※この作品はR-18です。

魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~   作:猫屋敷てん

3 / 36
第三話 幸せなキス

 かつてのフレイヤ・フォン・ローゼンブルグは、決して最悪な女帝と呼ばれるような人間ではなかった。

 あるいはその蕾はあったが、開花することなく消えていく未来もあった。

 

 それも全て、光があったから。

 あるいは愛があったからだろう――

 

 

 

 神聖ドラグノフ帝国の北端に位置する離宮は、北の地にあるだけあって酷く寒い。

 冬が訪れれば一日中猛吹雪が吹き荒れて、人の住む土地ではなくなるのだ。

 

 フレイヤの住む離宮――とは名ばかりの監獄は、その寒さを防ぎきれない。

 石造りの部屋はどこを触っても冷たくて、窓からは吹雪が吹き込んでくる。

 間違いなく人が生きていける環境ではないが、二人は身を寄せ合うことで生を繋いでいた。

 

「これ。もっと強く抱きしめぬか」

「わがまま過ぎるだろお前は!」

「ふふん」

 

 そうやって言い合うのは、フレイヤとアレクだ。

 防寒着を身に着けたアレクの腕の中で抱きしめられて、フレイヤは幸せそうに笑っていた。

 

 なぜこうなっているかと言えば、猛吹雪に震えていたフレイヤを見ていられなくなったアレクが、勝手に侵入して温め始めたことに起因する。

 それに対し、傲慢にももっと強く抱きしめろというのがフレイヤだった。

 

 国に雇われているとはいえ、こんな辺境の庭師の息子なんて貧乏なもの。その手段といえば、ボロボロの防寒着で共に温まるぐらいだ。

 そうやって必死に手段を模索しているというのに、フレイヤはなんと傲慢なのだろう。

 

「……アレクよ。今度は少し熱すぎるぞ」

「お前は文句が多いな! じゃあ離れるか?」

「ならぬ! 離れたら死刑じゃ」

 

 そんなわがままなことを言いながら、フレイヤはアレクの首に腕を回し、逃がさないとばかりにしがみついた。その力は驚くほど強く、フレイヤがいかにこの温もりを渇望していたかが伝わってくる。

 

「離れては、ならぬ」

 

 そう言って首元に顔を埋め、その匂いを嗅ぎ、ぬくもりを全身に浴びようと強く、それは強く抱きしめる。

 

「……おい、くすぐったいって」

「我慢せよ。……ん、よし。ここじゃ」

 

 フレイヤは満足そうに鼻を鳴らすと、スンスンと匂いを嗅ぐように胸元で深呼吸をした。

 結局フレイヤのわがままも、照れ隠しのようなものだ。素直になれないフレイヤの可愛い一面だった。

 

「……そなた、日向と土の匂いがするのう」

「庭師見習いだからな。泥臭いって言いたいのか?」

「違う。……落ち着く匂いじゃと言っておる」

 

 フレイヤはとろんとした瞳でアレクを見上げ、ぺたりと頬をすり寄せた。冷え切っていたフレイヤの頬が、アレクの体温で朱に染まっていく。

 

「この匂いも、この熱も。全部わらわのものじゃ。……誰にも貸してやらぬぞ?」

「俺は別にお前のものじゃねえよ」

「なんじゃと! まさかわらわの下から離れると言うのか!」

「いや……離れないって。大丈夫だ」

「ならば、良いが」

 

 不安に駆られるフレイヤの、頭を優しくなでて言い聞かせる。そうすればほっとしたように、フレイヤは無邪気に笑ったのだ。

 アレクは呆れつつも、その愛おしさで胸が一杯になるのを感じていた。  

 

 だがしばらくすると、フレイヤは不満げに唇を尖らせた。

 

「しかし……気に食わぬな」

「何がだよ」

「一方的に施されるのは、わらわの性に合わぬ。これではまるで、わらわがそなたに守られるだけの弱い生き物のようではないか」

「実際、今は弱いだろ」

「無礼者め! まったく……何か返さねば気が済まぬ」

 

 フレイヤは悔し気にキョロキョロと視線を彷徨わせた。しかしこの冷え切った牢獄には、家具の一つもまともに存在しない。あるのは薄い絨毯に冷たい石床と、積もった雪だけだ。

 フレイヤがアレクに与えられる財産など、何一つ持っていなかった。

 

