魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
そこには、鎧を身に着けた三つの死体が転がっていた。
見る限り帝城の警備兵であろう。
屈強な男であったはずなのに、命を吸い取られてミイラとなり、無残な死体となっている。
「……これは。ッ――」
初めての帝城での犠牲者だ。
アレクも初めて犠牲者を見て、かけつけた足は固まったように動かない。
その声に集まってきた者たちも、絶句していた。
「あの鎧、ジャ、ジャンだ……」
「嘘だろ、おい」
恐らく知り合いなのだろう。集まってきた警備兵の一人は、転がる死体に顔を歪めている。
帝城で共に働く同僚が、無残にも死んだのだ。
それは一年ぶりのことであり、彼らはまた絶望を思い出す。
あの日の恐怖。最悪の女帝が君臨していた頃の記憶。
かつてと同じ空気が、この場には蔓延していた。
「この前、給料が上がったって喜んでたのに。彼女にプレゼントをするんだって、そう、言っていたのに」
「なんて、惨いんだ……」
囁くような小さな声だが、よく反響する廊下だからアレクの耳にも届く。
だからアレクは強く、強く拳を握った。
「止まらない、んですね」
「はい……世界が終わるその日まで、止まることはないのでしょう」
アレクの言葉に、背後に控えた暗部の長クリスが答えた。
アレクはフレイヤを選ぶだろう。だが――果たして耐えられるのか。
人が何人も、何百人も、何万人も。全員が死に、誰もいない世界でフレイヤと二人きりになったとして、それは果たして幸せなのか。
フレイヤを選んで良かったと、胸を張って言える結果なのか。
アレクは死体を見て、迷いを見せた。
その瞬間だった。――カツン、カツンとヒールの足音が響いたのは。
遅れて到着したのは、フレイヤだ。
事態を聞きつけ、侍女を引き連れたフレイヤが、この場に足を踏み入れる。
「フレイヤ、来たのか」
「アレク。無論じゃ。して、死者はどこ――」
そう言いながら歩いたフレイヤは、三つの死体を視界に入れた瞬間、顔から血の気をなくしていた。
「あれ、か……」
その紅玉の瞳が大きく見開かれ、絶望の色に染まる。その死体は、かつてのフレイヤがいくつも作り出していたものと同じだ。
フレイヤは良い皇帝であろうと必死だった。アレクとの生活を守るために、己を律してきた。それなのに、果てにあるのはこれだ。
フレイヤが歩を進めるたび、周囲の者たちが波が引くように距離を取った。
誰も何も言わない。女帝の怒りに触れれば、命がないことを知っているからだ。
その恐怖は、良き皇帝になろうとも消えることはない。
だがその沈黙の視線が、一斉にフレイヤへと突き刺さる。
――お前がやったんだろう。
――結局、化け物は化け物のままだったんだ。
――人殺し。
声にならない叫びが、何十人もの目から放たれ、フレイヤの全身を貫く。
「……状況を、報告せよ」
だがフレイヤはそれらを無視し、声を絞り出して周囲に求めた。
一人の兵士が進み出て、膝をつく。
「はっ。巡回中の兵三名が突然この場で崩れ落ち、このような死体になったとのことです。周囲に不審な影はなく、死体が三つ……」
兵士は努めて淡々と、冷静に状況を伝える。その言葉自体にフレイヤを責める内容は一切ない。
だが全員の目が、フレイヤを悪者として見ていた。
どれほど冷静に言葉を交わそうとも、この場の誰もが女帝の空腹を満たすための犠牲になったと確信している。
フレイヤは平静を装うように、真っ直ぐに背筋を伸ばしていた。
だがその指先は隠しようもなく震え、向けられる視線の重圧に潰れないよう必死だ。
「被害者の遺族には、手厚い支援を。国庫から十分な補償を出せ。それと……一刻も早く、原因の調査をせよ……」
