真の脅威だったのではないか。

 

「いき、ます……っ!」

 

 エリスの背中が弓なりに反り、彼女は甘美な悲鳴とともに果てた。

 

 その瞬間、勇者もまた限界を迎えた。性的な絶頂ではない。生命維持機能の限界である。彼は本能のままに種を放出し、同時に意識のスイッチを切った。薄れゆく意識の中で、彼は満足げに微笑む姫の顔と、天井のフレスコ画が溶けて混ざり合うのを見た。英雄とは常に孤独な戦いを強いられるものだ。魔王を倒しても、戦いは終わらない。この先、毎晩この死闘が繰り広げられるのかと思うと、彼は永遠の安らぎを求めて冥府へ旅立ちたい衝動に駆られた。

 

 翌朝、小鳥のさえずりと共に目を覚ました勇者は隣で健やかに眠る妻の顔を見た。

 

 朝日は彼女を美しく照らし出し、昨夜の悪夢が嘘のようである。しかし掛け布団をわずかにめくった瞬間、残り香が鼻を突き、現実は容赦なく彼を引き戻した。彼はそっと布団を戻し、窓を開け放った。新鮮な空気を肺一杯に吸い込みながら、彼は新たなる決意を固める。世界を救った力は今やこの一点、妻の悪臭を防ぐためだけに行使されることになるだろう。それは誰に賞賛されることもない、語られることもない、しかしあまりに過酷な、第二の英雄譚の始まりであった。

 

「おはようございます、あなた」

 

 エリスが目を覚まし、布団の中で恥じらうようにモジモジと身体を動かす。その仕草と共に、布団の隙間から、朝の挨拶代わりの一撃が放たれた。勇者は爽やかな笑顔を浮かべつつ、体内マナを高速で循環させ、無詠唱で鼻腔フィルターを構築した。

 

「おはよう、エリス。今日もいい天気だ」

 

 戦いはまだ始まったばかりである。


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