※この作品はR-18です。

魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~   作:猫屋敷てん

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第二十四話 暗部

 幽鬼のような足取りというのは、今のフレイヤを言うのだろう。

 覚悟はしていたはずだ。受け止めて償うと考えていたはずだ。

 

 今まで食ってきた命の責任は取ると、考えていた。そのために帝国をよりよくしようと尽力してきた。

 帝国民のための政治をしようと、できうる全てでここ数か月やってきた。

 

「……アレク」

 

 だが結局、受け止めるなんて見知らぬ民であるから軽く言えただけだ。

 フレイヤが唯一大切に思うアレクの家族を殺してしまったかもしれない。たったそれだけで、フレイヤは受け止められなくなっていた。

 

 命を食った責任というのがどれほど重いか、フレイヤは眼前に突き付けられる。

 

「……陛下。どうされましたか?」

「アレロナ、か……」

「お具合が悪いのでしょうか?」

 

 フレイヤを気遣うよう、声をかけてきたのは侍女頭となったアレロナだった。

 その優しさを向けてくれるのも、フレイヤが改心したから。

 フレイヤが侍女達を気遣い、優しくするようになったからだ。

 

 しかし……それもフレイヤの壊れそうになる心を修復することはできない。

 

「アレロナよ。奴らを呼び出せ」

「奴ら、ですか?」

「暗部じゃ。長に執務室まで来るよう通告せよ」

「しょ、承知いたしました」

 

 明らかにフレイヤは正常ではない。しかしアレロナはすぐに頭を下げ、動き出した。

 

 

 ◇

 

 

 帝国には正式名称を帝国諜報部隊とされた暗部がある。

 帝国ほどの大国であるならば、その暗部もまた大きなもの。

 

 暗部とは皇帝の命令によって手足のように動く存在であり、人払いされた帝城の執務室に呼び出されていた。

 

「……来たか」

 

 椅子に座ったフレイヤの目は、闇に染まっていた。

 

 その視線の先、机の手前に音もなく一人の男が膝をついた状態で姿を現す。

 帝国の暗部を束ねる諜報部隊、その長である。

 

「お呼びにより、参上いたしました。……陛下」

「回りくどい挨拶はいらぬ。貴様に命じたいことがある」

 

 フレイヤの声は、執務室の冷えた空気をさらに下げるよう鋭かった。

 纏うものは捨てたはずの、最悪の女帝としての威厳 。だがその声にはわずかに震えが混じっている。

 

「アレクの両親を探すのじゃ」

「……アレク様の、でございますか?」

 

 男の問いに、フレイヤの眉が不快げに跳ねた。

 

「そうじゃ。かつてわらわが暮らしていた離宮のあった町。現在廃墟になったと聞いておる。アレクはそこで暮らしておった。その両親の行方がわからぬのじゃ。何としてでも探し出せ!」

「承知いたしました。……恐らく五年前の大寒波が要因かと。そこを重点的に調査いたします」

「うむ。最優先じゃ。総員で探し当てろ」

「総員、でございますか? いえ、承知いたしました」

 

 暗部は多くの仕事を抱える組織。その最優先にアレクの両親捜索という任務を与えられたことに男は眉を顰めるが、すぐにそれも消す。

 皇帝の命令は絶対であり、全てだからだ。

 

「ではアレク様からもお話をお伺いして――」

「ならぬ!」

 

 その言葉に、フレイヤは思わず机を叩いて立ち上がった。

 あまりに激しい挙動に、男の肩が微かに揺れる。

 

「あやつには……アレクには絶対に悟られるな。暗部の中だけで完結し、探し出すのじゃ。この件を口にした者は……わかっておるな」

「はっ、失礼いたしました。……秘密裏に、かつ迅速に調査いたします」

 

 捨てたはずの最悪の女帝の顔すら出して、その顔に男は隠しきれず震えを見せた。

 その様子を見たフレイヤは、力なく椅子に座り直す。

 

(どうか。どうか生きていてくれ…… )

 

 生きてさえいればやり直せる。だからどうかと願いながら、フレイヤは目を細めた。

 

「……急げ」

「御意。では、五年前の大寒波の記録を重点的に調査いたします」

「うむ。確実な情報をわらわの元へ持ってこい。もし発見した場合、速やかに保護するのじゃ」

「はっ」

 

 男は再び影に溶けるように消える。

 一人残されたフレイヤは、自分の震える両手を強く握りしめた。

 もし両親が死んでいたなら。

 その死を招いたのが、自らの気まぐれな命令であったなら。

 

 今、寝室で自分を待っているであろうアレクに、どんな顔で笑えばいいのだろう。

 フレイヤは償う方法がわからない。

 

 それがフレイヤの罪だ。アレクの両親だけではない、万という人間を殺してきた。

 

 その罪を背負うと言って、償いをすると言って、わかった気になっていた。

 フレイヤはすでに、許されざる咎を背負っているのだ。

 

 

 ◇

 

 

 夜の静寂が支配する寝室には、蜜蝋の香りと、紙が擦れる乾いた音だけが響いていた。

 天蓋付きの大きなベッドの脇、豪奢な装飾が施されたデスクに座り、アレクは慣れない羽ペンを動かしていた。

 

