魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
「アレク様、行かれるのですか……?」
そう執務室を出ようとしたアレクへ声をかけてきたのは、侍女頭のアレロナだった。
他の侍女達が震えて動けない中で、唯一アレロナだけが勇気を振り絞って立ち去ろうとしたアレクへと声をかけた。
それは侍女頭としての責任なのだろうか。あるいは何か思うところがあったのか。
アレロナだけ、唯一フレイヤを責めるような視線がなかった。
フレイヤが悪いとは決めつけず、その瞳にあるのは、哀れみだ。
「ああ、すまないが暫くフレイヤを連れていく。本当に、すまない」
そんなアレロナに対し、アレクはフレイヤを守るように抱いて、そう謝ることしかできなかった。
アレクも間違っていると思っているのだろう。世界のために、国のために、人々のためにはフレイヤを殺すことだけが正解だ。
しかしその手段を取れず、世界とフレイヤを天秤にかけてフレイヤを取ったことを謝っているのだ。
そんなアレクに対し、アレロナは首を振る。
「馬車の用意をいたします」
「えっ!?」
「行き先はどこでしょうか、アレク様?」
「…………」
アレロナは、まるで手伝うようにそう言った。
いや、手伝っているのだ。フレイヤを連れ出す手伝いを、アレロナはしようとしている。
意味がわからない。アレクは絶句した。
周囲の侍女達も、アレロナを貫いている。先ほどのやり取りで、みながフレイヤこそ全ての元凶だと確信している中で、なぜ逃げる手伝いをするのだというそんな視線。
媚を売って自分だけ助かろうとするのかという敵意もある。
けれどアレロナは動じなかった。
「私は私の思いを信じて行動します」
己の信念を貫くアレロナ。だからアレクも自然と口を開く。
「北……に、行きたい」
「承知しました」
行先は、咄嗟に口から出た。
アレクは帝国を知らない。知っているのは帝城と帝都、そして故郷たる北の地だけだ。
その中でフレイヤの安寧となれるのは、人のいない北の地となる。
故にそう言えば、アレロナは手配するために執務室を出た。
今は寒い冬の時期。北部の地は吹雪いているだろう。
アレロナがいなければ、厳しい旅路となったのは間違いなかった。
◇
『――素晴らしい力だ。これさえあれば、南の蛮族共も蹴散らせる。余こそが大陸の支配者となれるのだ!』
その言葉は、フレイヤにとって最も古い記憶だった。
記憶の奥底にこびりつく、自らの手で殺した父の言葉。
欲深き男だった。母を生まれた瞬間に殺したフレイヤを見て、最強の兵器だという感想が真っ先に出てくるような男だった。
その時にすぐさま殺していれば、運命は大きく変わったかもしれない。
だが皇帝は欲に溺れ、フレイヤを兵器にするべく育ててしまった。
育てるが――幼きフレイヤは力をたびたび暴走させる。いや、人を食わねばいけなかったのだ。
どれだけ我慢しようと空腹に耐えられないように、フレイヤは人の命をたびたび奪う。
そしてついに帝国における要人の命まで奪った時に、皇帝はフレイヤを兵器として運用することを諦めた。
『貴様にはガッカリした。なぜ余の望む兵器になれぬかったのだ。貴様は蛮族共を殺し、余に帝国を捧げる責務を期待したというのに!』
その言葉と共に、フレイヤは最北の地へと幽閉された。
その場で殺さなかったのは、殺せなかったから。その呪いが降りかかるから、幽閉して衰弱死をさせるしかなかった。
実際それが、唯一の方法だっただろう。
幼く呪いも十分に操れていなかったフレイヤは、幽閉して衰弱死が手堅い手段だ。
物体すら殺せたり、世界中を呪い殺せたりできるようになる前に、そうして殺すしかなかった。
吹雪舞う石造りの監獄塔で、一人寂しくフレイヤは過ごす。
その度に、なぜこんな人生なのだろうと心が張り裂けそうになった。
望んで呪いを持ったわけではない。
その役目が、たまたまフレイヤだっただけだ。