「……何もないな」

「いいよ、別に。礼なんて求めてないし」

「わらわが嫌なのじゃ!」

「うおっと」

 

 そう言ってフレイヤが身じろぎした拍子に、アレクの腕の中で体勢が崩れた。

 それを慌てて支えようと、アレクが腕に力を込めたその時だった。

 

 ――ふにゅり。

 

 厚手のドレス越しに、柔らかく、けれど確かな弾力がアレクの掌に伝わった。

 それはまだ未成熟ではあるが、女性特有の柔らかさを持つ――フレイヤの胸だった。

 

「――っ!?」

 

 アレクは弾かれたように手を引っ込めた。

 顔が一瞬で沸騰し、心臓が早鐘を打つ。

 

「わ、悪い! わざとじゃねぇんだ、服が厚くてよく分からなくて……っ!」

「…………」

 

 アレクが慌てふためくのを見て、フレイヤはきょとんと目を丸くし、それから自身の胸元に視線を落とした。

 そして、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべる。

 フレイヤは自分の胸を両手で強調するように持ち上げると、勝ち誇ったように言った。

 

「ほう? アレクめ、こういうのが好きなのか?」

「ち、違っ……!」

「嘘をつくな。顔が赤いぞ、変態」

「誰が変態だ!」

「ふふん。よいぞ。……特別に許可してやろう」

 

 フレイヤは尊大な態度で、ツンと顎を上げた。

 だがその顔は、羞恥で耳まで赤く染まっている。とてもうれしかったのだろう。アレクが自分のことを求めているようで。

 故に精一杯の虚勢を張って、嬉しさを隠すようにそう言うのだ。

 

「温めてくれた礼じゃ。特別に、わらわの胸を触る権利をやろう。……え、遠慮せずともよいぞ? 光栄に思え」

「お前なあ……! そういうのは、もっと大事にするもんだろうが!」

「何を言う。わらわの身体はわらわのものじゃ! 使い道くらい自分で決めるわ!」

 

 ぐい、とフレイヤは体を押し付けてくる。

 アレクは狼狽し、必死に首を振った。

 

「だめだ! そんなの、礼にならねぇよ!」

「なっ……!? わらわの体が不服だと言うのか!?」

「そうじゃなくて……! とにかく、そういうのはダメだ!」

 

 ぶんぶんと首を振るアレクに対し、フレイヤもそれ以上は言えない。

 これ以上はまるで痴女のようであり、フレイヤにプライドが許さなかった。

 

「むぅ……。意気地なしめ!」

 

 故にフレイヤは不満げに頬を膨らませた。

 せっかく一番大切なものを差し出そうとしたのに、拒絶されたことが悔しいのだ。

 フレイヤなりの精一杯の好意であり、不器用な求愛だったのに。まるで自分を否定されたように、心がとても傷ついてしまう。

 だがここで引き下がるわけにはいかない。

 

「……ならば、また春が来たらにしよう。今日は寒すぎる」

「は? は、はる?」

「うむ。その代わり――今は、これで我慢せよ」

 

 そう言ってフレイヤはアレクの襟首を掴むと、強引に引き寄せた。

 有無を言わさぬ力。

 アレクが反応するよりも早く――()()()()()()()()()()()()()

 

「んっ……!?」

 

 アレクの目が驚愕に見開かれる。

 それは初めての口づけだ。

 唇の表面は冷たかったが、すぐに互いの呼気で熱を帯びていく。

 フレイヤは下手くそに、けれど必死に唇を押し付けてきた。少しだけ開いた唇の隙間から、湿った熱気が流れ込んでくる。

 

「フレっ……」

「アレ、ク。ていこう、されたら、悲しいぞ」

 

 顔をりんごのように真っ赤にして、唇をくっつけたままフレイヤは言う。

 プライドの高いフレイヤにとって、自分から口づけをするなど恥ずかしくて火が吹きそうな愚行。

 しかし、アレクとのキスがしたくてしたくてたまらなかった。凍える心を氷解するような、愛がほしかった。

 

「……フレイヤ」

 

 そんなフレイヤを見て、アレクも拒まない。拒否しようと思えばできたはずだ。

 けれど、アレクはフレイヤを突き飛ばすことができなかった。

 勇気を振り絞って、拒絶されないかと恐怖で震えるフレイヤを、なぜ突き放すことができるだろう。

 

