魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
北部最大の都市バレーシアと言えば、蒸しパンが有名な地域である。
寒さの厳しいこの地では、大きな産業が発展しなかった。故にこそバレーシアと言えば体を温めてくれる蒸しパンなどと呼ばれているのだろう。
そんなバレーシアは、非常に活気の少ない寂れた都市だった。
「……これは」
故郷と北の果てと帝都しか知らないアレクにとって、バレーシアの景色はまた大きな驚きがあった。
建物を見れば非常に巨大な都市であるように見えるのに、町行く民の数は少ない。
都市は死んだように静かだった。
「…………」
馬車から見えるその景色に、アレクは悲しげに眉を顰める。
これもまた、フレイヤの罪。
寒さが厳しい北部の地から、男手を奪い、大寒波が訪れようと支援すらしなかった。
その結果が寂れた都市バレーシアの姿だ。
今こそ改心して積極的に北部へ手厚い支援をしているが、たった数ヶ月では変わるはずがない。
この地がかつての熱気を取り戻すためには、また長い時が必要なのだろう。
「着いたようじゃ……」
そして馬車は、都市の郊外にある巨大な共同墓地へとたどり着いた。
馬車が音を立てて止まり、ガチャリとドアが開く。
「こちらです」
「ああ。……フレイヤ」
「うむ……」
案内をしてくれたのは、黒い礼服を着た男だ。アレクは馬車を降り、フレイヤの手を取って降りる手伝いをする。
舞い降りた共同墓地を包むのは、風の音だけだった。
どこまでも続く無数の石の列。それが寂しさをかもしだしている。
連れてきた部下達は馬車の近くで待機させ、黒服の男に案内されるまま、二人はさらに奥へと進む。
「……こちらになります」
男に案内され、二人は墓地の最も奥まった、湿った影の落ちる一角へとたどり着いた。
そこには、周囲の小さな石板とは明らかに異なる、不自然なほど巨大な墓石が鎮座していた。
それは墓というよりは、行き場を失った遺体をまとめて放り込んだ場所を示す、単なる目印に近いものだった。
「…………」
アレクがその前に立ち、息を呑む。
石には無数の名前が刻まれているが、その表面はひび割れ、苔がこびりついている。
その中央、風雨にさらされて削りかけのようになった部分に、二人の名前が刻まれていた。
『アレン』
『マリナ』
それを見た瞬間、アレクの身体が微かに震えた。
違う。アレクの父の名は『アラン』だ。そして母の名は『マリア』。
刻まれた文字は、似ているようで決定的に違っていた。
「……名前が、間違っている」
「なんじゃと……」
アレクの声が、静寂を裂く。
そこにあるのは一種の希望だ。
もしかしたら、別人なのではないか。そういう希望でアレクは目を見開く。
フレイヤもまた、その希望に息を呑んだ。
しかし――
「はい。管理人に聞いたところ、どうやら当時は死人が多く、正確な名簿を作ることができなかったとのこと」
案内してくれた黒服の男は、淡々と、事務的な口調で続けた。
「そのお二方は、路上で亡くなられていた際に持っていた古びた布の切れ端……そこに刺繍されていた名前を頼りに特定したようです。ですが文字が擦り切れていて判別が難しかったらしく……おそらく、彫った者が読み間違えたのでしょう」
「えっ……」
布の切れ端。
アレクの脳裏に、かつて母が針を動かしていた姿が蘇る。
裏側まで丁寧に、着る人の幸せを願って一針ずつ魂を込めていた、あの刺繍。
母が大切にしていたその証さえも、厳しい冬の路上でボロボロに擦り切れ、名前すら正しく伝わらないほどに汚れてしまったのか。
「……そうか。刺繍、から。間違いでは、ないんだな」
アレクは膝から崩れ落ちるようにして、冷たい土の上に手をついた。
指先が、墓石に刻まれた間違った名前をなぞる。
せめて死んだ後くらいは、自分の名前で呼んでもらいたかったはずだ。
庭師として、針子として、誇り高く生きてきた二人が、なぜこんな、自分たちのものでもない名前を背負わされて、見知らぬ土地の片隅に埋められなければならないのか。
「どうやらお二人には、酷い拷問の痕があったようです」
「えっ?」
黒服の男は続ける。
「特に父君は片腕を切り落とされており……それ故仕事も見つからなかったのでしょう」
「ごう、もん……」
その言葉の意味が、アレクにはわからなかった。
拷問、それは何か悪いことでもしないと受けないものだ。
少なくとも、二人は馬鹿正直すぎるほどに善人だった。そんな両親が罪を犯すなんて――
「罪……あ、ぁ」
