魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
運命というものを、アレクは信じている。
フレイヤとの出会いが、アレクにとっての運命だったからだ。
誰かにそれが運命だと言われたわけではないが、言われずとも確信している。
石造りの監獄の中で、フレイヤは冬の寒さに震えていた。あるいは寒さよりも、孤独に震えていたのかもしれない。
そんなフレイヤを鉄格子の外から一目見て、アレクは運命を感じたのだ。
それは子供特有の自意識過剰だったのかもしれないけれど、確かに世界が定めたような運命だった。
命を食らう魔王と、不死の勇者。その出会いが運命以外の何であると言うのだろう。
二人は出会ってしまう定めだったのだ。
その運命に翻弄されて、多くの苦難を乗り越えてきた。そしてようやく結ばれたと思った。
しかし運命は最後にバッドエンドを押し付けてくる。
これが決められた理なのだろう。呪いを持って生まれたら、幸せな人生は歩めない。
誰からも恨まれ、誰からも嫌われて、誰からも死を望まれて、魔王と呼ばれて人生を終える。
それが呪いを持った者の生涯だ。
千年ごとに同じ運命を繰り返し、その螺旋はフレイヤとて外れることはできない。
でもそんなのあんまりではないか。
愛した女が死ぬしかないなど、なぜ運命はこれほどまでに残酷なのだろう。
なぜ呪いは、この世に存在するのだろう。
その不条理に、理不尽に、アレクは怒る。
故にアレクは――
◇
翌朝。
昨夜の凄惨な出来事を経て、アレクは死に急ぐフレイヤを必死に説得し、多くの対話を重ねた。二人で様々な話をしただろう。
それは朝日が上がるまで続き、果てに疲れるようにフレイヤはひとまず眠りについた。
フレイヤが眠っている間も、誰かの命がその中に流れ込み続け、傷を癒やしてしまう。
フレイヤに時間がないというのは、間違いなかった。
早く死なねば、多くが死に、死ぬための苦しみがより長くなる。だがあと一日だけ。
そう考えて、二人は次の日を迎えていた。
そして昼がやってきて、吹雪が止んで一面の銀世界となった離宮の外へアレクが歩み出る。
するとそこには先に届いた報の通り、数人の男が待っていた。
その中心に立ち、指示を出しているのは帝国諜報部隊の長、クリスである。
彼は雪道を力強く押し通る、大柄な馬に引かせた重いソリを伴っていた。
ソリの上には、この極寒の地では貴重な食料や医療物資が積み込まれている。
「……クリスさん。ありがとう、ございます」
アレクが声をかけると、黒い服の裾を雪に濡らしたクリスは、静かに一礼した。
「夜通し馬を走らせました。この雪深さでは普通の馬は役に立ちませんので、特別な馬を。……ひとまずは、これだけの物資があれば急場は凌げるでしょう」
「……助かります」
アレクは、クリスが持ってきた防寒用の毛布を手に取り、その重みを感じた。
多くの者に死を望まれているというのに、クリスはこうして物資を運んでくれる。とてもありがたい話だが、その忠義の対象が、帝国なのか、それともフレイヤ個人なのか、アレクには分からなかった。
「帝国の……あちらの様子は、どうですか」
アレクの問いかけに、クリスは淡々と、しかし重々しい口調で告げた。
「芳しくありません。犠牲者は増え続けています。呪いの伝播は収まるどころか、むしろ速度を上げているようです。その上、陛下が離宮にいらしたことで、暴動の雰囲気も出ています」
「……そうですか」
アレクは、振り返って静まり返った離宮を見上げた。
あの中で眠るフレイヤが、望まずとも世界を食らい続けている。そして多くの者に、魔王死すべしと願われている。
呪いを持って生まれたせいで、さんざんな人生を過ごして、最後はこうなってしまうのか。
その運命に、アレクは唇を嚙みしめた。
「クリスさん。……フレイヤは昨夜、自分で自分の胸を刺しました」
アレクの言葉に、クリスは僅かに眉を動かした。