 アレクも、嬉しかったのだ。

 

「ん……ちゅ、ぅ……」

 

 粘膜が触れ合う音が、もう一度響いた。

 それは、外の吹雪を忘れさせるほどに生々しく、脳が溶けるほどに温かかった。

 ただの接触ではない。命と命が直接触れ合い、互いの境界線が曖昧になるような感覚。

 アレクもまた、魅入られたようにフレイヤの背中に腕を回し、その口づけに応えていた。

 

 貧しい庭師の少年と、見捨てられた皇女。

 世界中が敵であっても、この腕の中にある体温だけは本物だ。

 ただ愛おしかった。ただ守りたかった。

 

 口づけの合間、フレイヤが涙目で、けれど幸せそうに微笑んで囁く。

 

「……温かいのう、アレク」

 

 その笑顔は、どこまでも無垢で可愛らしい。

 

 

 ◇

 

 

「ん……ちゅ、ぁ……」

 

 最初は、ついばむような軽い接触だった。

 けれど一度触れ合ってしまった唇は、磁石のように吸い付き、離れようとしない。

 冷え切っていたフレイヤの唇はアレクの熱を奪い、瞬く間に火照るような熱さを帯びていく。

 

「ふ、ぁ……んぅ……」

 

 鼻にかかった甘い吐息が、二人の間に白く漂う。

 アレクが少しだけ顔を離し、息継ぎをしようとすると、フレイヤは不満げに眉を寄せてその首に回した腕に力を込めた。

 

「……逃げるな」

「逃げてない……息が、続かないだろ」

「知らぬ。……もっと、続きをせよ」

 

 フレイヤは潤んだ瞳でアレクを睨み、強引にその頭を引き寄せた。

 そうして再び唇が重なる。今度はより深く、より粘着質に。柔らかい唇同士が押し付け合い、形を変える感触が鮮明に伝わってくる。

 

「ん……ちゅ、る……」

 

 フレイヤが恐る恐る、けれど好奇心に満ちた舌先を忍び込ませてきた。

 遠慮がちな舌使い。アレクがそれを受け入れ、自身の舌で迎え撃つと、フレイヤの背中がビクリと大きく跳ねた。

 

「ひっ、ぅ……!?」

「嫌か?」

「……ちが、う。……凄いのじゃ、頭が、痺れる……」

 

 嫌がるどころか、フレイヤはさらに身体を押し付けてきた。

 もう一度、唇をあわせて互いの舌が絡み合う。

 湿った粘膜が擦れ合い、唾液が混ざり合うじゅるりとした水音が静寂な石牢に響いた。それは外の猛吹雪さえかき消すほどに音を出す。

 

 アレクは初めて知る女の子の口内の甘さと、熱さに翻弄されていた。

 フレイヤは不器用に、しかし必死にアレクの舌を吸い、絡め取り、その全てを味わおうとしてくる。

 

「はぁ、ぁ……アレク、アレク……っ」

「フレイヤ……」

「……気持ち、いい。……そなたの味が、する……」

 

 口づけの合間、銀色の糸を引きながらフレイヤが夢見心地で囁いた。

 その表情は蕩けきっていた。普段の傲慢な態度はどこへやら、今はただ快楽と幸福に溺れる一人の雌の顔をしている。

 

「……お前、すごい熱いな」

「アレクのせいじゃ……。そなたが、わらわを溶かすから……」

 

 フレイヤは上気した頬をすり寄せ、ねだるように唇を突き出した。

 

「まだ、足りぬ。……もっと奥まで、入ってこい」

「……命令するなよ」

「命令ではない、願いじゃ。……わらわの空っぽな中身を、全部そなたで満たしてくれ」

 

 その言葉は、理性の最後の留め金を外すには十分すぎた。

 アレクは彼女の後頭部を支え、貪るように唇を塞いだ。

 

 レロ、ズチュ、とさらに濃密な音が響く。

 呼吸すら忘れて、二人は互いの存在を確かめ合った。唾液を飲み下す喉の動きさえもリンクする。

 境界線が曖昧になる。どこからが自分で、どこからが相手なのか分からなくなるほどの密着。

 

 世界にはもう二人しかいない。

 このまま溶け合って、一つになってしまいたい。

 永遠にこの唇を離したくない。

 