呪いのせいで、誰にも愛されることはない。今の今まで、誰かに頭をなでられたことも、抱きしめられたこともない。
寂しくて、辛くて、心が痛くて、死にたかった。
なぜこんな人生なのだろうと絶望する。同年代の子達が愛されている姿を見るたびに、なぜ自分は愛されないのだろうと悲しくなる。
全て、呪いを持ってうまれてしまったからだ。
だから――
『……っ、てぇ。クソッ、なんて高さだよ』
鉄格子の窓枠をぶち破って、転がりこんできたその少年との出会いは奇跡だった。
唯一フレイヤを恐れることなく、命を差し出してくれたアレクは、フレイヤにとっての勇者だ。
世界にとっては最悪の出会いでも、フレイヤにとっては最高の出会い。
フレイヤは初めて、愛を知った。
その体温で抱きしめて暖めてくれた時、どれほど心がポカポカしたかアレクは知っているだろうか。
初めてキスをした時、どれほどフレイヤの心を奪ったかアレクは知っているだろうか。
あのキスの記憶は、フレイヤの大切な思い出だ。今もキスが一番好きなのは、あの日の衝撃があったからかもしれない。
フレイヤにとってはアレクだけが全てになった。
アレクさえいればもう何も必要ない。
あの牢獄ですら耐えられただろう。どんな環境であったとしても、アレクさえいれば良かった。
しかし立場がそれを許してくれず、幸せの時はほんの数か月で終わってしまった。
たった数か月で、フレイヤの人生に強烈な光をもたらしたアレク。あの日から、フレイヤの中にあるのはアレクだけだ。
十年経ってもアレクが消えてくれない。
再会して、毎日のように体を重ねるようになっても、アレクへの想いは高まり続ける。
けれど世界は、運命は、呪いは、それを許してくれないらしい。
呪いはフレイヤへ残酷な二択をつきつける。
アレクを選んで二人きりの世界で一生暮らすか、死ぬことで世界を救うか。
フレイヤの中にあるのはアレクだけだ。ならばアレクを選び、二人きりの世界で一生を暮らす方が良いかもしれない。
全てを呪いで殺して、死なないアレクと二人きり。これこそがハッピーエンド。幸せの結末――
――本当に?
そんな結末を迎えて、胸を張って幸せですなんて言えるのか。
何千万人、あるいは何億人に恨まれながら、全員殺して、これで幸せだとアレクの隣で笑えるのか。
想像してみたら、とても幸せにはなれなかった。
フレイヤは、アレクと幸せになりたいのだ。
でもこれは、アレクを不幸にしてしまう。
ならばフレイヤが選ぶ道は――――
◇
ザクザクと、馬が雪上を駆けている。
その背に乗るのは、アレクとフレイヤだ。途中までは馬車での旅だったが、雪が激しくなり、馬を使った旅路へ切り替えた。
目指すは雪に埋もれた故郷の地。誰もいない、フレイヤを責める人間がどこにもいない場所だ。
ここまで必死にやってきたアレクだが、何か深い考えがあったわけではない。あのまま帝城にいては、フレイヤが壊れてしまうと思った。
だから誰もいない場所を目指してここまで来たが、本当にこれで良かったのか、果てしなく続く雪原を見てアレクは思う。
誰もいない。フレイヤを責める人間はない。アレクと、フレイヤだけしかいない世界。
多分これが、後の景色なのだろうとアレクはふと思う。
フレイヤの呪いが次々と人間を殺していき、最後に二人だけが残った世界。
目の前に広がるのは、それを先取りしたような景色だ。
「フレイヤ……」
「…………アレクは、暖かいのう」
ゆっくりと雪上を走る馬の上で、アレクはフレイヤを後ろから抱きしめていた。
この寒い世界で、それだけが温もりだ。
息が白くなっても、耳が痛くても、この温もりが全てを癒してくれる。
でもこの体温が、今にも失われようとしていた。世界を選ぶか、愛する者を選ぶか。残酷な二択が目の前だ。
そこから逃避するように、二人は逃げ出して雪上を駆ける。
そして――帝国最北の町。雪に埋もれて廃墟となった、かつての故郷へたどり着いた。