感情を表に出さない彼にしては、それが最大の驚愕の表現だった。
「……陛下が、ご自身で」
「ええ。俺に殺させるわけにはいかないと、自分で終わらせようとしたんです。でも、俺が止めました」
「そうですか」
「目の前でフレイヤが自害しようとして、止めずにはいられなかった」
アレクの声は、乾いた冬の風にさらわれて、消え入りそうだった。
世界のためには止めてはいけなかった。勇者であるなら、率先して殺すべきだった。
しかしアレクには、そんなことできない。
「そして、ずっと夜通しフレイヤと話し合っていたんですよ」
目の下に隈をつくったアレクは、思いをはせるように天を見上げる。
「……そして」
そこでアレクは言葉を切った。
じっと無表情でアレクを見つめる、クリスの瞳に視線を合わせ、ゆっくりと問いかける。
「クリスさん。クリスさんの忠義はどこにありますか?」
「……というと?」
「帝国なのか、皇帝なのか。それを、知りたいです」
急に話を変えてきたアレクに、わずかに怪訝な顔をしながらも、クリスは答える。
「陛下でございます。我々は、帝国の皇帝に命を捧げることこそ使命なのです」
「そうですか」
その言葉に、アレクは少しほっとしたような顔をした。
彼ならそう言うだろうし、前皇帝ならそのように教育するはずだ。
皇帝こそが、絶対であると。
そしてその皇帝はもういない。フレイヤ以外の血族も、反逆したりで十年の間に死に絶えた。
今、皇帝の血筋はフレイヤのみ。故にその徹底的に教育されたことで生まれた忠義は、フレイヤへと向いていた。
「フレイヤから、伝言です」
それを確認したアレクは、決意を固めた瞳で、まっすぐとブレずに言った。
「今後の帝国は、現存する公爵家による合議制で運営せよと」
「……それは」
それは、覚悟を決めた者の言葉だ。
「民のための政治を心掛け、思いを一つにして帝国を再建せよ。現在の政策を引き継ぎ、より良い帝国を目指すのだ」
「…………」
「そして、権力を私利私欲のために使う者。最悪の権力者になるのであれば、
そう言ってアレクは、皇帝の印が施された書簡を差し出した。
僅かに動揺が見られたクリスだが、すぐに取り繕うとそれを受け取る。
「確かに……陛下の思いを承りました」
そして深々とお辞儀をし、アレクとフレイヤの全てを理解し託された。
彼の存在が、のちの帝国の要となる。皇帝に命を捧げるよう教育された彼の存在が、唯一前皇帝に感謝できることかもしれない。
「あとは、俺達の問題です。今日で、決着をつけます」
「…………御意」
アレクはもう、己の決断を迷わない。
◇
離宮に戻れば、フレイヤは起きて窓の外を眺めていた。
朝まで話し合っていたから、大して眠れていないはず。されどとてもスッキリした顔で、アレクを振り返っていた。
「おはよう。アレク」
「ああ。おはようフレイヤ」
そんな朝の挨拶をして、離宮の古びた扉を閉めて、アレクはフレイヤに歩み寄った。
窓から差し込む冬の陽光は、とても柔らかい。窓辺に立つフレイヤの銀髪がその光を透かし、とても綺麗に輝いている。
フレイヤは穏やかな、本当に憑き物が落ちたような顔でアレクを振り返った。
「うむ、おはようアレク。……奴とは、無事に話ができたようじゃな?」
「ああ。お前の書簡、しっかり渡してきたよ。あの人に託せばもう大丈夫だ」
「そうか。……なら良い。わらわの皇帝としての仕事も、これで終わりかの」
フレイヤは満足げに小さく頷くと、ふわりとアレクの元へ歩み寄り、その冷え切った頬を両手で包み込んだ。
「冷たいのう……。外は寒かったか? はよう温まれ」
「はは、俺は大丈夫。寒さには強いからな。それより、フレイヤはちゃんと眠れたのか?」
「そなたの腕がなかったゆえ、あまりよく眠れなんだぞ。わらわを一人にするとは、薄情な男じゃ」
そう言って、フレイヤはいたずらっぽく唇を尖らせた。
その姿は、帝国を統べる威厳ある皇帝でも、命を啜る魔王でもない。ただ愛する男に甘え、不満を漏らす年相応の女だった。