 そんな、甘く幸福な願い。

 だがその願いは、最悪の形で叶えられようとしていた。

 

 異変は、唐突に訪れたのだ――

 

「……んッ、ぁ?」

 

 アレクの背筋に、悪寒が走った。

 寒いのではない。熱すぎるのだ。

 接している唇の奥から、次の瞬間には魂の根こそぎを持っていかれるような強烈な()()が始まった。

 

「フ、レイヤ……?」

 

 アレクは違和感を覚え、身体を離そうと肩に手をかけた。

 しかし、動かない。

 フレイヤの細い腕が、万力のような力でアレクの首にしがみついている。

 

「っ、ぁ……! だ、め……!?」

 

 唇の隙間から、フレイヤの悲鳴のような声が漏れる。

 至近距離で見た彼女の瞳。その美しい瞳孔が開ききり、赤く禍々しく発光していた。

 

 血を吸われた時よりも強力な吸引力。

 

「がっ!?」

 

 アレクの体内から、何かが無理矢理吸い出されていった。

 指先の感覚が消える。視界が白く明滅する。それは明確な死の感触だった。

 

(なっ、んだこれ……!?)

 

 普通ならすでに干からびて即死していただろう。

 事実、アレクの視界は急速に闇に覆われ、手足の自由は奪われていた。

 だがアレクの心臓はまだ動いていた。枯渇していく命の泉の底から、絶え間なく次が溢れ出てくる。

 

 吸われる端から、無理やりに命を繋ぎ止める。

 その拮抗が、脳が沸騰するような激痛と、麻薬的な快楽を同時に生み出していた。

 

「いや、いやじゃ! とまらぬ、とまらぬぅッ!」

 

 フレイヤが半狂乱になって叫ぶ。

 頭では分かっているのだ。今すぐに離れなければ、アレクを吸い殺してしまうと。

 

 けれど、身体が言うことを聞かない。

 アレクの命があまりにも甘く、あまりにも濃密すぎて、忌み子としての本能が飲み干すまで離さないと絶叫している。

 

 母を殺した時と同じだ。

 これがフレイヤが、北の地で幽閉されている理由だ。

 この力を操れず、自分の意思と関係なく周囲の者を吸い殺してしまうから、忌み子として幽閉された。

 

「はなれろ! アレク、逃げろ! 突き飛ばせ! わらわを殺してでも逃げるのじゃ!」

 

 涙を流しながら、フレイヤはアレクの胸を叩いた。

 アレクを捕食しながら、アレクに逃げてくれと懇願する。その姿は本能と理性のぶつかり合いだ。

 

 だがアレクの意識が遠のいていく。

 手足はもう動かない。

 全身の血が逆流し、心臓が早鐘を打っている。

 

(ああ、そうか。これが)

 

 アレクは悟った。

 これが呪いなのだと。人々が恐れる力なのだと。

 でも、だからこそ、手放せない――

 

「……ガ、ぁ……」

 

 アレクは残った最後の力を振り絞った。それで、腕の中で必死に離れようとするフレイヤを強引につかんだ。

 

「へっ!? 何をしているアレク! 早く逃げるのじゃ!」

「い、や、だ!!」

 

 アレクは、全力で拒否をした。

 ここで逃げたら、フレイヤは一人になる。絶望と恐怖に支配されるだろう。

 その辛さは想像でしかわからないが、だからこそ離れるわけにはいかないのだ。

 一人にしてはいけないのだ。

 

 アレクは自分を食い殺そうとしている少女の背中に、震える腕を通して力強く抱きしめる。

 

「一人には、しないっ」

「い、やぁ! アレク、死ぬな! わらわのために死ぬな!」

 

 フレイヤの絶叫が鼓膜を叩く。

 アレクはもう言葉を発することすらできなかった。ただ、彼女を強く抱きしめる。

 狂乱するフレイヤを安心させるように、暴走する彼女の呪いごとその全てを受け止めるように。

 

 ガクリ、と。

 アレクの力が抜け、その身体がフレイヤに覆いかぶさるように倒れ込んだ。

 

「あ……ア、レク……?」

 

 フレイヤの慟哭が響く。

 しかしアレクにはもう、その声は届かない。

 

 視界が完全に闇に落ちる。

 

 これが、忌み子の力であった――

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。