「……こうか。いや、ここの跳ねが少し違うな」

 

 魔境での十年、あるいは庭師としての少年時代。戦い、土を弄ることに心血を注いできたアレクの手は、文字を書くには少しばかり無骨すぎた。

 それでもアレクは丁寧に、一文字ずつ紙に刻んでいく。

 

 そんな中、カチャリ、と重厚な扉が開く音がした。

 アレクが顔を上げると、そこには寝巻用のドレスを身に着けた、足取りの重いフレイヤが立っていた。

 

「おかえり、フレイヤ。遅かったな」

「……うむ、ただいまじゃ、アレク」

 

 フレイヤの声は、いつもより少しだけ掠れていた。

 フレイヤはアレクの姿を見るなり、吸い寄せられるように歩み寄り、背後からその首に細い腕を回した。

 アレクの背中に、豊かな胸の感触が押し付けられる。

 

「こんな夜更けまで、何をしておるのじゃ。先に寝ておっても良かったのじゃぞ……」

「悪いな。ちょっと文字を書く練習をしてたんだ。お前の横に並ぶのに、自分の名前もろくに書けないんじゃ格好がつかないだろ?」

 

 アレクが苦笑しながら紙を見せると、そこには『アレク』と『フレイヤ』という二人の名前が、歪ながらも並んで書かれていた。

 その光景を目にした瞬間、フレイヤの腕に微かな力がこもる。

 

「……名前、か。ふふ、下手くそじゃのう」

「まだ練習中だって言ったろ。それよりフレイヤこそ、こんな時間まで仕事か? あまり根を詰めすぎるなよ」

 

 アレクが優しくフレイヤの手に触れる。

 フレイヤはその言葉に一瞬、肩を震わせた。

 

「う、うむ。少しな。残っていた政務が予想外に長引いてしまったのじゃ。あやうく、そなたに会えぬまま夜が明けるかと思ったわ」

 

 それは真っ赤な嘘だ。

 フレイヤはつい先刻まで、暗部の者たちを呼び出し、アレクの両親の行方を追わせていた。

 アレクの温もりを感じれば感じるほど、その嘘が喉の奥で棘のように刺さる。

 

「そっか。偉いなフレイヤは。……頑張ったご褒美が必要か?」

「…………必要じゃ。今すぐに、な」

 

 アレクが椅子を回し、フレイヤと向き合う。

 その瞳は潤み、どこか縋るような、何かに怯えているような色を持っていた。

 アレクはその違和感に気づきながらも、深くは追求しなかった。

 

 フレイヤの腰を引き寄せ、自分の膝の上に座らせる。

 すると銀髪が舞い、甘いフレイヤの匂いがアレクの鼻腔をくすぐった。

 

「ん……ちゅぅ」

 

 そのまま唇を重ねて、キスをした。

 愛を伝えるような、愛し合うような、そんな歪で甘いキス。

 フレイヤは壊れそうになる心を修復するように、舌と舌を強く絡めた。

 

 淫らな水音が寝室に響く。二人の男女が互いに互いを求めていた。

 そこには深い愛があって――故にフレイヤの心は悲鳴を上げる。

 

「今日は、特に激しいな」

「ふふ……嫌か?」

「嫌なわけないだろ」

 

 とろけた瞳でアレクを見つめるフレイヤ。その唇は、誘うように微かに開いている。

 アレクは逃がさないようにその顎を指先で持ち上げると、唇を重ねた。

 

 休憩も兼ねた、羽が触れ合うような軽いキス。

 だがすぐにフレイヤが自分から深く、貪るように舌を差し込んできた。

 

「んっ……ちゅ、じゅぷ……んぅ……っ」

 

 互いの唾液が混ざり合い、銀色の糸を引く。

 フレイヤのキスは、どこか必死だった。

 アレクの命を、魂を、その口内からすべて飲み干してしまいたいかのように激しく切実だ。

 

「ぷはっ……。フレイヤ、落ち着け……激しすぎるぞ」

「落ち着けるはずがなかろう……。そなたが、わらわの名前を書いて……あんなに優しく待っておるのが、悪いのじゃ……」

 

 フレイヤの瞳から一筋の涙が溢れ、アレクの頬に落ちた。

 アレクはそれを親指で拭い、フレイヤの耳元で囁く。

 

「何か、あったのか?」

「……何もない。何もないのじゃ、アレク。わらわはただ、そなたが愛おしくて、たまらぬだけじゃ……」

 

 嘘だ、とアレクは確信する。

 けれどその嘘を暴く勇気は、アレクにもまだなかった。それほどにフレイヤは、拒絶の意思を見せていたからだ。

 この状態のフレイヤから、無理に聞き出すことはできない。

 

「……そうか。なら、今日もするか」

「うむ……。そうしてくれ、アレク。壊れるほどに、わらわを……躾けてくれ(・・・・・)……っ」

 

 再び重なる唇。

 今度のキスは、さらに深く、粘り気を帯びていた。

 

 デスクの上に置かれた羊皮紙。

 そこに並んだ『アレク』と『フレイヤ』の名前が、揺れるキャンドルの火に照らされて、まるで互いにしがみついているかのように見えた。

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