「……悪かったよ」
「ふふ、なーに。冗談じゃよ。そこまでわがままは言わぬ。これで十分じゃ」
そう言ってフレイヤはアレクの首に腕を回し、その胸板に顔を埋めた。
厚手の服ごしでも伝わるアレクの鼓動が、フレイヤにとっては何よりの安らぎだった。
そうして暫く抱擁した後に、名残惜しそうに二人はわかれる。
「クリスさんが気を利かせて、いい酒を持ってきてくれたんだ。……フレイヤ、一緒に食事としよう」
「わらわはあまり腹は減らぬが……。まあよい。アレクがそう言うのなら、付き合ってやらぬこともない」
アレクが届けられた物資から取り出したのは、柔らかな白パンと、上質な葡萄酒だ。
この最果ての地に不釣りあいな豪勢な食事を、テーブルの上に乗せる。
そして二人は、その前に並んで座った。
アレクがまず、パンをちぎってフレイヤの口元へ運ぶ。
フレイヤは少し照れくさそうに、けれど幸せそうに目を細めて、それを小さく食んだ。
「……美味しいか?」
「うむ。アレクの手から食べると、毒が入っておっても美味く感じそうじゃ」
「縁起でもないこと言うなよ」
アレクが苦笑しながら葡萄酒を注ぐと、フレイヤはそのグラスを受け取らず、じっとアレクを見つめている。
その意図は、聞かずともわかった。
「はぁ。……わがままな皇帝陛下だ」
「むふふ。今はそなたの女じゃ」
アレクは葡萄酒を口に含むと、そっとフレイヤと唇を合わせる。
そして口移しによって、フレイヤへ流し込んでいた。
「ん、く♡ ……こく、こく、ん。ぷはぁ……美味い葡萄酒じゃ」
「まったく……」
わずかに口元にこぼれた雫を拭いながら、満足気にほほ笑むフレイヤに、やれやれと首を振る。
だが最後かもしれないから、こうしてべたべたとバカップルのような食事をするのだろう。
「……ふふ。アレク、顔が赤くなっておるぞ。酒のせいか? それとも、わらわが美しすぎるせいか?」
「どっちもだよ。……お前、確信犯だろ」
「さあな。わらわはただ、愛する男と食事を楽しんでおるだけじゃ」
窓の外では、時折雪が風に舞う音が聞こえる。
けれどこの部屋の中だけは、まるで時間の流れが止まったかのような、甘く溶ける静寂に満ちていた。
運命が、呪いが、世界がどうのという話は、今の二人には関係なかった。ただ、隣にいる相手の温度を感じ、声を聞き、笑い合う。それがすべてだった。
食事が終わると、フレイヤはアレクの膝の上に潜り込むようにして座り直した。アレクは彼女の細い腰を抱き寄せ、その銀髪に顔を埋める。
「……離さないからな、フレイヤ」
「うむ。ずっと共にいたいのう……いずれ子供ができて。多くの孫に看取られて共に行くのじゃ」
「最高の人生だな」
そんな人生を送りたいと考えながら、フレイヤは己の腹を撫でた。
「けれど一年も性行為をしたのに、結局妊娠せなんだな」
思い返せばそうなるだろう。あれだけ毎日のようにセックスをして、避妊もいっさいしていなかったのに、着床しなかったのは異常なこと。
そこにも呪いが関わっているのは間違いなかった。
「大丈夫さ。もう、な」
「ふふ、そうじゃな。そなたの子は、とても強い子になるじゃろう。……のうアレク。わらわは今、とても幸せじゃ。このままこの時が続けばよいと本当に思っておる」
フレイヤはアレクの首筋に顔を寄せ、熱い吐息を漏らす。
フレイヤの指先がアレクの髪を弄り、耳たぶを甘噛みするように弄んだ。
永遠に今が続けばいい。けれどそんなことが起きるはずがない。
それに永遠の今というのも、考えてみれば地獄だ。
時は常に動き続け、決断は早くしなければならなかった。
「さて。終わらせるかのう」
「そうだな」
アレクとフレイヤは最後に深いキスをしてから立ち上がった。
もう迷いはない。全人類を絶命させて、二人きりの世界で生きるというのは幸せではないのだ。
幸せは、この世界で二人で生きること。
それが叶わぬのであれば、フレイヤは己の死を持って終わらせる。
