【ToLOVEる外伝】リトと美柑の秘められた日常 ―禁断の果実を食む兄妹― 作:芝刈り山
修学旅行二日目の朝。京都の空気は少しひんやりとしていたが、旅館の中庭には、まだ眠そうに目を擦る児童たちの元気な姿が集まっていた。
「さあ、みんな! 朝のラジオ体操を始めるぞ!」
担任の教師たちが声を張り上げ、スピーカーから聞き慣れた音楽が流れ出す。美柑は幸恵と真美の間に立ち、手足を伸ばした。小学生らしい健康的な朝の風景だが、美柑の体は昨夜の激しい自慰の余韻で、どこか重だるい。
(リト……おはよ……)
心の中で兄に挨拶をしながら、美柑はいつものように完璧なフォームで体操をこなした。隣で幸恵が「あー、まだ眠いよー」と欠伸をしている。そんな子供らしい無邪気な様子を横目に、美柑は自分のカバンの中にある「リトの匂い」に思いを馳せていた。
体操が終わり、全員が整列すると、学年主任の植松が前に出た。眼鏡の奥の鋭い瞳が、整列した児童たちをゆっくりと見渡す。その視線が、一瞬だけ美柑のところで止まったような気がして、彼女は背筋に小さな震えを感じた。
「二日目の日程に入る前に、いくつか連絡がある。まずは忘れ物についてだ」
植松の声は事務的で、厳格そのものだった。
「昨日の入浴後、脱衣所にいくつか落とし物があった。自分の持ち物には必ず名前を書くようにと、出発前に何度も念を押したはずだが、守られていない者がいるようだ」
植松はまず、一足の黒い靴下を取り出した。
「これに心当たりのある者は?」
「あ、俺のだ! すみません!」
一人の男子が勢いよく手を挙げ、周囲から「またかよー」「しっかりしろよー」と笑い声が上がる。植松は軽くため息をつき、「気を引き締めて残りの二日間を過ごすように」と、教師らしい毅然とした態度で叱責した。
(リトも、よく靴下片方なくすのよね……)
美柑は微笑ましい光景だと思いながら、どこか他人事のように眺めていた。自分はしっかり者。家事も完璧。そんな凡ミスとは無縁だという自負があったからだ。
しかし、次に植松がカバンから取り出したものを見た瞬間、美柑の心臓は、まるで氷水をかけられたかのように凍りついた。
「次は、これだ」
植松の手元で、真っ白な布地が広げられた。それは、どこにでもある子供用の綿パンツだった。だが、美柑には分かった。その形、その質感、そして何より――。
(……私の。……嘘。なんで……?)
一気に血の気が引いていく。昨夜、養護教諭の三村に身体を洗ってもらい、高揚感の中で急いで着替えたあの瞬間。確かに、脱いだはずのパンツを籠の中に残してきた記憶が、鮮明に、残酷に蘇る。
植松は、その「白」が全員によく見えるように、両手で端を掴み、胸の高さで堂々と広げてみせた。
「これも、名前が書いていない。女子の脱衣所にあったものだ」
中庭が、一瞬の静寂の後にざわめき出した。
「え、パンツ!?」「名前書いてないって、恥ずかしい……」「誰の? 誰のパンツ?」
幸恵と真美も「うわ、こんなの自分のだって誰も言えないよね……」と小声で話し合っている。美柑は、羞恥のあまり顔を上げることができなかった。地面の砂利が、妙に鮮明に見える。
(どうしよう……。あれは、絶対に私の。でも、ここで名乗り出るなんて……)
六年生全員の前で、自分の下着が晒されている。しかも、いつも「完璧」で通っている自分が、名前を書き忘れるという初歩的なミスを犯し、それを忘れてきたという事実。それは小学生の美柑にとって、この世の終わりにも等しい辱めだった。
植松は、ざわつく子供たちを制するように、静かに、けれど逃げ場のない声で言った。
「非常にデリケートな落とし物だ。ここで名乗り出るのが恥ずかしい、という気持ちも分かる。だが、放置しておくわけにもいかない。修学旅行の約束を破り、名前を書かなかった報いではあるが……」
植松は一度言葉を切り、眼鏡を押し上げた。
「一度だけ、チャンスをやる。今から全員、目を閉じなさい。下を向いて、決して目を開けてはいかん」
子供たちが互いに顔を見合わせながら、ゆっくりと目を閉じていく。美柑も、震えるまぶたを閉じた。世界が真っ暗になり、代わりに聴覚が研ぎ澄らされる。風の音、遠くを走る車の音、そして、植松の低い声。
「いいか。自分のだと思う者は、黙って、そっと手を挙げなさい。誰にも見えないように私が確認する。正直に名乗り出る勇気を持つことが、これからの君たちの成長に繋がるはずだ」
植松の言葉は、まるで慈悲深い救済のように美柑の耳に届いた。
(みんなに、迷惑をかけちゃいけない……。責任を、取らなきゃ……)
リトにいつも「しっかりしてるな」と褒められる美柑。結城家の看板を背負い、リトの妹として恥ずかしくない行動をしなければならないという、彼女なりの矜持。その健気な責任感が、羞恥心を僅かに上回った。
美柑は、鉛のように重い右手を、誰にも悟られないように、胸の高さまで、そっと、小さく挙げた。
「……よろしい。正直な者がいて安心した」
植松の声が、わずかに優しくなったような気がした。
「全員、目を開けていいぞ。該当者は、朝食の前の自由時間に私の部屋まで取りに来るように。以上、解散だ」
目を開けると、いつもの中庭の風景に戻っていた。誰も、美柑が手を挙げたことなど気づいていない。幸恵たちが「結局誰だったんだろうね」と不思議そうにしているのを、美柑は生返事でやり過ごした。
心臓の鼓動が、まだうるさく鳴り響いている。
自分の大切な「白」が、あの厳格な植松先生の手元にある。
(……行かなきゃ)
美柑は、朝食の準備で賑わい始めた友人たちの輪から一人離れ、植松の部屋がある教師用フロアへと、ゆっくりと歩き出した。
廊下の突き当たりにある、植松の部屋のドア。
美柑は一度深く息を吸い込み、小さくて細い指先を丸めて、その木製のドアをノックした。
「……失礼します。結城、です」
その声は、自分でも驚くほど震えていた。
部屋の中から、「入りなさい」という植松の低い声が聞こえてきた。