だが、アレクは合致がいく。
罪は、犯したではないか。北の果てに追放されるという実質的な死刑宣告を受けるほどの罪を。
それが家族へ降りかからないなんて、誰が言える。
国を滅ぼす兵器になれる悪魔と触れ合っていたという罪は、連帯責任としてその両親にも行くだろう。
全ては――アレクがフレイヤを助けたからだ。
「…………う、うあああああああああああああああああああああ……っ!!」
アレクの口から、絶叫に似た悲鳴が漏れ出ていた。
それは悲鳴ですらなく、ただ魂が削れるような音だ。
「アレク……ッ!! アレク!」
膝をつき、絶叫するアレクに、フレイヤはなりふり構わずしがみついた。
震える手でアレクの肩を抱き、何度もその名前を呼ぶ。
だがアレクの悲しみが消えることはない。
泣いて、泣いて、泣いて――最後に納得がくる。
「……そうか。やっぱり、そうだったんだな。俺が、悪かったんだ」
ポツリとアレクの口から漏れたのは、独り言のような呟きだった
「アレク、何を……何を言うておるのじゃ! こんなもの、何かの間違いに決まっておる! わらわが、わらわがすぐに調べ直させる。名前は間違っておったのじゃ。本当はどこかで生きておって、誰かが嘘を吐いているだけじゃ!」
このままではアレクが壊れてしまうと、フレイヤは必死にそう言った。
しかしその言葉が、アレクへ届くことはない。アレクは決して、己に逃げることを許さないからだ。
「……間違いじゃないよ、フレイヤ。父さんと母さんが死んだのは、俺がヘマをしたからだ。見つからないように、細心の注意を払っていれば、こうはならなかった」
「ちがう! そんなこと……! 悪いのは奴らじゃろうッ!」
「そう、かもな。けれど、俺が捕まったから、これが起こった。それは間違いない」
「アレク……」
そう、アレクが捕まってしまったから、こうなったのだ。
なら、その原因を作ったのは誰だ。
わがままを言って、外の世界を見せて欲しいなんて言って、アレクへデートをねだったのはどこの愚かな女だ。
もしあの時――フレイヤがわがままを言わなければ。こんな結末は訪れなかったのだろうか。
「…………」
だがアレクは、決してフレイヤを責めることはない。
自分を恨んでくれればいいのに。
お前のせいで父さんと母さんが死んだと、その汚れた手で触れるなと、突き放してくれればいいのに。
アレクはただ悲しそうに、全てを自分の責任だと抱え込んでいる。
「……陛下、申し訳ございません。余計な報告をしてしまったようです」
寒さすら感じる沈黙の中、案内役の黒服がそう言って頭を下げる。
フレイヤはその声に、爆発しそうなほどの殺意を向けた。
「貴様ッ!! そうじゃ、余計なことを、余計なことを……! 殺してやる! 今すぐその首を跳ねて、アレクに聞こえた言葉をすべて無かったことにしてやる!!」
フレイヤが呪いを昂ぶらせ、男の命を吸い取ろうとした瞬間。
アレクが、フレイヤの腰を静かに抱き寄せた。
「……もういいよ、フレイヤ。やめてくれ!」
「離せ、アレク! こやつが……こやつがあんなことを言うから、そなたがそんな顔を……!」
「俺が、知りたかったことだ。……この人に当たっても、父さん達は帰ってこない。これ以上、俺のために誰かを傷つけないでくれ。それが一番、堪えるんだ」
「っあ……アレ、ク」
その言葉に、フレイヤは息を呑んで沈黙した。
ああ、また最悪な女帝の顔を覗かせてしまった。八つ当たりをするように、殺すという手段が簡単に生まれてしまった。
ここで男を殺したとして、何も事態が好転するはずがないのに、心をスッキリさせるために、殺そうとした。
アレクを悲しませるだけの、最悪の手段。
最悪だ。このまま死んでしまいたいぐらい最悪だ。
「……アレク。す、すまぬ。わらわは、どうかしていたようじゃ」
「うん……大丈夫だ。行こう。もう、十分にわかったから」
アレクはフレイヤを責める言葉を、一言も口にしなかった。
そして精一杯の笑顔を見せて、二人の死を背負い込む。
「俺はもう、大丈夫だ」
アレクは恨まない。
アレクはこれからも、フレイヤを愛し、フレイヤの隣に居続けるだろう。
その罪を一緒に背負って、いや、フレイヤを助けてしまった自分の責任であるとして、フレイヤよりも傷つこうとするかもしれない。
贖罪とは何なのだろう。罪とはいったい、どうすれば消えてくれるのだろう。
「アレク、もう夜になる。今日は、この地で泊まるか。最高級の宿を予約しておる……」
「ああ、……ありがとう」
そう言って微笑んだアレクは、やっぱり無理して笑っていた。