魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
最悪の女帝、フレイヤ・フォン・ローゼンブルグは改心した。
その切っ掛けとなった男こそ、不死のアレクである。
フレイヤを徹底的にわからせ、躾け、改心させたフレイヤの幼馴染。
そんなアレクの仕事と言えば、フレイヤの精神安定剤になることだ。
元庭師で平民のアレクが政治に口出ししたところで、良い結果は得られない。
故に決して出しゃばらず。フレイヤが安定するようにアレクは側にいた。
それはつまるところ毎日フレイヤとイチャイチャするだけという、自堕落な日々。
だがそれが、帝国の安寧に繋がるものだ。
「今日も頑張ってやっていくかのう」
「おう、頑張れよ。フレイヤ」
広々とした食堂だというのに、二人並んで朝食を取る。それがアレクとフレイヤの朝であった。
フレイヤの主食は命なため、普通の食事は極少量で問題ないのだが、アレクに合わせるよう三食食べる。
食卓の時を、フレイヤが愛しているからだ。
「アレクは今日どうするのじゃ? 何かしたいことがあれば何でも言え」
「あー……今日は勉強も休みだし、まあのんびりしてるよ。フレイヤを心の中で応援しながらな」
「ん。そうか。ならすぐに仕事を終わらせて、アレクとイチャイチャするとしよう」
そう言って、フレイヤは最後にスープを飲み干して立ち上がる。
大国の女帝ともなれば、いつだって忙しいものだ。こうして朝食を取る時間すら、惜しいこともある。
されどアレクとの時間を一番大切にし、フレイヤは毎日ちゃんと時間を作っていた。
「ああ、行ってらっしゃい」
「行ってきますなのじゃ」
二人は強く抱き合って、今日一日の活力を得る。そして夜になればベッドの上で運動会。
それが二人の日常だ。
アレクはフレイヤを見送って、一人帝城を練り歩いた。
フレイヤが仕事をしている間は、アレクの自由時間だ。基本的には勉強が主。
平民であり、十年魔境で暮らしたアレクは、ほぼ教育を受けたことがない。
だがフレイヤの隣にいるのに馬鹿なのは駄目だろうと、頼み込んで家庭教師をつけてもらっているのだ。
今日は休みの日であるが、週に五日は勉強をする。それがアレクの日常だった。
だが今日はそんな勉強すらない日。故に気分に導かれるままに、アレクは帝城の庭にでる。
最上階の庭園ではなく。周囲に広がる庭だ。
「……綺麗に手入れされてるな」
元庭師として、城に勤める職人の手腕には感嘆するものがあった。
自分や父親の技術に自信を持っていたアレクも、トッププロを見ると未熟さがわかるというもの。
こうして暇さえあれば庭を見てしまうのは、十年経っても治らない職業病というものだろう。
アレクは庭を見て、そして想いを馳せた。
「父さんなら……どう手入れするんだろうな」
アレクは父を思うのだ。
十年前に別れたきりの、最も尊敬する父を、アレクは庭を見るたびに思い出す。
すでに滅んだ故郷の地に、父も母もいなかった。
会いたいという気持ちはとても強い。まだ子供だったのに、突然別れの挨拶もなく離れ離れになったのだ。
両親への思いは、確かにアレクの中にある。
フレイヤと再会できた。そして改心させられた。
だからアレクは――
「……よし、行こう」
小さく呟いて、庭を後にする。
今はフレイヤが、必死に仕事をしていることだろう。そんな時間帯に、アレクはこっそりとある場所へ向かうのだ。
◇
アレクの仕事はフレイヤの傍にいることだ。
しかしアレクもそれだけをしているわけではなかった。
フレイヤが政務をしている時など、時間を見つけては足を運ぶ場所がある。
帝城の一室。『戸籍管理室』と呼ばれたそこへ、今日もアレクは訪れていた。
「おやおやアレク様。ようこそお越しくださいました。今日もですか?」
「はい。大臣。お願いします」
訪れたアレクを出迎えるのは、年老いた一人の老人だった。
豊かな髭を蓄えて、その目はとても優しそう。先代皇帝の時代から内務大臣を務め、現在はこの部屋の管理人をしている人物である。
「アレク様。こちらが、先日見つかった北部の未整理資料です」
「ありがとうございます大臣」
「はっはっは。もう大臣ではありませんがな」
元大臣の老人はそうおおらかに笑う。
何度も通っているからこそ、彼はアレクの顔を見るなり、山積みの書類の中から古びた束を取り出し、デスクに広げてくれた。
アレクがこの部屋に通う理由は、暇つぶしではない。
十年の時を経て帰還した際、雪に埋もれて消滅していた故郷――あそこに住む人間が、どこへ行ったのかを探しているのだ。
アレクはすでに、一番目を背けたかった名簿には目を通していた。
フレイヤがこの十年間で喰らった、膨大な『犠牲者リスト』。
震える手でページを捲り、数千人の名前を確認した。その中には両親や、友人達の名前はなかったのだ。
ならば、彼らは生きている。
村が滅びる前に、あるいは滅びた後に、どこか別の土地へ移り住んだはずだ。
アレクはその一縷の望みに賭けて、この埃っぽい部屋で彼らの足跡を追っていた。
「……やはり、厳しいですね」
「ええ。記録が、途切れておりますので」
老人が、眼鏡の位置を直しながら重苦しい溜め息をついた。
広げられた資料は虫食い状態で、誰がどこへ移ったのか、肝心な部分が空白のままだ。
「五年前です。……あの年、北部は
「大寒波……ですか」
「はい。本来なら、村や町が垣根を越えて協力して備えれば乗り越えられた寒さでした。しかし……当時の北部は陛下の徴収によって働き盛りの男たちが奪われておりましたから」
老人の言葉には、静かな怒りと悲哀が滲んでいた。
フレイヤが飢えを満たすために若い男を奪った結果、労働力が足らず厳しい冬の自然に抗う術を持たなかったのだ。
「結果、食料や薪の確保も、除雪もままならず……多くの村が維持できずに崩壊しました。生き残るために家を捨て、南へ。あるいは東へと雪崩を打つような大移住が起きたのです」
「それが、この記録の空白ですか……」
「はい。生きるのに必死な状況で、転入届を出す余裕などありません。村単位で離散し、難民のように各地へ散らばったため、当時の戸籍情報はぐちゃぐちゃなのです」
それが、フレイヤの犯した罪の余波だった。
直接手を下さずとも、フレイヤの暴食が社会システムを破壊し、間接的に多くを滅ぼしたのだ。
突きつけられた現実に、アレクは奥歯を噛みしめる。
だが、これがアレクの罪だ。アレクがフレイヤを助けて、そして離れたから生まれた歪み。
故に背負わねばとアレクは思う。
「……手伝ってくれてありがとうございます。本来なら、俺なんかが頼めることじゃないのに」
「何を仰いますか」
アレクが頭を下げると、老人は皺だらけの手を振って、
「アレク様は、救世主なのですから」
「救世主?」
「ええ。アレク様が現れてから、理不尽な徴収は止まりました。こうして私のような老いぼれが安心して仕事をしていられるのも、アレク様がフレイヤ様の安寧となっているから」
老人は、深く、深く頭を下げた。
「どうか、諦めないでくださいまし。……この国のどこかで、ご家族はきっと生きておられます」
「……そうですね。生きている、はずです」
アレクは資料を強く撫でた。
簡単には見つからないかもしれない。困難な道かもしれない。
けれど犠牲者リストに名前がなかった以上、彼らはこの広い帝国のどこかで、今も息をしているはずだ。
その痕跡を探すこと。それがアレクのやるべき責務だった。