「はっ。承知いたしました」
矢継ぎ早に命を下すその声は、どこか上擦っていた。
そして命令を下し終えるや否や、フレイヤは周囲の視線から逃れるように、足早にその場を去っていく。
「フレイヤ!」
その中で唯一、アレクだけがフレイヤを呼び止めるように叫ぶ。
「…………アレク。すまぬ」
だがフレイヤは一瞥してそれだけ呟き、その場を足場やに立ち去った。
アレクは慌てて後を追う。
場の空気は最悪だ。
誰もが救いを求めている。
誰もが、魔王が死ぬことを求めている。
走り去るフレイヤとアレクの背中に、多くの視線が突き刺さっていた。
◇
「なぜじゃっ!! 何が、起きておる!!」
執務室へ入るや否や、フレイヤは我慢の限界だとでも言うように荒々しくテーブルを蹴り上げていた。
その剣幕に侍女たちは震えあがり、気配を消して背景になろうとする。
今のフレイヤは侍女に八つ当たりをするような人間ではないが、かつての恐怖を想起させた。
故に執務室の空気は死んでいる。
フレイヤの目は闇にそまり、一寸先すら見えぬように黒に満ちていた。
「はぁ、はぁ……はぁ」
息を上げて、肩を震わせて、フレイヤは絶望する。
「っ、フレイヤ!」
そんな中、追いついたアレクが勢いよく扉を開けてフレイヤへと駆け寄った。
取り乱すフレイヤに寄り添って、その混乱を落ち着けようとする。
「……アレク、か」
「フレイヤ、大丈夫だ。大丈夫だ、安心しろ」
必死にアレクは呼びかけるが、フレイヤの瞳に光が戻ることはない。
進まぬ調査。止まらぬ死人。そして向けられるお前が悪いという視線に、フレイヤは完全に病んでいた。
どれだけ気高くあろうとも、どれだけ皇帝を貫こうとも、限界はある。
今がその、限界だ。
「……アレク。のう、アレク」
そしてその限界は、アレクがもたらすものなのだろう。
「フレイヤ?」
「誰が悪いと思う?」
フレイヤは、アレクへと問いかけた。
「……そりゃ」
その問いかけに、アレクは言葉を詰まらせた。
誰が悪いのか。
……この一件は、フレイヤが元凶だ。フレイヤの呪いによって引き起こされたものであると――
故に一瞬言葉を詰まらせて、それをフレイヤは見逃さなかった。
「わらわが、悪いのじゃろう。アレクの目も、そう言っておる」
「ち、ちがっ!」
「誤魔化すでないッ!!」
フレイヤは絶叫するように叫んでいた。
それは悲鳴のようでもあり、慟哭のようでもあった。
フレイヤはアレクの胸ぐらを掴み、その瞳へ至近距離で迫る。
「わらわを……憐れむような目で見るな。アレク、何を知っておる。何か知っておるな!」
「俺は……何も知らない」
「嘘をつくなと言っておるのじゃッ!」
アレクの嘘は、通じない。
フレイヤの瞳は、真実を探すように貫いている。
「先ほど……暗部の長とおったな」
「っ!?」
フレイヤは良く見ていた。
「……その、ポケットに突っ込まれた紙束はなんじゃ」
「い、いやっ!? これは何でもない。何でもないんだフレイヤ」
「誤魔化されるのが、一番辛いのじゃよ」
そう言って、フレイヤはアレクのポケットに無造作に突っ込まれた紙束へと手が伸びる。
それを払いのけるのは簡単だ。しかし真実を探して苦しむフレイヤの、その手を振り払えるわけがなかった。
アレクは硬直し、フレイヤは紙束を取ってそっと中身を見る。
「――――そうか」
そして、あるのは納得だった。
「やはり、そうか。そうなのか。信じたくはなかった。わらわが願わずとも、わらわの呪いが人々を食らっておるのじゃな? 良い皇帝になろうと、そう足掻けば足掻くほど……皮肉にも呪いは飢え、外の命を求めて暴走する」
全てを知ったフレイヤは、ようやく真実にたどり着いたと穏やかに笑っていた。
取り乱す様子はない。
あるのは納得と諦めだ。
