魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
懐かしき故郷は、雪に埋もれて消えていた。多くの家々が雪の重みで押しつぶされて、ロクに住めそうな場所はない。
少しその景色に心を痛めるものはあったが、今はそんな場合ではなかった。
フレイヤとアレクは死んだ町を静かに歩く。
そしてその果て。全てが死んだ町中でただ唯一、さすがは国が作ったと言うべきか、離宮だけは雪の中でも悠然とそびえていた。
早速入れば、中は散らかっているが広々としている。
恐らく兵士が使っていたであろう部屋へ行けば、テーブルの上にはカードなどの遊び道具。壁際には暖炉があった。
薪も残っていたから、暖炉に火をつけて部屋を暖める。
そうして部屋にあった椅子に腰を下ろして、ようやく二人は息をついた。
「大丈夫か、フレイヤ?」
「うむ。問題ない。体調はすこぶる良いぞ」
寒い旅路であったというのに、アレクもフレイヤもへこたれた様子はない。
それが二人の特異性なのだろう。
暖かな部屋で身を寄せ合って、持ってきた保存食を分け合って食べる。
フレイヤはほとんど食べる必要がないため、暫く持つだろう。だが吹雪が収まれば薪と食べ物の確保は必至だ。
だけど今は、このぬるま湯のような時に身をゆだねたい。
何も考えず、ただ愛する人だけがいて、それ以外何もない世界。このいつまでもいれるはずがない地獄に、浸っていたかった。
「のうアレク」
アレクに寄りかかって目を瞑っていたフレイヤは、ふと口を開いた。
「ん、なんだ? 寒いか?」
「いや……久しぶりに、こうして休むな、とのう」
「ああ。そうだな。ずっと忙しかったし、暫くこうしてゆっくりと――」
「するとな、わかるのじゃ」
目を瞑ったフレイヤは、そう言って天に向かって手を伸ばした。
「わらわに命が流れ込んでおる。この命はどこから来るのじゃろうな。どこからともなく供給される雑多な命……ふふ。なんて、決まっておるか」
「……フレイヤ」
「こうしてわらわが息をしているだけで、人は死んでいく。多分――全員が死に絶えるまで。ずっと呪いは人々から命を吸い取り、世界を滅ぼそうとするのじゃろう」
久しぶりに無になれたから、その残酷な真実をフレイヤは直視する。
多忙の日々に見えなくなっていたが、己の中に命が流れ込む感覚が確かにあった。
どこからか無限に供給される命の雫。これがフレイヤが探し求めていた呪殺事件の全てだ。
暫しの沈黙が訪れて、暖炉の中で薪が爆ぜる音が響く。
火の粉が舞い、暖炉から漏れる光が二人の影を石壁に長く映し出していた。
フレイヤはアレクに寄り添ったまま、虚空を見つめている。
「……のうアレク。これで、良かったのじゃろうか。本当に、これがわらわたちの望んだ幸せなのじゃろうか」
アレクは答えられなかった。
いや、答えはとっくに内にある。それを表に出せないでいるだけだ。
「全てを放り投げて、逃げるようにここに来て。あとは二人だけの世界となる。この呪いは人々を殺していくのじゃろう。わらわ達はそれで、幸せなのか?」
「…………」
幸せではない。多分その未来では、幸せになれない。
でもそんなこと言えるはずがないだろう。言ったら最後、アレクはフレイヤを殺さなければならないのだから。
「わらわの意思ではもう呪いの制御は無理じゃ。これは誠に呪いなのじゃから。故に――元凶の死しかない」
けれどフレイヤは、その残酷な選択肢をアレクへと求めてきた。
世界と天秤にかけてでも選べる最愛の人を、その手で殺すという残酷な選択。だからアレクは――
「それ以上は、止めてくれ」
自分でも驚くほど低い声が出て、フレイヤの言葉を強制的に止めた。
「疲れているんだ。眠って、またそれから考えよう」
「されど!」
「もしくはフレイヤも、世界も、両方助かるような方法を考えよう。探せば、そういうのもきっと――」
「そんなことをしていれば、どれほど死ぬと思っておる!」
だがアレクの悲痛な言葉に、フレイヤは反論した。
「もう、これ以上は駄目じゃ。かつてのわらわなら、世界を捨ててでもアレクを取ったじゃろう。けれど――アレクの求めたわらわは、そんなこともうできぬのじゃっ!!」
「っ――」
フレイヤは叫ぶ。
アレクによって徹底的に躾けられ、消えてしまった最悪の女帝。それを失ったフレイヤは、アレクが求めた清く正しい皇帝だ。
人が死ぬことに何も思わぬ冷たい女帝は、もういないのだ。
もう、死んでしまったのだ。