「わらわが死んだら……十年ぐらいはわらわのことだけを思っておくれ。十年も思ってくれたら、他の女と結婚しても良い」
「はぁ……一生フレイヤだけを思って生きるよ」
「ふふ。嬉しいことを言ってくれるな。けれど死してまで、一生アレクを縛り付けようとは思わぬよ」
クスクスとフレイヤは笑う。その笑顔は、どこか晴れ晴れとしていた。
抱えていた闇はない。覚悟を決めた女の顔。それが今のフレイヤだ。
「さあ呪いの魔王の終わりじゃ。この世界にハッピーエンドをもたらすために!」
物語のハッピーエンドは、悪い魔王の死しかない。
多くの人を呪い殺す魔王が死に、帝国に災いをもたらした最悪の女帝も死ぬ。それこそがこの世界のハッピーエンド。勇者が導くべき終わりである。
その終わりのために、二人は歩みだした。
◇
神聖ドラグノフ帝国の冬は明け、春がやってきた。
そして帝国各地で起きていた呪殺事件は、収束した。
何の予兆もなく、突然人々の命を奪う最悪の呪いの終わり。それに人々は歓喜の声を上げる。
春の訪れた帝都もまた、お祭り騒ぎだった。
「もう呪いは収まったらしい。一か月新たな死者は出てないってよ」
「終わったのか! ほら、やっぱり女帝のせいだったんだ。いなくなってからピタっと止んだ」
人々は口々に言う。
呪いが収まったことへの歓喜と、女帝こそが全ての元凶であったという確信だ。
「でも……この一年の陛下は改心したって聞くし、確かに生活は楽になった。何で、こんなことしたんだろうな」
「知るかよ。油断させてパクっといくつもりだったんだろう」
「そう、なのかな。でも、俺は……いや、何でもない」
けれどフレイヤがこの一年で積み上げたものは、わずかであっても人々の心には残っていた。
フレイヤのやってきた一年を、信じている者はたくさんいる。
そしてそれを引き継いだ公爵家達は、フレイヤの望み通りの政策を行うだろう。
ただそれも、最初のうちかもしれない。
人は欲に落ちる生き物だ。フレイヤがいなくなったと確信したら、また欲に溺れた者が、かつてのような悪政を引くかもしれない。
国民を虐げ、他国を侵略しようとする国になるかもしれない。
そのための解決策が、呪いだった。
アレクとフレイヤはそんな未来も予知して、対策は打っている。
皇帝の意思に反して欲望のために権力を使う者には、
「帝国万歳! 新たな帝国に祝福を!」
人々の歓喜の声は、春が終わるまで止むことはないだろう。
誰もが平和になったと思っている。
ただこの平和に対して、複雑な思いを抱いている者もいるのだ。
「…………陛下」
アレロナ・クローブは侍女を辞めた。
それは何かを思ってのこと、というほどのものはないが、アレロナなりに燃え尽きたということだ。
最悪の女帝に仕え、そして改心した女帝に仕え、その女帝もいなくなった。
もともとアレロナは辞めたかったのだ。けれど最悪の女帝の下から逃げられるわけがなく、気づけばズルズルここまで務めた。
改心した女帝に使える日々は楽しかったが、もう満足だ。
ここを区切りとして、新たな人生を歩みだそう。
「ハッピーエンド……ですか」
だけどふと、アレロナは天を仰いで呟いた。
「…………陛下、アレク様。お二人は……幸せになれたのでしょうか?」
アレロナはこの世で唯一、二人の幸せを願っていた。
その呪いについても知ってしまったから、フレイヤを恨むなんてこともできない。
だからアレロナだけが、消えてしまった二人が、幸せであることを望んでいる。
けれどこれは、アレロナだけが持つ異端な思いだ。
人々は女帝の死に歓喜しているのだから。
「私は……幸せを願っています」
故にアレロナは、心の奥底でもう一つのハッピーエンドを求めて、また歩き出した。
花が芽吹き、今年は豊作。まるで新たな門出を祝うよう。
世界はこれにて平和になり、ハッピーエンドを迎えましたとさ。
めでたしめでたし――――――――――――――――
次回最終話。