あるいは救いと言ってもいい。この事件の正体が自分であったという、その真実は暗闇にいたフレイヤにとって救いなのだろう。
そしてアレクに愛されたいと願い、民に尽くそうと誓った一年の歳月が、足元から音を立てて崩れ去っていく。
「フレイヤ。フレイヤは悪くない。望んでその力を持って生まれたわけじゃないんだ。生まれ持ってしまった呪いだ。悪いのは、全部呪いだ」
「そう思うのはアレクだけじゃよ」
フレイヤは、アレクの胸に倒れこんだ。
「……疲れ、たな」
そしてポツリと、口から漏れた。
「もう良い。わらわが生きている限り、この悲劇は終わらぬ。わらわが良き皇帝であろうと願うことすら、誰かを殺す毒になるというのなら……これ以上、何をどうすれば良いというのじゃ」
フレイヤは、縋るようにアレクを見上げた。
その瞳にはもう、先ほどの怒りはない。ただ暗く、冷たい諦めだけが宿っていた。
「アレク。……わらわを、殺してくれ」
「っ、何を――」
「アレクしかおらぬのじゃろう? わらわを殺せるのは勇者であるアレクだけなのじゃろう? わらわの胸を、その剣で貫いてくれ。ここに書かれた物語のように! そうでなければ、わらわは……わらわ自身の呪いで、世界を、そなたの愛するものを、すべて壊してしまう……!」
フレイヤの声は震えていた。
自らの手でアレクの故郷を奪ったフレイヤが、今度はアレクの手で自分を殺してほしいと乞う。
それはあまりにも残酷な、けれどフレイヤにとっては唯一の救いだった。
「……無理だ。そんなこと、俺にはできない」
アレクは首を振った。
当たり前だ。フレイヤにとって救いだとしても、そんなことできるはずがない。
「なぜじゃ! 世界を守るためなら、それが勇者の務めであろう!?」
「俺は、お前を救うためにここにいるんだ。……世界なんかより、お前を選びたい!」
「なら、どうすればいいッ!? わらわが生きているだけで人が死に、皆に憎まれ、国も世界も滅ぶという! このまま、ただ死体の山の上に座り続けろと言うのか!?」
フレイヤの叫びに、アレクは言葉を返せなかった。
ふと壁際に控える侍女たちの視線が、アレクの肌を刺した。
彼女たちは二人の口論に身を縮こませて、壁際で背景になれるよう努めている。
だがその瞳には、フレイヤへ化け物を見るかのような色があった。
恐怖で声を上げられぬだけで、彼女たちの沈黙は、雄弁にフレイヤの死を望んでいた。
この城に、もうフレイヤの居場所ではない。否、この都にも、この国にもないのだ。
ここに留まればフレイヤは周囲の視線に、そして自分自身の罪悪感に、内側から食い破られて壊れてしまう。
アレクはそれを、確信に近い予感として感じ取っていた。
「……フレイヤ」
「な、何をする、アレク……」
だから力強くフレイヤを抱きしめたアレクは、決断した。
「ここから出るんだ。帝国も、皇帝も、全部置いて……俺と一緒に来るんだ!」
「何を……っ、そんなことが許されるはずが――」
「このままだとお前が壊れちまう! 落ち着くまで、ここを離れよう」
アレクはフレイヤの返事を待たなかった。
侍女たちの視線を背中に浴びながら、アレクはフレイヤの手を引いて連れ出そうとする。
皇帝としての義務も、勇者としての使命も、すべてを投げ打つ。
それは全てを裏切るに等しい、破滅への逃避行。
ここでフレイヤを殺すことが、世界にとって唯一の正解だ。
けれどアレクは、フレイヤを選ぶ。
あの日、吹雪の吹き込む離宮で死にかけていたフレイヤを助けた日から、アレクはフレイヤに惚れているのだから。
十年経っても忘れない。
フレイヤと再会することだけを原動力に、魔境を生き抜いた。
この世の全てを天秤にかけても、フレイヤを選ぶだろう。それがアレクだった。