「けれど、アレクにさせようとは思わぬよ」
フレイヤは、そう言ってゆっくりと立ち上がった。その足は、部屋の中心にあるテーブルへと行く。
「フレイヤ?」
「わらわは、人の命を食らう。そして消化できなかった分は内に溜まっていく。その分だけ、何度でも蘇るのじゃ。故に人はわらわを殺せぬ」
アレクと似た、不死の特性を持つのがフレイヤだ。アレクと違うのは、永遠に湧き上がってくるわけではなく、奪った分だけしか蘇れない。
故に、死なないアレクだけがフレイヤと唯一戦えるのだ。
けれどそれも千日手。永遠に死なないアレクの命を奪い続け、フレイヤもまた永遠に蘇り続けるだろう。
それがかつて、千年前に起きた勇者と魔王の戦いだ。
永遠に決着がつかないから、最後は和解し一緒になった。
そんなフレイヤを殺す方法は、ただ一つ。
「方法は、殺し続ける。恐らくかつての勇者は、魔王を殺し続けた。魔王はそれに抵抗せず、吸収される命を上回る死によって決着がついたのじゃろう」
「殺し続ける……そんなの、無理だ! 俺は、そんなこと、できるはずがない!!」
その方法を聞いたアレクは、取り乱すように立ち上がった。
殺し続けるなんて、あまりにも残酷すぎる。できるはずがない。少なくともアレクは絶対にできない。
そんな手段を取るぐらいなら、アレクは世界よりもフレイヤを――
「無論、そのようなことはさせぬよ」
安心させるように、フレイヤは大輪の笑みを浮かべていた。
「これはわらわの呪いじゃ。故にわらわが終わらせる」
部屋の中央にあるテーブルには、アレクの剣が置かれていた。
護身用のその剣は、恐ろしい切れ味を誇り、触れるだけで切り裂けそう。
その柄を一撫でして掴んだフレイヤは、躊躇なく――
「フレイヤ!!」
――剣を己の胸に、突き刺していた。
「な――何をしているんだッ!!」
アレクは叫びながら、弾かれたように駆け寄った。
ドサリと膝をついたフレイヤの体を抱きとめ、その胸に深く突き刺さった自身の剣を、迷いなく引き抜く。
溢れ出した血がアレクの手を、そして床を赤く染めていく。
「フレイヤ! おい、しっかりしろ! 何を……何を考えているんだお前は!!」
アレクは喉が裂けんばかりの怒声を上げた。
だが、それは怒りというよりも、純粋な恐怖から来る悲鳴だった。
震える手で傷口を塞ごうとするが、フレイヤの口元からは一筋の血が伝い、その瞳は虚ろに揺れている。
「……ふ、ふふ。これなら、アレクの手を借りずとも……わらわ一人で、死ねる……。己が意思で剣を胸に突き立てて、死に続ければ良いのじゃ」
吐血混じりに、フレイヤは力なく笑った。
「馬鹿なことを言うな! やめろ、こんなことはもう二度と……やめてくれ! 頼む、フレイヤ、頼むから……ッ!!」
アレクは絶望に顔を歪ませ、フレイヤを強く抱きしめた。
愛する者が目の前で自らの胸を貫く。その光景は、アレクの心を粉々に砕くのに十分だった。
けれどフレイヤの覚悟は覆らない。
「……アレク。こうするしか、ないのじゃ」
フレイヤは震える手で、アレクの頬に触れた。その手は、先ほどまでの温もりが嘘のように冷たくなっていく。
だが傷口からは眩いほどの光――奪われた命の
「ぐずぐずしておれぬ。今も、わらわの中に……誰かの、命が流れ込んでくる……。死にたいのに、わらわが生きたいと願わずとも、世界がわらわを、生かし続けようとする……」
フレイヤの表情に、焦燥が走る。
フレイヤが命を落とそうとする瞬間にも、呪いは帝国全土から命を吸い上げ、その器に注ぎ込み続けているのだ。
「早く、枯らさねば……。今ならまだ死ねる。死に続ければいずれ死ぬ。だから、今しかないのじゃ」
「……フレイヤ。止めてくれ。フレイヤ……」
そう言っている間も、フレイヤの傷は不気味なほどの速さで塞がり始める。
それは再生ではない。他人の命を無理やり接ぎ木して、死を拒絶する呪いだ。
これはどこまで行っても呪いなのだ。
火の粉が舞う暖炉の前で、アレクはただ、再び脈打ち始めたフレイヤの心音を聞きながら、底なしの闇へと突き落とされるような感覚に陥っていた。
世界は残酷な選択肢を迫ってくる。どちらを選んでも最悪で、正解はどこにもありはしない。
「そなたと出会えて幸せじゃったぞ。さあ、終わりにしよう。これが、運命なのじゃから」
誰もがフレイヤの死を望んでいる。フレイヤ自身も望んでいる。
ただアレクだけが逆らおうとして、フレイヤを抱きしめて泣き続けた。
吹雪はより、激しくなる――